170.上の世界
[はいちょっとそこのお兄さん! ちょっと見ていって! ほら! この全自動湯沸かし機! お兄さんみたいなかっこいい人に絶対似合うよ!]
露店で呼び込みをしている犬のような耳をつけた男にしつこく絡まれたので軽く睨みつける。すると男は勧誘をやめるがすぐさま次の客へと売り込みをかけていた。何が全自動湯沸かし機だ。ただのポットじゃねぇか。もうこれで4回目だ、いい加減面倒になってきた。
[お兄さんお兄さんこの布……ヒャッ!?]
いい加減にして欲しい。俺はこんなとこに時間をかけてられないんだよ。さっさと城に殴り込んでやる。
この国……獣人帝国キュマイラは魔王城を境目に分断した大陸の北半分にある国だ。俺が元々転移してきた国……グリモリア王国は南側の大陸で、魔王城があることによって南北の交流はほとんどないらしい。
キュマイラ帝国とは南の大陸では存在しなかった獣人が住う国だ。国中あらゆるところに耳や尻尾、他にも明らかに人間とは思えない器官を携えているものが多くいる。爪とか複眼とか。
その国を俺が今から滅ぼす。
[そこの兄さん、ちょっと落ち着けよ。]
そう意気込んで足に力を入れる。するとまたわけのわからない輩にに呼び止められ殺気を込めて睨み返す。
[おー怖え怖え。そう睨むなよ。ちょっと話がしたいだけなんだから。]
しかしそいつは怯むことなくむしろ両手を上げて涼し気に会話を続行しようとする。
[しっかしまぁそんなに殺気ふりまいてどうしたんだい? 周りの人達が怯えちまってるじゃねぇか]
[知らねぇよ。怯えて近付かないなら好都合だ。お前も早くどっか行け]
[とりつく島もねぇなぁ……そんなこと言わずにもう少しお話ししていこうぜ? それとも何か急ぐ用事でもあんのかい?]
[それは……]
[じゃあ決まりだな! あ、俺の家この近くなんだよ。折角だから寄っていけ。]
男に無理やり手を引かれて家まで連れて行かれる。汚らしい家だった。古びた木造りの一軒家は日本だと簡単に地震で崩れてしまいそうな家だ。
[ほら、ここだ。汚ねぇ家だけど上がってけ。茶くらい出すぞ]
[……チッ、少しだけだぞ。]
古びた家だったが内装は意外に整えられていた。多少ホコリっぽさは感じられるものの余計なものがないことで汚くは感じない。ただただ古い家といった印象だ。
[それで? お前どっから来たんだよ。冒険の話とか聞かせてくれよ。]
男は俺を椅子に座らせ二人分の飲み物を机に置く。そして机の対面に座り、グラスを持ち軽くこちらのグラスとぶつけ小気味良い音を鳴らす。
[話すようなことなんか何もねぇよ]
[何もないってこたぁねぇだろ。どんな話でもいい。俺人の話聞くの大好きなんだよ。なぁ〜話してくれよ〜誰にも言わねぇからさ〜]
男が俺の手を掴み擦り寄るように頼み込んでくる。なんとなく気持ち悪かったからその手を振り払い飲み物を飲む。茶とか言ってたくせにこれ味ねぇじゃねぇか。
[なっ? なっ? どっから来たのかとかくらいでもいいからさ?]
[わかった。話すから離せ。いちいち手を掴んでくるな。]
振り払っても振り払ってもしつこく手を掴んでくることに苛立ち話し始める。といっても大したことは話していない。ここから遠い国と前置いて学校に通っていたときのこと、そして魔法でこの辺りに転移してきたとそれだけだ。嘘ではない。
そしてこちらの話をする流れでこの男からも結構おもしろい情報を引き出すことができた。
・北の大陸にある国は全部で4つ。内訳は人間の国が2つにここ獣人の国が1つ、そしてエルフの国が1つだ。
・転移魔法の使い手はほとんどいない。いたとしても国がほとんど保護している。
・この国……というよりこの辺りの国には『ミスリル』と呼ばれる鉱石で作られた武具がある。その武器の威力は抜群で、その武器を使えば魔物とも魔法なしで渡り合えるし魔道具と呼ばれる特殊なアイテムを作ることもできる。
[いやー面白い話を聞かせてもらった。転移魔法なんて在野には残ってねぇだろうしもしかしたらそりゃどっかの国お抱えの魔法使いがやったのかもな。]
[そうかもな。なかなか楽しかったよ。もうこの辺りでいいか?]
飲み物を飲み干しグラスを机に置く。しかし手が震えグラスを転がしてしまった。
[あ……すまな……い……?]
ちがう。これは……てだけじゃ……
[いやよかった。なかなか眠らないからもしかしたら薬が効かないタイプの魔人かと思ったよ]
おま……え……はめやがった……
坂本が最後に思ったことは言葉になることなく容易くその意識を手放す。それと同時に部屋中に隠れていた数人の男女が彼の体を抱え、家の地下へと運んで行った。