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第14話

 視界が開けた。強い光に思わず目を顰めた。



 長く続いていた狭い洞窟が終わり、開けた場所に出た。どうやら天井が抜けているらしく、強い陽光が漏れていた。籠っていた空気が抜けていく感覚。閉塞感から解放された事に思わず吐息が漏れた。



「……かなり広い場所に出ましたね」

 クレアが人差し指に灯した光を仕舞いながら、何とも無しに言う。隣に立つ彼女は魔物の返り血で薄汚れていて、だが陽光が射すその姿は幻想的に映った。兜を脱げば、さぞや美しい様を目にする事が出来るだろう。



 当の彼女は細く、遠くの一点を見据えた。僕もそこへ視線を移す。


「…………あれは『勇者』カルマ」

 開けた空洞の隅で剣を構える金髪の獅子を見紛う姿がそこにはあった。



 だが、その姿は決していつもの余裕を感じられない、満身創痍の姿だった。息も絶え絶え、額には血を流し、剣を構えた右手とは対照的に左手は脇腹を押さえている。



 カルマが剣を構え、必死の形相で対峙しているのは巨躯の魔物だった。その丈およそカルマの五倍、いやもっとあろうかという大きさで彼を前にしてけたたましい雄叫びを上げた。その威圧的で狂ったような叫びはかなりの距離を取っているこちらにまで響いていて、魔物を前にしたカルマの恐怖はいかばかりのものか、想像する事さえ許されない。



 魔物の巨躯は全身一目でそれと分かる力強い筋肉で支えられていて背中からは黒々とした翅が生えていた。皮の色は紫色。目の色は赤く爛々と鈍い光を放っていて、その周囲を縁取る頭は山羊のようだった。ただ頭から禍々しい捻じれた角が飛び出ていて、それが山羊に無い恐ろしげな様子をより一層漂わせている。



 神話で語り継がれている悪魔そのもの、そんな魔物が『勇者』カルマの眼前に存在していた。悪魔の猛攻を右手に構えた剣で以てギリギリ躱している姿は成程、『勇者』の中でもより強者に位置しているカルマ=クリスタルグラントの雄々しい姿で間違いなかった。




 だがそれを前にして尚、圧倒している魔物が強すぎるのだ。よくよく目を凝らせば勇者の後方には数にして三人もの女性が倒れている。恐らく魔物の攻撃に耐えられず一人、また一人と倒れ、最後に残ったのが『勇者』である彼ただ一人なのだろう。



「分かってはいた事ですがね……」

 そんな彼らを前にしてぽつりとクレアが言葉を漏らした。彼女の手がゆっくりと伸びていき、倒れ伏している『勇者』の仲間を指した。



「女戦士――装備しているのはアイアンアックス、アイアンアーマー、鉄兜。女魔法使い――装備しているのは妖精の杖、天使の服、羽飾りの帽子。女僧侶――装備しているのはクロスボウ、光のドレス、人魚の髪飾り」

 僕は順番にカルマの仲間を指差すクレアへぎょっと視線を向ける。



 こいつ……先程の洞窟入口でのやり取りと目を凝らしてギリギリ見える程度の今とで彼らの装備を見抜いたのか?


 彼女の言は尚も止まらない。



「確かにこの辺の魔物を相手取るのであれば文句無い装備品でしょう。もう少し先に進んだ魔物を相手にしたところで恐るに足らない隙の無い布陣……さすがはカルマ様……カルマ=クリスタルグラントが選んだ最強の仲間と言ってまず間違いありません。ただし――――この場合は相手が悪かったんでしょうね」

「……どういう事だ?」

「文字通りの意味ですよ。カルマ様が相手にしている魔物が余りにも強すぎるんです。ここら一帯じゃ、まず以て出会わないであろう強さ……正に別格です」

 村長の言葉――ロコの予言――僕の頭に様々なものが交差しては消えていく。



「洞窟から漏れ出る気配や匂いで何となく察していましたが……。あの程度の装備であの魔物と戦うなんて無謀と言ってまず間違いないでしょう。カルマ様は王家に由来する装備品を着けているようなので、少しは持ち堪えているようですけれど……それも長くは持たないでしょう」

