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第28話

 更に四ヶ月――詰まる所旅を開始してから一年と四ヶ月の月日が経過した。



 様々な艱難辛苦を乗り越えて――――と言う程でも実は無いけれども。実際、殆どの敵や脅威をクレアは一人で排除していたし、僕が役立てる事と言えば相変わらず村人スキルを生かし微妙な情報を手に入れるぐらいの事だった。……相変わらず『村人A』という職業は使えない事この上無い。




 まあ実際は僕こそが使えないのだろうけれども。しかし、他の所為にしなければ事実は思い切り現実として圧し掛かってくる。だから少しでも他に受け流さなければやってられない。……惨めな処世術です、はい。



 旅は既に暗黒大陸へと差しかかっていた。魔王城がそびえ立つと呼ばれている人類未開の大陸だ。この地方は年中風が強く、そして気候も段々と寒冷になっている所為か異様に寒かった。それは僕らの進行を阻んでいるようでもあった。



 ……だが、まあクレアがそんな事で立ち止まる筈も無い。どんなに冷たい風であっても、氷の冷たさには叶うべくもない。種々の魔物を打ち倒しながら彼女は前へと進んだ。僕は彼女が作った安全な道をただただ付いて行った。……殿を務めていると述べた方がずっと表現としてマシになる気がするので以降はそう述べる事にする。現実が厳しいのだから言葉だけでも僕に優しくしなければやってられない。




 この地に至ってしまえば、『勇者』の報告どころか人の報告がまず無かった。クリスタルグラントが魔王への刺客――『勇者』カルマの噂さえ全く耳にしなかった。人間のみならず時には人語を介する魔物も居るが、やはりそう言った報告は聞かなかった。



 人類未開の地であるが故に補給もままならない中、魔物の肉を喰い、川の水で喉を潤し、敵の領地で睡眠による疲れを取る事も最早許されない、極限の生活が更に一ヶ月も続いた。正直、僕が道具を管理していればあっさり転移符を用いてどこかの村や街へと戻ってしまいそうだったが、クレアがそれを管理している以上、許される事は無かった。案外、彼女は僕の心の弱さまでも考慮して道具の管理を許さなかったのかも知れない。言い換えてみれば信用されていなかったと言う事。言い換えなければ良かったと後悔した。




 そんなこんなでクレアの勢いは止まる事が無かった。数万の兵にも匹敵し得る成果を一人で上げていき、とうとう彼女とオマケ(僕)は魔王城へ辿り着いた。


 オマケ説は全く否定し切れない。むしろ否定しなくて良いから魔物の皆さん、僕の事を狙うのは本当、止めてくれないかな……。




 ここに至ってしまえば魔物の強さは伝説級の凶暴さで僕が爪で撫でられただけで死ぬレベルだ。いつかのように罠に嵌ってクレアと逸れてしまえば、それだけでうっかり自殺してしまうだろう。魔物に生きたまま喰われるのと短剣で首筋の動脈を切るのはどちらが苦しまなくて済むだろうか。答えは簡単。僕に自殺する勇気は無い。




「いよいよ……魔王城か……」

「ふふ……アルミナ。貴方でも少しばかり感慨深く感じられますか?」

「いや。今すぐ転移符でアルヒムの村に帰りたい」

「許しませんよ」

 にっこりと笑うクレア。だが目が笑ってない。身体の芯まで凍り付くような表情。



「貴方を魔王の膝元に連れ出し、それで恐怖する貴方を見るまで私は満足出来ませんから」

「いや、僕、魔王の眼力だけで死ねる自信あるんだけど」

「別に良いですよ。肉の壁も案外、死後硬直で固い盾となり得るかも知れませんし」

「…………」

 相変わらず酷い事を平気で言う女だった。……死後硬直ってそう言う意味ちゃう。



「では行きますよ――――いざ魔王城へ」

「…………」

 僕は無言でクレアに従う。どうせ逆らえないし、なら出来る限り彼女に近づいた方が安全である。これで癇癪を起こして僕を攻撃対象としない事を切に願う。



「では……アルミナ。案内を宜しくお願いします」

「ああ。それくらいは任せておけ」

 僕は彼女の後ろで殿を務めながらも(腰は引けているかも知れない)、道案内をする。



「入口は正面を歩くなよ。あるブロックを踏むと矢やら魔法弾やらが飛んでくる」「そこはしゃがんで歩け。それで敵の視界から隠れる事が出来る」「次の通路は左だ。間違っても右に行くなよ。右は古龍の巣窟だ。うっかり飛び込んだらバラバラにされるぞ、僕が」

