第22話
ダンジョンを後にした僕達はその日を野営で越す事にした。
次に目指す村まではまだ大分距離がある。恐らくあと数日はフカフカの毛であしらえた布団で眠る事は出来ないだろう。とは言え、この一年で何度と無く経験した事だ。固い地面をベッドにし、集めた木々を枕代わりにするのも大分慣れた。
木々で囲まれた森の中、僕らは焚き木を囲んで食事の準備をする。旅路の最中は食事こそが唯一の娯楽となる。ここを面倒がっては食事の楽しみを享受する事は出来ない。
僕は近くにあった川の水を温め、調味料を取り出して下味をつけていく。料理は大抵、僕の仕事だ。クレアはこの間、リラックスしながらも遅いと文句を口にし続けるが、それでも僕の作業の邪魔をする事は決してない。彼女も何だかんだで美味しい食事を口にする事を楽しみにしているらしい。クレアもその辺は普通の人と変わりない。
闇が周囲を染め上げ、月明かりが少しだけ僕らを照らす。焚き木が無ければ手元すら見えない闇の中だ。火は人間が生み出した技術の中でもトップカーストを占めるレベルの発明である。生み出した先祖には感謝したい。
「ほら、出来たぞ」
端的な準備終了の言葉をクレアに言いつつ、スープと干し肉を彼女の手元に渡す。スープはその辺に生えていた食べられる野草と持ち合わせていた調味料を駆使して作った簡素な味で塩を少し多めに効かせた程度、干し肉に至っては前の村で買っていたモノを食べやすく切り分け、軽く炙っただけに過ぎない。
しかしながら温かい食事というだけで旅路ではありがたいものだ。温もりとは無縁の寂寞感漂う日々の中で体温よりも温かいモノというのは何よりも旨い調味料である。
「いただきます」
僕はそう言って、クレアは無言で干し肉を齧り、スープを口に流し込む。干し肉の無駄にしつこい歯応えとスープの味が整ってない感は異常。
……しかし旨い。そう感じさせるものが確かにあった。
「そう言えば」
クレアは一頻り食事の味を楽しんだ後にそう切り出した。
「右腕の怪我は――――もう何とも無いんですか?」
「……ああ」僕は頷く。
「お前の回復魔法のお陰でもうすっかり傷は塞がっている。……少し痛むけどな」
クレアの黒色の魔法で穿たれ、ぽっかりと穴が空いていた右腕はすっかり元通りになっている。もう筋肉を動かしても大した違和感が無いくらいだ。
一日でこの回復力……。さすがは回復魔法と言ったところだろうか。
「と言うかさ、一つ、訊いても良いか?」
「ええ」
そう返すクレアに対し、僕は先程から頭を曇らせていた疑問を尋ねる。
「お前って回復魔法使えたんだよな? ……なら何で今まで使ってくれなかったんだよ?」
「今までって?」
「とぼけるな。今までで僕が傷ついた事なんて一度や二度じゃ無かっただろうが。ぶっちゃけこれ死ぬんじゃね? 死ぬよね? 絶対死んじゃうよね? ……ってくらいの怪我は何度となくしていた筈だ。それを見ていてお前は一体何を思っていたんだ?」
「は? 決まっているじゃないですか? ――最高の気分でしたよ」
「…………」
つまり回復魔法を持っていて尚、こいつは傷ついた仲間を癒すなんて事はせず、その傷を見て嗜虐心を満たしていた訳だ。
……何、この人。敵よりもよっぽど性質が悪いんですけど。
そんな事は今に始まった事じゃないけど。
「大体、回復魔法って疲れるんですよね。私向きじゃないって言うか……、大体私ってば滅多に傷つかないから回復魔法なんて使う必要無いですし……。そんな私の秘蔵の回復魔法を使ってあげてまで治療したんですから……マジ地面に這いつくばって感謝して下さいよ。それで地面舐めるなり、虫が虫を喰らうショーを見せるなりして私を楽しませて下さいよ。……全く。気の利かない人はこれだから……」
「まずお前にとっての人に気を遣うって定義から教えて貰おうか」
お前の考えているそれは気を遣うって言うよりも自己犠牲を文字通り体現した意味になっているだろうから。間違っているよー、それ。ついでに人間性も間違っているよー。
「……では私からも一つ、貴方に問い質したい事があるのですが宜しいでしょうか?」
「ん、何?」
「貴方のダンジョンでの行動についてです」
「…………」
僕はスープを啜りながら目線だけを彼女に向ける。
クレアは無表情だった。諧謔を込めた笑顔などは一切浮かべておらず、凍りついた表情を浮かべていた。……まるで僕を非難でもするかのように。
――――いや。実際、非難しているのだろう。
僕の取った行動が常識的なものから逸脱しているであろう事は自分ですら分かる。
「この際はっきり言いましょう。アルミナ、貴方の行動は――――異常です」
「異常、か……」