「それはつまり……何だ? このままだとカルマは……死ぬ、かも知れないのか?」

「死ぬかもしれない――――はは、まさか」

 クレアは嘲笑するかのような笑みを見せた。そこに続く言葉を僕は予想出来た。



「――――かも、では無く絶対に死にますよ、カルマ様は。今、この瞬間にあの魔物の鍵爪が心臓を突き刺したところで全く疑問には思いませんねぇ」

 命。その言葉に僕は心臓の鼓動を早める。



「……クレア。無理を承知でお願いして良いか?」

「どうぞ」

「カルマを――あいつらを助けてはくれないか?」

「……何故?」

 まるで僕の言葉に全く正当性が無いとでも言うかのようにクレアは首を捻った。



「何故って――――」

「そりゃそうでしょう。私達が何故、あのいけ好かない『勇者』御一行を助けなければならないんですか? 元『王宮兵士』である私にはカルマ様を助ける義理がありません。寧ろチャンスじゃありませんか」

「チャンス?」

「あのカルマ様が死ぬんですよ? 魔王討伐のライバルが減って大助かりじゃないですか。それにいつでも余裕綽々の顔をしているカルマ様がさてどんな悲鳴を上げてくれるのか私は楽しみで仕方がありません。……ああ、さぞや素敵な声色で泣いてくれるのでしょうね」

「…………」

「詰まる所、あの『勇者』一行を見捨てたところで我々にメリットがあってもデメリットは無いのですよ。そんな中であの悪魔に一々向かっていくとか貴方、正気ですか?」

「……分かった」

 僕は諦観の面持ちで溜息を吐いた。



「分かりましたか? ならば私と一緒にカルマ様の命の灯が潰える時を一緒に見学していましょう。蝋燭の火は消え入る瞬間こそが一番儚げで且つ美しいものなのですよ――――どうしました?」

 クレアはまるで不思議なものでも眺めるかのように僕を見る。



 かく言う僕は立ちあがり際に懐からダガ―ナイフを引き抜き、そして構えた。


「お前とは短い付き合いだったけど…………まあ、色々と迷惑かけて悪かったな……。お前みたいな強者に対して僕が言う事じゃ無いけれど――――お前は死ぬなよ」

「アルミナ!?」

 彼女の驚愕を背中で受け止めながら、僕はダガ―ナイフ片手に地を蹴る。



 加速していく内に思考が先鋭化されていくのを感じた。岩肌に変わって、馴染みのあるアルヒムの景色が浮かんでくる。何にも為し得なかった僕だけど、郷愁が身体を引き裂いていくような気がした。



 お袋……これからも元気にやってくれると良いな。僕というパシリが居なくとも、自分の事は自分で出来るようになって欲しい……。何で僕、親に対して親視点なの? 僕の母親どれだけ引き籠り属性付いてんの? 息子にズレた心配させるお袋マジぱねぇ。



 魔物の姿が近づくにつれ、恐怖の足音が大きくなるのを感じる。威圧的な巨躯に思わず足を止めそうになったが、それでもダガ―ナイフを握った右手は熱い決意で満ちている。



「うおおおおおおおおおおおお!!」

 自身を奮い立たせるべく胴間声を上げる。臆病な自分を掻き消して、力強い自分を妄想し、そして――騙す。それが真実だと自分に言い聞かせる。



 そうで無くてはこの瞬間にも恐怖で身体が雲散霧消しそうだったから。


「き、君は!?」

 驚愕で顔を歪めるカルマの身体を思い切り突き飛ばす。彼の凄まじい筋力を以てしても勢い込んで飛び込んできた僕の体当たりを受け切るには足りなかったようで、カルマは地面を転がった。



「ほら! 早く立ち上がって逃げろ! 僕じゃあ、この魔物を一秒だって足止めする事は出来ないぞ! このデカブツが状況を把握し切る前に逃げねえと僕の犠牲は丸っきり無駄になる!」

「な……、一体何のつもりだい!? 死にたいのか!?」

 カルマは状況を把握しようと声を張り上げるが、僕は苛立った表情を向けた。



「そうだよ、死にたいんだ! 僕みたいな自殺願望者放って置いて早く逃げろ! 仲間だってまだ生きてんだろ!? テメェみてえな糞イケメンが自分より先に仲間を死なせる訳がねえもんな! 早く仲間を背負って魔法でも何でも使って逃げてくれよ! 早く!」