 クレアの後ろに隠れながらも的確な指示を出し続ける僕。



 僕がこれだけ的確な指示を出せるのには理由がある。


 当然――『村人A』が持つ特殊スキル、村人スキルの恩恵だ。ここまで至ると僕の村人スキルの能力値は相当に高いらしく、何処かの村の村人が教えてくれる筈であろう魔王城の見取り図をほぼ正確に記憶していた。これを能力として覚えた時、僕は思わず神に平伏していた。正直、要塞みたいな魔王城を僕みたいな脆弱な存在が無事で抜けられるとは到底思っていなかったけれども、これを覚えた事によりその危険性は半分以下になった。時折、出現する魔物もクレアが仲間を呼ぶ前に一刀両断で駆逐してしまったので、大した脅威にはなり得なかった。




 それにより僕らは魔王城を順調に進んでいく。このまま魔王以下その直属の魔物と出会うまでは体力を温存出来るように思えた。これ以上無いくらいの好調さだ。



 しかし、ここで少しばかり奇妙な事が起こった。


「…………?」

 いつからだろう――先を進むクレアが僕の指示を聞かずして前に進むようになっていた。



 当初は僕の存在を無視でもし出して新手の虐めかと思った。

 しかし――――違う。何故なら彼女は僕の指示を無くしては正確な道筋を辿れる筈が無いのだから。だが彼女は僕の指示を聞かずとも間違った道筋を辿る事は無かった。



「お、おい……クレア」

 僕の声に振り向いた彼女は何処か上機嫌のように感じられた。



「何だか――――」

 クレアは氷塊の如き視線を何処か遠くへと置く。



「何だか――――そう、何処か懐かしく感じられます。どうして……」

「…………」

 僕は彼女へ言葉を返さなかった。



 僕の知っているクレアがここには居ないような気がしたから。

 何処か――――遠くへ行ったような気がしたから。



「……行きましょう」

 彼女は呟く。尚もまるで知っているかのように魔王城の道を辿りながら。



 広間に出た。大理石をあしらえた部屋は今までとは異質。

 奥から大きな影がこちらを窺っていた。のっそりとやってくる。



「ふむ……いつぶりだろうか。人間の姿を垣間見るのは」

 影は厳格な響きでそう呟いた。吊るされている光源(豪華な調度品のようであって、中心は炎で辺りを明るく照らしている。魔王城独自のものだろうか)に照らされた影が徐々に明るみになっていく。




 影は五メートルばかりの凛とした空気を纏った魔物だった。姿形は身長を除けばどちらかと言うよりも魔物より人間のそれに近い。額から角が一本生えているものの、聡明そうな顔の作りはさすが人語を介する理性を持つ魔物とも言える。身体には鎧が着けられている。魔物で人間の真似事と言った風に鎧を着けている奴が居る事には居るが、それらは総じて曲がった鉄を無理矢理張り付けたような酷い鎧だった。しかし眼前の一角の魔物が着けている鎧は一見作りがしっかりしているように見える。無骨なクレアの鎧よりも『勇者』カルマが着けている壮麗な鎧に近い感じだ。




 そして纏っている空気は異質。狂気を無理矢理抑え込んでいるかのようだった。



「そうか。我々、魔物よりも先に人間側がこちらの領土、しかも本丸へと踏み込んだか。この点に置いてどうやら戦況は人間に傾いているらしい。しかし、余とてまだ白旗を上げるつもりは微塵にも無い。人間、ここを容易に通れるとは思わなんだ」

「…………アルミナ」

 視線は魔物から外さず声だけが僕の名前を呼ぶ。



「…………これを」

 その声と共に何かがこちらへと飛んできた。



 飛んできたのはクレアが管理している筈の布袋だった。中には様々なアイテムや食料などが詰め込まれている。



 当然、ここから直ぐにでも抜け出せるであろう移動魔法式を組み込まれた転移符も入っている。


「……私が危なくなったら直ぐにでも転移符を使って脱出して下さい」

「…………え?」

 僕は一瞬、何を言われたのか分からなかった。



 クレアがそんな事を言ったのは始めてだった。どんな時でも自分の無事を信じて疑わず、絶対の自信を常に持っていたクレアが――――弱気になっている?