「ええ。更に言えばこれは今回だけの一件に留まりません。普段、貴方はどちらかと言えば自己保身の強い人間です。その為ならば人の不幸すら厭わない、人間らしい人間。それは性根が腐っていると言い換える事が出来ますが、それでも人間の常識的な行動から逸脱しない言わば凡庸な価値観です」
「……ちょっと」
なんか言葉に少々微毒が含まれている気がするんですけど……。
これから真面目な話をしようとしているんだろうから……そういうの止めてくんないかな。僕、こんなところで体力使いたくないんだけど。
まあそう言った暴言は好みを通り越して癖にまで昇華しているのだろう、こいつの場合。
…………何か、もう残念な奴に見えてきた。
「……何か?」
「いや続けて」
僕の含みのある視線が気になったのか、物言いをするクレア。
とは言え残念なのは僕も同じだろうし。
……または、それ以上なのかも知れない。
「けれど貴方は誰かの『命』がかかっている際は何故か自分の身を顧みず、自己犠牲を諸共せず、その『命』を救おうとする……。それはピラミッドでカルマ様の身を庇った一件もそうでしょうし、また一年前、ロコさんでしたか? あの娘のお兄さんの命を救うと言い貴方は頑として譲らなかった。私が長剣を首筋に当てても貴方は意見を変えようとはしなかった。それだけじゃない、この一年もの間、貴方は何度と無く人の命を救い、そして自分を傷つけてきた」
「……そうだっけか?」
僕はおどけた風に言葉を口にしたが、それをクレアは雪氷のような視線で睨み付ける。
「とぼけないで下さい。貴方自身、貴方の行動がどうしたっておかしな事くらい分かっているでしょう? だって貴方は弱いじゃないですか。貧弱に輪をかけて脆弱。昔はスライム一匹にすらボコボコにされるくらいの弱い弱い『村人A』だった。最近は幾分マシになったとは言え、弱い事には違いありません。そんな実力で人を庇おうとするなんて、それはもう偽善の域を超えて悪、罪としか言いようが無い。そして罪はいずれ――――裁かれます。貴方、本当に自殺志願者だったんですか?」
「そんな事は無い。僕は一貫して生き汚い。生きる為なら泥でも啜るさ」
「……では何故?」
「守れる命があるなら救ってやるべきだと思わないか?」
「貴方は守れるような立場にないでしょう」
はあ、と諦観の面持ちで溜息を吐きつつ、クレアは言葉を紡ぐ。
「理解して下さい。貴方は――――『村人A』なんですよ」
「…………」
焚き木の火が弱くなった気がして、僕は渇いた木を火にくべる。
火は瞬間、一層燃え上がってパチパチと弾けた音を轟かせる。
その音さえも僕を糾弾しているかのように聞こえた。
…………被害妄想甚だしいな、僕という人間は。
「それに言っちゃあ何ですけど矛盾しているんですよ。貴方のような普段狡賢い人間は他人がどうなったところで、どうでも良いと感じる人間の筈です。自分の行動とそのリターンを天秤に載せて、それが少しでも理に叶わないと悟るや否や貴方はその行動を絶対に取らない、そういう性格の筈なんですよ。――しかし、貴方の天秤は『命』という重りを載せるとまるで壊されたかのように滅茶苦茶な働きを見せます。その天秤……」
「…………」
「その天秤、一体いつ、どこで、そして――――誰に壊されたんでしょうね」
クレアは深い穴のような目でこちらを見る。
その瞳は僕の心中をどこまで察しているのだろうか。
どこまで見えているのだろうか。
分からない。故に彼女の事が僕は怖い。
「……スープが、冷めるな。飯、早く食べ終わらないと」
僕は何ともなしにそんな事を言ってはスープと干し肉を口にかき込む。
視線は痛い程に感じているが、暫く僕はそれを無視し続けた。
――――少しだけ身を焼かれる覚悟をしなければならなかったから。
「…………さて」
僕は胃が膨れた事を感じつつ、そう切り出す。
「そうだな。今からそう――八年前の話だ。僕が九歳の頃の話」
クレアはじっと僕では無く、焚き木の方に目を向けていた。
……こいつにしては珍しい事もあるもんだ。
だって今、僕が浮かべる目は恐怖と郷愁に焼かれた、痛々しい目だっただろうから。
それを見て嗜虐心を満たさないクレアを不思議がりつつ、僕は話を続ける。
「その頃、僕は『勇者』に憧れていたよ」
「……うわ、不相応」
「ガキの頃の話だっつってんだろ。大体、子供の頃なんて大抵皆、そういうチンケな夢を抱いている。妄想してごっこ遊びとかしては致命的な何かをやらかして叱られるんだけどな。それでも妄想していられる間は幸せだったろう」
「私にはそういう子供時代はありませんでしたけどね。昔から『勇者』なんて柄じゃない、と思っていましたし。大体見返り無く名誉だけを以て人に奉仕するなんて考えられません」
「お前らしいな……」
それくらい僕も世界に対して斜め上の姿勢であれたら良かったのに。
だが色んな意味でガキだった僕に輝かしい世界は魅力的に映ってしまったのだ。