「そ、そんな――――」

「早くしろォ!」

 僕は鋭い叫び声を『勇者』にぶつけた。



 何故なら僕のような『村人A』が出来る事など、つまらなくも役に立たない言葉を口にする事だけだからだ。


 魔物の鼻息を身近に感じた。悪魔のような――いや、悪魔そのものである鋭い眼光が僕を睨み付けた。赤い目から放たれる視線が僕を貫く。僕はダガ―ナイフ片手で虚勢を胸に悪魔へと対峙する。



 魔物もようやく状況を把握したようで、完全に身体をこちらへと向けた。彼が振り上げた右腕はぎりぎりと縄を締め上げるが如き音を響かせる。



 次の瞬間にも僕は血と肉の塊になるだろう。むしろ破片だってあの凄まじい膂力で撫でられれば残らないかも知れない。死は間近に迫っていた。


 視界を閉じる。死を舐める事が出来そうなくらい近くに感じて僕の眼光の裏側辺りに幼少の記憶がチラついた。その記憶の中に居るのは――――幼き日の僕と一人の少女だった。



 ――――刹那。僕の四肢はバラバラに消し飛んだ――――かと思ったが、閉じていた目を開けた時、僕の四肢はまだ身体に付いていて、そして何一つ欠損などしていなかった。



 不思議に思った僕は視界を上げる。


 目に映ったのは先程まで振り上げていた筈の右腕、その肩から先が切り離され、血を噴水のように噴き出し憤怒の叫びを上げる悪魔の姿だった。


「…………何が…………どうなっているんだ…………」

 僕は訳も分からず、寄る辺ない声を上げる。



 その時、


「動かないで下さい」

 と後ろから覚えのある声が聞こえた。僕は後ろを振り返る。



 視界が捉えたのは長剣を片手に佇むクレアの氷のように冷めた表情だった。


「……本当、世話がかかりますね、貴方は。まるで手のかかる家畜を飼っている気分ですよ…………」

「家畜って……。最後には食べられちゃうのかよ……」

 僕が見当違いなツッコミをしている中、クレアは針のような眼で魔物を見つめる。猛り狂った悪魔は闘志の炎で目を真っ赤に染め上げ、残っている左腕を振り被った。瞬間、左腕とついでに翅までも悪魔から引き千切られた。悪魔は痛みで呻く。



 気付けばクレアは左腕を真っ黒に染め上げていた。否。左腕に何やら黒っぽい霧のような『何か』が纏わりついていた。黒々とした何かは収束を始め、一つの大きな刃になったかと思うと、凄まじい速度で魔物へと飛んでいく。黒い刃は魔物の捻じれた角を片方、斬りおとした。


 まるで見た事の無い魔法だった。僕は別段、魔法に詳しい訳でも何でも無い。だが僕も中々に痛々しい少年時代を過ごした身。伝説や神話に憧れない訳では無い。圧倒的な破壊力を誇る魔法や術式は原理こそ全く知らないが、それでも耳にした事くらいはある。



 しかしながらクレアの魔法はそのどれにも属さないものだった。……いや、そもそもこれは魔法なのか? 黒色に薄らボンヤリと輝く魔法なんて聞いた事も無い。


 両腕を失った巨躯の魔物は大きく息を吸い込んだ。瞬間、赤い息を吐く。灼熱の吐息が僕らへと襲い掛かった。対するクレアは長剣を振るう風圧で炎を掻き消すと、一歩一歩悪魔へと歩みを寄せる。


 巨躯の悪魔は雄叫びを上げた。それがもしも僕らにも伝わる言語であれば多分、聞こえたのであろう。



 ――――――命乞いをする、悪魔の咆哮が。



 クレアは情け容赦無く、悪魔を横一線に一刀両断した。山羊の頭は暫く痙攣していたが、やがて目に光を失くしていった。


「…………お前は、一体」

 僕は思わず驚きとも恐怖とも尽かない声を漏らした。




 クレアは只々、長剣を背中に背負い直して、無表情を浮かべるばかりだった。

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