第2話
ふと気付けば、鎧姿の少女はこちらへと真っ直ぐ歩いてきていた。
それをゆっくりと眺める内、僕はようやく我に返った。
――――思い出した。僕は『村人A』なのだ。三ヶ月間という短い期間ではあるが、『村人A』をやってきた僕だ。それなりの自負もある。
美人が一体何だと言うのだ。それよりも責務を全うしなければ……、そう思い僕は近づいてくる鎧姿の少女に挨拶すべく身構える。
だが鎧姿の少女は不意に立ち止まり、横を向く。視線の先には村の衛兵が居て、こちらに向かって眉を顰めて走ってくるところだった。
そう言えば村の中に直接転移魔法で入ってくるのは大抵どの村でもご法度であり、言わば常識だった。このアルヒムの村でもそれは例に漏れず禁止されており、村の衛兵はこの鎧姿の少女が転移魔法を用いてこの村に入り込んだのを見て、それを咎めに来たのだろう。
……まあそうだろうな。転移魔法で村に直接入ってきて、村人が被害を受けるなんていう言うケースも時折だが各地の村で起こっているらしい。この鎧姿の少女もその常識を破ったからには今から衛兵にたっぷりと絞られるのだろう。
「……ちょっと! ちょっと、すいません!」
衛兵は息を切らしながら、それでも怒りを顕わにした語気で少女へと向かう。
「転移魔法で村にやってくるのなら、一旦村の外に降り立って貰わないと困るよ! ……全く、最近の若者は常識がなってない。兎も角、そこの君、ちょっと一緒に来て貰うよ!」
衛兵は荒々しく鎧姿の少女の手を掴み取る。
すると、次の瞬間に鎧姿の少女は信じられない行動に出た。
「…………」
無言にして無表情、何の前兆も無く鎧姿の少女は自身の手を掴んでいる衛兵の腹を逆の手で殴りつけていた。
「…………は?」
衛兵は一瞬何が起こったのか分からない、と言いたげな顔を浮かべたかと思えば直ぐに気を失った。膝から崩れ落ちて倒れこむ。
「…………は?」
次は僕が疑問の声音を上げる番だった。
…………いやいや。この女、注意をしにやって来た衛兵を一発で気絶させちゃったんですけど。そもそもあの細身の何処にあんな力が隠されてんの?
今や青い顔して倒れている衛兵は決して貧弱な人では無い。むしろ屈強で鍛えられた身体付きをしており、僕なんかが喧嘩を売れば一撃で殺されてしまいそうな、そんな熊みたいな男なのである。そんな衛兵を身長さ二回りほどもある少女が――――そうでは無く。
何、この傍若無人な女……。
自分が常識的に外れた行いをしたという自覚が無いのだろうか?
「…………」
鎧姿の少女はそんな事を意に介す素振りは一切見せず、こちらへと歩いてきた。
僕は選択に迫られていた。
当然、ここで悲鳴を上げるかどうかを、だ。
ちなみに僕は腕っぷしにはてんで自信が無い。衛兵を一発で気絶させてしまえる奴を相手にすれば多分、四肢をもぎ取られるであろう。僕ってやっぱり冷静に自己判断が出来る奴だからさ。うん、まあ、そういう事である。
しかしながら。相手は少女だ。見た目は虫も殺せなさそうな、か弱い少女。そんな人を相手にして悲鳴を上げれば男としての面目が立たないのではないか。それを加味した上で僕は悲鳴を上げれるのだろうか。
……まあ上げられるんだけどね。僕と言う人間は徹底的なまでに自分本位にして我が身可愛い人間なので、本気を出せば女の子の足裏を舐めるくらいの事、躊躇する必要すら無い。僕は潔い人間なのである。プライド? 何それ、不味そうですね。
ただし。僕は言わずと知れた『村人A』。ちんけな自分が就く事を許されたたった一つの職業。そして『村人A』の規則は『挨拶に置いて規定の言葉以外発してはいけない』である。
詰まる所悲鳴を上げてしまえば僕は『誰でも出来る簡単なお仕事』すら満足に熟せない底辺以下の屑人間という事になる。
底辺は底辺なりの矜持がある。そしてそれに縋り付いていたいという思いもまた、持っている。人間としての搾りかすの最後の一滴くらい、持っていたいのだ。
だからこそ――――僕は口を開く。
「ようこそ、アルヒムの村へ!」
僕は最大限の営業スマイルを駆使し、そう言ってのけた。
言った。言えた。こんな魔物以上の威圧感発している女を前にしてさえ、僕は仕事を全う出来る。やっべー、僕、やっぱ出来る男だわ。超仕事出来る奴だわ、僕。
そして、僕渾身の挨拶を前にした鎧姿の少女は一言、
「つまらない常套句ですね」と口にした。
「…………」
ごくり、と唾を飲み込む。彼女の言葉が脳内で何度か繰り返される。
……いや、知っているけどさ。この挨拶がつまらないって。
大体何だよ、『ようこそ、アルヒムの村へ!』って。そんなの、直ぐ傍にある看板見りゃ一目同前だろ。一々、僕がこれを言う意味は一体何? 何なの?
