第30話
『勇者』の前に立つ僕をカルマは睨めつける。
敵意の炎が目に宿っている。その視線だけで僕は動けなくなってしまいそうだった。
「……どうやら何か、言いたい事があるようじゃないか」
「ええ、まあ」
「なら口にした方が賢明だよ。俺の剣は今にも君を両断しかねないからね」
「……僕は人間ですよ?」
「ああ。それでいて人類の敵だ」
「そんなつもりは……」
「無い――――そう言うのかい? ならば早くそこから退くべきだ。俺は『勇者』なんだ! そして『勇者』は人類の希望。正義、なんだ。それを邪魔する事は悪であり、強いては人類の敵だ。それでいて尚、君はそんなつもりでは無いと言い切るつもりかい?」
「カルマ……」
「呼び捨てにするなよ」
『勇者』は血と肉を持った温かい音で冷たい響きを作り出す。
「虫唾が走る」
「…………結構な言葉で」
僕は頭を掻く。……随分と嫌われてしまったものだ。
しかし、それは仕方の無い事かも知れない。
世界を欺き、そして自分に嘘を吐いてまで――――僕は魔王討伐の旅に出た。
『村人A』にも関わらず――――だ。
それは許されない事なのかも知れない。
しかし、そんな僕にだって思うところはまま、ある。
「……カルマ」
「だから呼び捨てにするなと……」
僕は構わず先を続けた。
「カルマ。正義って何だろうな……」
「…………はあ?」
カルマは眉根を潜めた。当然の反応だろう。僕とて言いたい事をちゃんと言えているのか判然としないまま喋っているのだから。
思いが、感情が先行している。思いの丈がぐちゃぐちゃとなって喉の奥につっかえている感じだ。果たして言葉として成立しているのだろうか。形を為し得ているのだろうか。
それでも僕は言わなくてはならない。
言わずには居られない事があるから――――
「お前の言う正義は本当に正義足り得るのか? 人々の安寧を考えたら正義か? 人々の希望になれたら正義か? ――――違うだろう? 正義ってのはもっと単純な事だろうが」
「……では何が正義だって言うんだ?」
「正義ってのは正しく在る事さ。自身の欲に正直で在る事を言うのさ」
「違う! 君らは正しくない! 俺こそが正義だ。だから俺は君達を先に進ませる訳にはいかない」
カルマは剣を再度、構える。足元の陰が蠢いた気がした。
「僕はお前の正義を間違っているって言うつもりは無いよ。けれど、僕は正義だ。こんな僕でさえも正義を名乗れる。弱くても、例え僕が脆弱な『村人A』であっても『勇者』には為れなくても正義を名乗る事は出来る。正義を偽装する事は許される」
「それは……そんなものは……ッ! 正義とは呼ばない! この詐欺師め!」
「じゃあお前の正義は『勇者』で在るというそれだけの事なのか!」
「違う! 『勇者』で在ろうとする事だ!」
「僕と――――『勇者』で在りたい僕と一体何が違うって言うんだ!」
「全てだ――――信念もそれに賭けた思いも実力も信頼も希望もその全てが君には足りていない! 俺が『勇者』である為に――――『勇者』で在り続ける為にどれだけの努力をしたと思っている!? 俺が只々何もせず『勇者』を名乗っていたと思うか――――そんな筈は無い! 旅に出るまで血反吐を吐くまで剣を振り、人々に笑顔を振りまき、希望を与え、寝る間を惜しんで勉学に勤しんだ――――君にそんな事が出来るかい!」
「出来るさ! しかし僕にはその資格が無かった!」
「資格! 笑わせるな! 努力をした事が無い者が資格を語るなど!」
「努力をする資格が必要だと、一度でさえお前は思わなかったのか!?」
努力する為の資格は必要だ。
もっと言えば目標に到達する為、到達出来ると錯覚するだけの才能が必要なのだ。
目標を掴み取る為の実力を期待させる才能でも良い。
目標を掴み取る為の実力を無視出来る才能でも良い。
目標を掴み取る為の過程で満足出来る才能でも良い。
目標を掴み取る為の過程を自慢出来る才能でも良い。
いずれか――――そのいずれかを僕が持っていればあるいは『勇者』になる為の努力を進んで行えただろう。
しかし僕はそのどれも持ち合わせていなかった。
八年前――――九歳の時に己の無力を自覚した所為で僕はその資格を失った。
それは不運なのか幸運なのか――――僕にはもう分からない。
けれど憧れた。『本物』を前にして僕は憧憬を覚えずには居られなかった。
『本物』の『勇者』――カルマ=クリスタルグラントを前にして僕は感情をぶつける。
「僕は『勇者』になりたかった! けど無理だった。無理だったんだよ」
「無理、か……。手軽な言葉で信念を曲げる奴に『勇者』を名乗る事は出来ない」
「そうかも知れないな――――いや、そもそも『勇者』で無くても良かったんだよ」
「……何?」
カルマの混乱する様子が僕には手に取るように分かった。
彼には分からないのだろう。
――――実力を世界に訴えられない弱者の気持ちが。
「僕は皆に……世界に認められたかったんだ! 弱者で無い事を分かって貰いたかったんだ! でも僕には資格が無かった。一人すらも――妹すらも助けられない人間に『勇者』を名乗る資格は無いに決まっている。憧れなど口には出来ない。それでも僕は凡人である事を自覚したくなかった。やれば出来る、なんて言うのは誤魔化しだ。しかし――やらなければ世界が変わらないというのは本当だ。だから僕は魔王を挑みたい! 凡人であっても――『村人A』であっても僕は魔王に挑み、そして倒したいんだ!」
「な、何を言って――――そもそも君如きに魔王が倒せる筈が無いじゃないか……」