「お前……」

「どうやら今回は私とて絶対の自信を以て挑める相手では無さそうですから」

 クレアが背中から長剣を抜き放つ。そして構える。



 きちんと構えるところを見たのも始めてだ。

 僕は戸惑いを隠せなかった。



「そんな…………。お前でも、勝てないって言うのか?」

「…………。分かりません。勝てない、かも知れません」

「そんな事を言ったのは始めてじゃないか」

「私もそんな事を言うとは思っていませんでした」

 普段、水の流れのように淡々とした口調で話すクレアに僕は引っ掛かりを感じた。



 何か、異物が紛れ込んで流れをせき止めているような、そんな感覚。

 図りし得ない不安が波となって僕へと襲いかかった。



「死ぬ……可能性もあるのか?」

「多少、は……」

 その瞬間、僕に郷愁のドロドロとした念が宿る。



 ならば僕は――――逃げる訳にはいかない。



「なら僕は逃げる事は出来ないよ。眼前に命を失いそうな奴を残して逃げる事は僕には出来ない」

「…………本当に貴方は面倒ですね」

 一筋の汗を頬に流しつつ、クレアはそう述べる。



「だからさ、クレア――――――勝ってくれ」

「――――え?」

 反芻する不思議そうな声。僕は息を吸い込みもう一度同じ言葉を彼女の背に投げかける。



「勝ってくれ、クレア。危なげな命を前にして錯乱する僕を助ける為にお前は眼前の魔物から完全無欠の勝利を勝ち取ってくれ」

「…………」

 クレアは身動ぎする。かしゃん、と鎧が乾いた音で鳴く。



「……貴方はそうやっていつも他人任せですね。恥ずかしくないんですか?」

「…………少し」

 僕はいつだって他人任せで、それでいて足手纏いだ。



 それを僕は恥ずかしく思わない――――なんて言う程、神経は図太くない。


 でも、とクレアは言葉を挟んだ。



「私にそんな事を言う人は貴方が始めてですよ、アルミナ」

「…………」

「良いですよ、勝ちましょう。勝って、差し上げましょう。貴方に心配されるなんて、そんな事は私が許しません。虫は虫らしく、ただただそこで這い蹲っていれば良いんです」

「…………ああ。頼りにしているよ、クレア」

「ええ。貴方に勝利を捧げます」

 クレアはそう言い残すと魔物に向かって疾風の勢いで突進した。



 勢いそのままに彼女は長剣を魔物の足許へと振り下ろす。

 続いて聞こえるは鋭い金属音。大広間に何かが爆ぜたような衝撃が木霊する。



「…………ッ」

 顔を顰めてクレアが魔物と距離を取った。僕は魔物へと視線を向ける。



 一角の魔物はいつの間にか一振りの剣を備えていた。

 鎧と同様にただの棒きれとは思えない、切っ先がぎらりと光る剣。



 それを魔物は両手で握る。


「悪くない踏み込みだ。人間にしては恐るべき力……しかし」

 上段で構えた剣を握り一角の魔物は狂気を孕んだ獰猛な瞳でクレアを睨み付ける。



「余の剣筋を受けて五体満足で居られると思うなッ」

 鋭い踏み込みでクレアへと接敵した一角の魔物は上段より剣を振り下ろす。



 それをクレアは正面から長剣を使い受け止めた。

 クレアの足下の大理石が罅割れる。一体どれだけの衝撃を……。



「なッ! 余の剣戟を正面から受け止め、あまつさえ無事だとッ!?」

 一角の魔物が驚愕の声を上げる。クレアは不敵な笑みを浮かべる。



「こんな剣筋如きで……。笑わせないで下さい」

 クレアは言いながら魔物の剣を払いのけ、攻撃へと転じる。



 それを一角の魔物は上手く防御する。


 お互いがお互いに信じられないような剣戟を見せる。僕の目には鋭い風が二人の間を駆け抜けているようにしか見えない。



「ぐうぅ……ッ。よもや人間が余の剣戟とまともにやりあうなど……信じられんッ!」

「……剣技だけでは無いですよ」

 そう言って一度、一角の魔物から離れたクレアは左手から黒々とした波を出現させた。



 荒れた波は徐々に一つの形へと収束していき、それは大きな矢となって一角の魔物へと飛んでいく。

 一角の魔物は飛んできた矢を力技で跳ね除けた。



 瞬間、隙を突いてクレアが魔物に一太刀浴びせる。


「浅かった、ようですね……」

 クレアが呟いた通り一撃は大したダメージでは無いようで、魔物は距離を取る。



 だが、


「…………なんと」

 魔物の目には今までに無い色が見て取れた。



 獰猛な狂気、強さに対する自負、怒りを押し殺した冷徹さ。


 それに加えて――――クレアに対する畏敬とも呼べる色、そしてそれをどこか懐かしむような、果ては慈しむような――そんな色が。



「ただの人間では無いと思っていたが。成程、合点がいった。そう言う事か」

「…………何が言いたいのですか?」

 クレアは凄む。彼女の声には焦りが一滴混じっていた。



「否! ここから言葉など不要! どうしても先を聞きたければ余を力で以て屈服させよ! 況や魔物とはそう言うものだ! 力こそ全て! 覚悟とは魂に在らず、力にこそ宿るのだ!」