…………いや。仕事に疑問を持ってはいけない。仕事ってのはその実、余計な事をしない事が一番求められているのである。自分は社会の歯車であると言い聞かせ、そして道具さながらに自分を動かし続けるのだ。それが仕事って奴だろう?
だからこそ僕がそれを疑問に思う必要は無い。それが出来れば生きていく事は出来るのである。なればつまらなかろうが、それでも文句を言う必要は無い。
そう自身に言い聞かせ、再度、僕は言う。
「ようこそ、アルヒムの村へ!」
「つまらないって聞こえませんでしたか? 全く、同じ事を二度も言わせるとはつまらない言葉を言う人間は底が浅いですね。つまらない以外の何ものでもありません」
吐き捨てるようにして少女は冷たい視線を僕に向けた。
……ふえぇ、心がばっきばきに折れそうだよぉ。
僕は鎧姿の少女を見返す。よくも、まあ、そうも冷たい視線を向けられるものである。何、その目の中だけ極寒なの? 異常気象観測出来ちゃうの?
…………うん。落ち着け、僕。侮蔑するような目を向けられた事なんてこれが始めてでは無いだろ。この三ヶ月間と言うもの、数々の非難中傷をも受け止め、そして耐えてきたじゃないか。目を閉じれば僕の頭に数々の言葉がさながらせせらぎのごとく流れてくる。「それしか言えないの(笑)」「語彙少なッ」「会話出来ねー」「ねえ、それ面白い? やってて面白いと思ってる?」「ねえねえ、見て見てー! このお兄さん、同じ言葉しか言わないよぉ! 何で、ねえ何でぇ?」「底辺さん、ご苦労様!」「可哀想に……心が病んでいるのね」……いや、これせせらぎじゃなくて急流だな。トラウマ出来る五秒前。廃人に至る直前だ。
そんなトラウマを作り上げてきた僕はもう立派なプロなのだ。言うなれば蔑まれるプロ。略してさげプロ! 少女のそれこそつまらない侮蔑などてんで効きやしない。
僕は後ろ暗い実績を伴って、またも言って見せた。
「ようこそ、アルヒムの村へ!」
「つまんない……いや、それを通り越して最早面白いですね、貴方の頭が(笑)。つまり貴方は道化を演じられているんですね。自己を犠牲にしてまで人々の笑いを取っているなんて大層、熱心ですね。若干、笑顔が気持ち悪いですけれど。それはまあ、大目に見ましょう。直視出来ないという程でもありませんし……、とは言え虫見ている方がマシですけど」
……ああ、うん。
こいつの言葉、これまでのトラウマを超えるクオリティだわ。ぶっちぎりで。そのぶっちぎり加減足るや音速超えたかと思ったもの。だって僕の耳、衝撃で貫通したと思ったし。
…………仕事って何? と言うか生きるって何だろうね?
「それはそうと」
もう早くどっかに行ってくれ、と僕が鎧姿の少女に対し心の中で祈っていると話の調子を変えてきた。少女は言葉を続ける。
「ちょっと村を案内して戴けませんか? これ以上、事を荒げたくはありませんし。案内役が居た方が色々と楽ですし、幾ら村の目の前に突っ立ていて同じ言葉を繰り返す馬鹿でもそれぐらいの事は出来るでしょう?」
ちらり、と倒れている衛兵へと少女は視線を送る。
確かに衛兵を殴り倒した現行犯にしてみれば目立つ前に早くここを離れたいところだろう。奇跡的にも衛兵を殴った瞬間は誰にも見られてはいなかったらしいが、倒れている衛兵を見て人が集まり始めているし。
だが、そうは言っても僕は『村人A』。挨拶は出来ても案内は出来ない。
ここはもう呆れてさっさとここを去って貰うに限る。僕は意を決してもう一度、言う。
「ようこそ、アルヒムの村へ!」
「はいはい、それはもう分かりましたから」
僕の狙い通り呆れた言動で肩を竦める少女はしかし、その場を去ったりはせずに僕の顔へと手を伸ばす。何をする気だ、と僕が訝しがるのも一瞬の事で気づけば彼女は僕の耳を掴み、力任せに引っ張った。
耳が千切れそうな痛みに思わず僕は悲鳴を上げてしまう。
「あら? ようやく『ようこそ、アルヒムの村へ!』以外の言葉を喋りましたね。どうやら猿並の知能はあるようですね。では、案内役をお願い致します」
苦痛に呻く僕に実の良い笑顔を返しながら、鎧姿の少女は村の奥へと僕を引っ張る。
僕は抵抗する事も出来ず、少女の為すがままに引っ張られた。
「ちょっ、まっ!」
「出来ればもっと色っぽい声で泣いてくれると嬉しかったのですが、それはまあ、またの機会に聞かせて戴きましょう。今は村の案内だけをしていれば良いですよ?」
「ホント、待って! 止めて! 耳がきーん、鳴っているから! う、うん? いや、その音ですら聞こえなくなってきているから! ちょっとマジ止めてぇ!!」
片方の耳がゴブリンみたくなっている事に恐怖を感じながらも僕は『村人A』の職務を放棄せざるを得なかった。
上司の方ちょっと訊きたいんですけど、これって労災降りますかね?