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第20話

 周囲の様相が変わった。今までの通路のような場所では無く、開けた場所。今までの濁った空気などでは無く、どこか張りつめているような匂いを感じる。



 今までのような小さな燭台などでは無く、部屋の中心には四方に囲まれた祭壇のような場所があり、そこを巨大な四つのトーチが囲んでいて部屋を明るく照らしている。




「……居るな」

 『勇者』カルマの呟きにより、仲間達も武器を構える。


 上から黒々とした巨大な物体が祭壇に向かって落ちてきた。その物体は地面に着地するなり、まるで折り畳まれていた状態から紐解かれるようにして徐々にその姿を現した。



 黒々とした物体は一匹の巨大な蜘蛛だった。しかし、その巨大さ故に八本もある脚がそれぞれ人間の胴回りを何倍にもしたかのような太さだ。脚には巨大な鋸みたいなギザギザの刃が付いていて、あんなもので撫でられれば人間の身体など一瞬にしてバラバラになるだろう。黒々とした虚な目は獰猛な光を灯しており、僕ら侵入者を前にして歓迎するような神経は持ち合わせていそうにない。禍々しい口から見える真っ赤な口内は否が応にも自分が貪られて血で染まった様子を想像してしまう。




 そして敵は巨大な蜘蛛だけでは無い。幼生なのだろうか、小さな小蜘蛛も至るところからワラワラと沸いて出てきて、僕らを食い殺さんばかりに囲んでいる。



「行くぞ、皆! 俺とアンはあの巨大な蜘蛛を相手にする。ミレアは殲滅呪文で小蜘蛛を焼き尽くせ! マリーは状況によって皆をサポート、傷ついた仲間への回復を怠るな!」

 しかし禍々しい蜘蛛の集団を前にしてもカルマは一切臆する事無く、仲間達に対して的確な指示を出す。仲間達もそれぞれカルマの指示に従い、戦闘を開始した。



 状況は熾烈を極めた。女魔法使いが広域殲滅呪文を用いて小蜘蛛を焼き払うものの、撃ち漏らしが幾度と無くこちらへ近づいてきてはちょっとずつダメージを与えていく。更に巨大蜘蛛の八本の脚による攻撃をカルマと女戦士だけでは受け切るに至らないのか、時折強大な攻撃が『勇者』一行へと襲いかかる。直撃こそ受けないが、掠った程度で大ダメージに至るその攻撃を女僧侶がタイミングを見計らって呪文で回復させる。




 しかし小蜘蛛は引っ切り無しに沸いてくる上、巨大蜘蛛は時折糸を吐いてはこちらの動きを遮断してくる。その度に炎属性の呪文を用いて足先を焼かなくてはならない為、どうしても敵への注意が疎かになる。その隙を突いて小蜘蛛及び巨大蜘蛛は攻撃を仕掛けてくる。


 更にカルマは僕の方までも注意を向けているのか、僕に近づいてくる小蜘蛛を単一魔法にて追い払っていた。さすがは『勇者』というか、一度守ると言えば絶対に約束を違える事は無いらしい。その姿勢は賞賛どころか崇拝しても良いくらいのものだ。僕のような足手纏いにして不実の輩など早々に放りだせば良かったものを……、その辺は『勇者』としての矜持でもあるのだろうか。




「おおおおおおおおおおおッ!!」

 雄々しい雄叫びを上げ、『勇者』カルマは正に一騎当千とも言える働きを見せていた。巨大蜘蛛のみならず小蜘蛛までもを巻き込み、剣を縦横無尽に振るう。その破竹の如き勢いを巨大蜘蛛は抑えきれないのか、徐々に押されていく。八本合った脚も今や四本と半分にまで減らされて、勢いも最初より大分落ちている。