そんな奴には現実を見せつけてやるのが一番良い。
「僕にはその頃、妹が居た。妹は病弱な奴でな、たまーに村の悪童達に虐められては僕が助けてやってたんだ。僕も僕でその時は『勇者』への妄想が強すぎて、完全に自分を『勇者』だと思い込んでいたからさ。悪い気はしなかったな」
「うっわ、痛いですね」
「……分かっている。分かっているが……言うなよな。村の奴らからもそう思われていたし。痛い奴だって。……気付けよ、ホントって話だけどさ。でも妹だけは僕を本物の『勇者』だと言ってくれた。尊敬の念を抱いてくれていた。それだけで僕は『勇者』で在り続ける事が出来たんだ。心の支え――っつうよりも依存ってのが正しい表現だ」
でもそんな歪な関係もそう長くは続かなかった。
それまでも病弱だった妹がとうとう重い病気に罹ったのだ。
村に居た医者にさえどうする事も出来ない、不治の病だった。
「妹は言っていたよ。『助けて、お兄ちゃん』って。苦しいよ、辛いよって散々呻いていた。ただ僕にはその苦しみを前にどうする事も出来なかった。その時、僕は自分が『勇者』なんかじゃないって知った。人々の希望なんかじゃなく、只々村人の一人でしか無い凡人なんだって悟った。だって本当に救いたかった奴を救えなくてどうして『勇者』足り得るんだよ。まあ妹は最期まで僕に助けられるものだと思っていたみたいだけどな」
妹は最期、死を悟った瞬間があったのだろうか。
そして悟ったとすれば僕に一体何を思ったのだろうか。
僕に失意の念を抱いたのだろうか。
――――こいつは『勇者』なんかじゃないってキチンと認識してくれただろうか。
何度謝っても謝りきれない。何度悔やんでも悔やみきれない。
だって彼女がもしも僕に助けられるものだと信じ切っていたとすれば――――妹は最期にするべき何かがあったとしても、それをしなかったのだろうから。
お袋にお別れの言葉は言っただろうか。友達と心ゆくまでお喋りしただろうか。
自分のしたい事を精一杯やれただろうか。走馬灯を浮かべただろうか。
僕が妹にしてやれた事は何も無い。むしろ手前勝手な希望を押しつけてしまった。
彼女に『明日』という幻想を与え、『今日』という日を奪い去ってしまった。
それは一体どれ程の罪になるのだろうか。
赦されるもの――――なのだろうか。
「それ以来、『命』を失いそうな奴を前にすると、それがどれだけ不可能な事であっても、僕は精一杯の事をやらずには居られなかった。そんで大抵結果は伴わないんだよな。村では散々、馬鹿だと罵られたよ。『まだお前は『勇者』気取りなのか』ってさ。自分が凡人である事は十分理解している。だからこそ僕は『村人A』になったんだから。それでも妹の死に顔が忘れられないんだよ……。結局、歪で無謀な『勇者』を演じてしまう」
夢は捨てた。妄想する事も止めた。
現実を生きる事に決めた。希望を捨て、真っ当に生きようと思った。
それでも――――過去は捨てられない。更には捨てた筈の夢もチラついて見える。
いっその事、妹が魔物に殺されていたら良かったのかも知れない。
そうすれば僕は憎しみを糧にして今も夢の中に浮いていられただろうに。
『勇者』を目指していられたのに。
分不相応と知りながら、それでも僕は妄想していられただろう。
――――そこまで考えて、僕はそれを馬鹿だと卑下した。
これもまた、妄想だ。
何を考えているんだよ。現実を思い出せ。真っ当に生きろよ。
「クレア、僕はお前に提案があるんだ」
現実を思い出し――――だから僕はクレアにこう言ってやる。
ずっと思っていた事を。ずっと考えていた事を。
「足手纏いは早く切り捨てろよ。お前と僕じゃあ基本スペックが違い過ぎる。お前はカルマをも上回る実力を持った最強の元王宮兵士、それに比べて僕は最弱にして足手纏い。ついでに人の命がかかっていれば無鉄砲に飛び出す阿呆な『村人A』。僕の天秤が壊れている、と言うのならお前の天秤も壊れているだろう。仲間ってのはつり合いが取れているから仲間なんだよ。溝があり過ぎるのは余りにも惨めで歪だ。僕の苦しみや悲しみ、痛みで歪んだ顔ってのはもう散々拝んだだろう?」
「…………」
僕の提案を無言で聞いた後にクレアは一言、
「……そう、かも知れませんね」と言った。
「決まり、だな。次の村に着いたら僕は転移符を使ってアルヒムの村まで戻る。お前の転移魔法で戻るのも良いが、そこまでして貰うのも悪いしな」
「…………」
クレアは只々焚き木を見つめていた。
僕はそれを了承と受け取り、僕もまた焚き木を見つめる。
するとクレアが火の勢いが弱まっている訳でも無いのに、木をくべた。
火は更に勢いを増し、燃え上がっていく。
僕とクレアは二人して暫くの間、赤く強く燃え上がる火を見つめ続けていた。