「なら僕を止める必要がお前には無いだろう」
「君を止めている訳では無いよ――――俺が止めているのはクレアさんだ」
「なら同じ事ですよ」
クレアは言葉を発した。冷たい響きはカルマが発する僕への嫌悪感など比較にもならない虚で居て寒々しいくらいに暗く闇に染まった言葉。
「私は別にどっちでも良いんです。私としては魔物を滅ぼすのも人間を滅ぼすのも最早どっちでも良い。どっちも価値を同じくする無価値。なら私はアルミナの言葉の方に傾倒します。貴方達よりもほんの少しだけ、この虫の方が――――好きですから」
と彼女は言葉を続けた。
「そもそも貴方達こそ欺瞞でしょう。人々に認められたいだけ、それを私達よりも大きな声で叫んでいるに過ぎません。そんな奴が『勇者』であれども、希望なんて笑わせますね。寒々しいにも程があります」
「…………。確かにそうかも知れない」カルマは言う。
「確かに俺には人に認められたい欲がある。しかしそれは正しい人の性だ! 正当な働きに正当な評価を貰って何が悪い! だからこそ俺は何だって利用しなければならない。例え俺自身が君達を殺す事になっても俺は俺の信じた正義を貫かなければならない!」
「どうしても……ですか?」
僕の問いに彼は答える。
「ああ」
「僕らは世界の敵か?」
「…………。違う」
彼は憮然とした口調で言う。
「君達は俺の敵だ。互いに正義を名乗り、偽装し、燃やし続けた。そしてそれはどちらも正しく正義だ。しかし、正義は相容れない。俺はどうしても『勇者』にならなければならない。だからこそ俺は君達を倒す」
「交渉決裂ですね」
「仕方の無い事だ」
絶対なる正義を自称する『勇者』、カルマ=クリスタルグラントは剣を構える。
それに呼応するように彼の仲間達もまた、自身の武器を構えた。
彼らにもまた譲れないものがあるのだろう。
そしてそれは僕らとて同じ事だ。
「……悪い。失敗した」
「そうですか」
クレアは淡々と言う――――酷い言葉を。
「無価値な虫はこれだから……」
「悪かったな……」
「まあやっただけマシかも知れませんけど。話し合ったのですから、これは話し合った末での結果という事になる。これならば私達が一方的に悪だと断ぜなくなります」
「話し合ったと言うかお互いの心中を吐露し合ったって感じだけどな」
そしてそれ故に誰しもが引っ込みつかない。
この状況に至ってまで僕は彼女を止めはしない。
勿論、止める事も出来ない。
サイは既に投げられているのだから。
「クレア」
「はい」
「やっちまって良いぞ」
「そうですか」
親指を下に向ける僕に対し、クレアは頷く。
そんな風に端的に今後の方向性をやり取りし、そして彼らへと向かう。
「行くぞォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
猛々しく吼える『勇者』カルマへと――――向かい合う。
「…………」
彼女は無言だった。無言のまま両手を宙に掲げる。
それに呼応するように闇が蠢いた。
僕らを中心として周囲の闇から影に至る迄がまるで生きているかのように、うねうねと動き始めた。
それら全てはクレアの思惑の内に、彼女の思い通りに動く。
向かう先は決まっている――――
闇が牙を剥き、向かう先は『勇者』一行――――その足元だ。
「なッ!?」
足元の大理石を影は砂でも掘っているように容易に叩き割り、そして『勇者』一行を足元の見えない遥か下へと引きずり込む。
先を進んでいたカルマだけがかろうじて崩れていない大理石を左手で掴んだ。
他の仲間達は叫び声を徐々に小さくしながら闇に埋没していく。
「君、達、はぁああああああああ!!」
左手で全体重を支えつつ、歯を食い縛りながらカルマはこちらに怨嗟の視線を浴びせた。
「俺達に……俺達にぃイイイ! た、戦う機会さえもくれないのか!? 俺達がどれだけの想いを持ってここにやって来たと思っている! どれだけの覚悟と希望を背負い込んでいると思っているんだァアアアアア!! 殺すならひと思いに殺せ! それならば実力が足りなかったと納得出来る! 俺達はどれだけ持ちあげられようと戦人である事には変わりないのだから! しかし……しかし、こんな扱いはあんまりだろう!?」
「…………」
僕が彼に近づこうとすると、クレアが片手で静止した。
彼女はゆっくりと彼に近づいていく。
「そんな事は貴方の勝手な思い込みであり、貴方の言い分です」
「俺は『勇者』だ! 戦わせろ!」
「嫌ですよ。だって面倒ですから」
「…………ッ!!」
歯軋りの音がこちらまで聞こえてきそうだった。歯が折れるのではないかと言うくらいに歪んだカルマの顔。叫び声は耳に強烈な不快感を齎す。
彼がもしも思いで人を殺せるなら多分、僕らは死んでいる。
けれどそんな便利な魔法はこの世には存在しないので、僕らはここでカルマが落ちる様子を見つめていられる。
「さようなら、カルマ様」
カルマの左手を影が舐めた。カルマは怨嗟を撒き散らせながら落ちていく。
後ろから見ていて分からないがクレアは多分――――笑っている。
…………そんな気がした。
僕らはカルマが闇に消えていく様子をゆっくりと眺めていた。
「……行こうか」
「そうですね」
カルマの声が聞こえなくなった後、僕はそう呟いた。彼女も同意する。
僕らは正義を偽装しても『勇者』にはなれない。
だって誰の希望も期待も想いも僕らは背負っていないのだから。
そんな奴に『勇者』は名乗れない。
元『兵士』と『村人A』である僕らはそれでも――――
それでも――――魔王へと挑む。