「…………そうですか」



 ――――闇がクレアから溢れ出ていた。



 クレアが染み出ている闇は際限無く、さながら底無しとも思えるように生まれる。


「貴方の意見には賛成の意を唱えずには居られません。力で以て屈服させる。そこに秩序は常識や言葉など意味を持たない……。この世界がそうであったなら私にとってどれほど良かったでしょうか」

「…………」

「いざ!」

 闇は次々と魔物へと襲いかかった。



 あるいは矢の形で。あるいは堅い岩にぶつかる波のように。あるいは一つ一つが鋭い剣のように。あるいは魔物の足を止める流砂のように。



 クレアが構える長剣すらも闇によって形を変えていた。


 長剣はただでさえクレアの身の丈を超す馬鹿デカい長剣だったが、今やクレアどころか一角の魔物の巨躯にさえ匹敵するような黒々とした長剣となっていた。それを軽々と振り回しながらクレアは魔物に襲い掛かっていく。



「グゥウウウウウ!!」

 魔物が上げるは鋭い咆哮。それに負けじと剣筋は冴えていく。



 それでも万の軍勢と相対しているように、闇は様々な箇所から一角の魔物へと襲いかかっていく。最早魔物の抵抗は赤子の癇癪にも思えるくらい微々たるものに見えた。



 しかし、一角の魔物とてこのままでは終わらなかった。


 剣を一度振り回す毎に多大な衝撃刃が巻き起こる。衝撃は闇を蹴散らすと共に次々とクレアへと襲いかかる。クレアはそれを馬鹿デカい剣で薙ぎ払う。



「オオオオオオオオッ!!」

 彼女が剣を振り被りフォロースルーを取っている瞬間、魔物が跳躍し、その巨体を宙に放り投げた。凄まじい衝撃と爆音が広場を震わせる。彼の剣はクレアを射程へと収めた。



 鋭い剣筋が彼女へと襲い掛かる。


 けれども彼女は不敵に笑った。凍り付いた笑みが魔物の剣を舐める。



 魔物渾身の一撃は静止した。止めたのは幾何の鎖と化した闇。それらの鎖は剣どころか一角の魔物さえも絡め捕り、そして宙に繋ぎとめた。



「実のところ私の生み出す『影』は私と言う実体に近ければ近い程、その力強さを増す事が出来ます。貴方程の強力な魔物であればそれなりの距離に近づかなければ捉える事は出来ません。だから私は敢えて隙を作った。貴方が飛び込んでくるのを誘う為に。……まさか文字通り飛んでくるとは思いませんでしたが。しかし――――」

 クレアは馬鹿デカい長剣を上段に構える。



「――――これで終わりです」

 魔物へと振り下ろされた長剣は一角の魔物の半身を削り取った。鎧なんてあって無きが如しとばかりにその剣筋がぶれる事は無かった。



 真っ直ぐ――――魔物を両断してしまう。


「…………グゥゥ」

 両断された魔物は苦しげに呻いたが、それでも必要以上に悲鳴を上げる事は無かった。



 それどころか魔物は残った右腕に剣を握りしめ、今にもクレアに襲い掛からんばかりに目には獰猛さを失っていない。



 弱き姿を見せるなかれ――――一角の魔物が持つ最後の自尊心だろうか。


 だがクレアはそんな事を歯牙にもかけずに一言、こう口にした。



「貴方を即死させなかったのは私の慈悲によるものではありません。先程の貴方の言葉、その続きを聞かせて戴く為です。話して戴きましょうか」

「……余は負けた。仕方あるまい」

 一角の魔物は剣を取り落とすと、ゆっくりと喋り出した。



「貴様は人間だ。しかし、その魂は純然たる人間のものでは無い」

「…………何?」

 僕は魔物の言葉に思わず声を漏らしていた。



 魂が人間のものでは…………無い?

 一体どういう事だ? この魔物は一体何を言っているんだ?



 僕の混乱に構わず魔物は先を続けた。


「貴様の魂には何処か懐かしい匂いがする。余と同じく貴様は――――」

 一角の魔物が続きを口にしようとした刹那、広場が稲光によって照らされた。



 魔物の声さえも稲妻によって断たれ、暴力的な光は一角の魔物に更なる痛みを与えた。



「グオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 稲光に貫かれた魔物は悲痛な叫びを上げる。クレアどころか僕よりも後方から放たれた雷撃はみるみる内に魔物を黒焦げにしていく。



 あまりの急な事で僕らはそれを呆然と眺めているしか無かった。


「……まさかこんな所で君達と出会うとはね」

 雷撃を放った者はこちらへと悠然と近づいていく。


 僕らはその顔をよく覚えていた。




「『勇者』カルマ……」


 雷撃を放ち魔物を黒焦げに変えたのは『勇者』クリスタルグラントとその仲間達だった。

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