「あれが『勇者』カルマ、か……」

 僕は声を漏らした。


 皆が期待した『勇者』。クリスタルグラントが生んだ最強の騎士と名高い魔王への刺客。



 ――――僕が昔、憧れた『勇者』の姿そのもの。



 正直、羨ましかった。僕が恋い焦がれた存在こそ彼だ。僕もあんな風に人に好かれ、人を助け、人に尊敬される存在になりたかった。



 でも僕では無理だった。僕には力が無い。そんな才能など微塵にも無かったから。


 ――――幾ら手を伸ばしても届かない。そう思えた。



 僕はこうはなれない、彼の闘いを見てそう思い知らされた。


 陽の光を浴びる輝かしい存在になるにはそれ相応の資格が必要だ。




 家柄、才能、容姿、実力、気概。



 彼にあって僕には無いもの。その全てが僕には足りないものだ。


 そんな人間が夢を抱くなんて馬鹿げている。無駄な事はしない方が幸せだ。



 だから僕は『村人A』をやっている。


 言うなれば僕は僕が勝ち取る事の出来る最大限の幸せを掴むしか無いのだ。



 それが『村人A』であった以上、僕に悔いは無い。



 ――――嘘だ。



 嘘だ。欺瞞だ。全てが全てに間違っている。そんな事は僕がそうしなければならないが為にそう言い聞かせる為の選びに選んだ自己愛が形を為した嘘っぱちだ。



 本当は今でも『勇者』になりたい。そうに決まっている。


 けど不可能なんだ。不可能な事は口に出さない方が幸せだ。



 だから僕はこうして『勇者』の後ろからその様子を伺う事しか出来ない。これが出来るだけファンとしては十分だろう。


 だから僕は『勇者』を諦めて『村人A』を名乗るのだ。


 ――――そうやって自分を無理矢理納得させようと、枠に嵌めようとしていた時、後ろから見ていた僕だからこそ気付いた。



 『勇者』一行の一人、確か……ミレアとか言う女魔法使いの背後を巨大蜘蛛の足先が狙っていた。この一瞬――この一瞬だけは誰もその事実に気付いていない。女魔法使い本人は呪文詠唱中なのか、気付く素振りすら見せない。女戦士や女僧侶は自身の事で手一杯で他の仲間を気遣う余裕が無い。そして頼みの綱であるところの『勇者』カルマは巨大蜘蛛のもう一方の脚を斬りおとすのに夢中で、この時ばかりは仲間への注意が疎かになっていた。




 一瞬見せた勇者一行の隙。狡猾に隙を窺っていた巨大蜘蛛がこの好機を逃す筈が無い。巨大蜘蛛は残忍な脚を無防備な女魔法使いに向かって振り下ろす。直撃すれば大怪我、打ちどころを悪くすれば即死……。



 『死』。そのワードが僕の身体を前へと動かした。女魔法使いの元へと身体を滑り込ませて、そして間一髪彼女を巨大蜘蛛の攻撃から助け出す。


 目的を達成した安堵も束の間、背中にズキリと激痛が走った。どうやら巨大蜘蛛の攻撃を女魔法使い抱えて避ける際、掠ってしまったらしい。



「おい、何をやっているんだ!」

 途端、カルマの叱咤が僕の身に突き刺さった。



「この状況で君に出来る事など無いんだ! 邪魔をしないでくれ!」

 その必死な形相は僕を怯えさせるには十分だった。……いや、怖すぎ。爽やかそうな顔してそう言う顔も出来るのね。僕が女の子だったらそのギャップに惚れてしまいそうである。……ねーな。僕が女の子だったらそれ以前に一目惚れだ。何なら今の言葉でときめき過ぎて気絶するかも知れない。



 そんな冗談はさて置き、僕が絶賛下敷きにしている女魔法使いは僕を見て一言、


「詠唱の邪魔よ。退いて」

 と冷たく言い放った。僕は殺気めいた彼女の視線を受けて逃げるようにして退いた。



 ……あの。僕が退いた後、僕が手をつけていた辺りを念入りに掃っているのはどういう意味か説明して貰って良いですか? 直接聞きたくはないけど。



 しかしカルマが言う事も女魔法使いが言う事もごもっともだった。


 足手纏いは何をやったところで邪魔にしかならないのだ。只々邪魔をする為だけに存在するのが足手纏いという概念であり、それと認定された人間が起こす行動は周囲に顰蹙を買うだけだ。決して評価される事は無い。



 僕が下らない事を考えている間に『勇者』一行は巨大蜘蛛を倒す事に成功したようで、皆で勝鬨を上げていた。その笑顔は達成感に満ちていて、中でも評価に値する見事な働きを見せたカルマは満足そうに微笑んでいた。



 僕はと言えば、遠巻きに彼らの姿を眺めている。




 邪魔者の居場所なんていつでも光の当たらない陰と相場が決まっているのだ。

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