169.堕ちた勇者
新章突入
「……くだらない。今度こそ殺すって言っておきながら結局殺せないんじゃない。」
華美な装飾の何一つない部屋、しかしそこに満ちる異様な空気によって荘厳さの保たれた空間。そこで坂本からの報告を聞いて少女はため息を吐く。
「……力量では俺が勝っていました。でも……潰せなかった。今あいつを潰したら、俺の戦う理由まで潰してしまうような気がしたんです。」
「……ハハッ、バカじゃないの? あなたがそんなものを選べる立場だとでも? 何なら今ここでその理由とやらを潰してもいいのだけれども?」
そう言うと女性は懐からナイフを取り出し自らの首筋に当てる。それを見た坂本は止めようと動くが、それよりも速く女性は一瞬の躊躇いもなく自身の首を切り裂く。
「お前っ……!」
「どうやら我が甘すぎたせいか勘違いさせていたようだな。愛するものを見殺しにするか、その他全てを自らの手で打ち壊すか。最初から貴様にはそれ以外の選択肢などないのだ。」
女性は首から血を流し、顔色が悪くなるもそれを気にした様子もなく語り出す。先ほどまでの無邪気な表情ではなく、冷たい目で坂本を見下す。
「……ッ! すいません……でしたッ……次こそは必ず……」
「ふふ、分かれば良いのよ。私は寛容だからね。二度の失敗ならこの程度で許してあげるわ。こういうのをあなたの世界では仏の顔も三度までと言うのだったかしら?」
先ほどまでの表情から一転、柔和な笑みを浮かべた女性はそう言うと、首筋の傷を指でなぞる。すると流血は止まったが、顔色は変わらず、傷跡も残ったままだ。
「じゃあまたこの体任せるわ。せいぜい次までに養生させておくことね。」
「……はい。」
すると女性の体から何かが抜け落ちたかのようにその体が崩れ落ちる。それをわかっていたかのような反応で坂本は彼女の体を支え、優しく抱きかかえる。
「……あれ? 坂本さん……私……なんでこんなところに……」
「気にしなくていいさ。それよりも顔色悪いよ。何か食べるもの探してくるから部屋で寝てな。」
「え……わわ、ホントだ。なんだか体がすっごくだるい……」
少女は坂本に抱えられていることに気がつき、顔を赤くして離れる。そしてふらふらと立ち上がろうとするが、足元がおぼつかずうまく立ち上がれない。
「……いや、やっぱり部屋まで送るよ。」
坂本は屈み込み、少女の足を持ち上げ抱え上げる。
「うぅ……お恥ずかしい……でもありがとう。やっぱり坂本さんは優しいね。」
「ははっ、そんなことないよ。」
「ううん。本当に優しいよ。あの時も……」
坂本が少女を部屋のベッドへと丁寧に運び、寝かせる。
「じゃあ、俺がいるとゆっくりできないだろうから。ゆっくり休むんだよ。」
「うん、ありがとう。坂本さん。」
坂本は少女の頭を優しく撫で、彼女に微笑みかける。そして彼女の部屋から出て少し歩き、坂本は廊下の壁を力一杯殴りつけた。
「くっ……そがっ!!」
「今日は一段と元気がいいな、我が従僕よ。」
「……何の用だ、ジジイ。」
怒気を隠さず荒れ狂う坂本の目の前にはいつのまにか老爺が立っていた。坂本の殺気とも呼べるほどの気に充てられながらも、その老爺は気にした様子もなく語り続ける。
「何用とは随分な物言いであるな。儂がお主に声をかける意味など一つしかないだろうに。」
「……チッ、今度はどこだ。」
「キュマイラ帝国。彼の国はなかなかの精鋭揃いでな。まあ貴様程度なら丁度いいだろうて。」
「……わかった。その間は……」
「言わずとも良い。魔王との約定じゃからの。あの娘の体は守っておいてやる。」
「手ぇ出したら殺すぞ」
「クックッ……あまり粋がるでない。あまりそのような傲慢な態度を取られたらうっかり殺してしまいたくなるではないか……のう?」
坂本の首筋に老爺の腕が迫る。その腕はまるで見た目通り老人の挙動の如き遅さで迫るが、坂本は回避することすら叶わず首を掴まれる。一度固定した老人の腕は、まるで万力の如く少しずつ坂本の首を締め、その爪を首筋に食い込ませていく。
「なんと……言われても曲げられるかッ! あいつは……香織は俺が……」
全身から脂汗が流れる。心の奥底から震え、恐怖する。しかし霧散しかけた勇気をかき集め坂本は老爺の腕を掴み抵抗した。それを見た老爺はふぅとため息を吐き、その手を坂本の首から外す。
「まあよかろう。龍たるもの最低限のプライドは必要だ。それすらなければここで殺しておったわ。」
「一緒にすんな。俺はただ香織を……」
坂本はマントのフードを深く被り、魔王城の窓から飛び降りる。普通ならそのまま地面に叩きつけられ、死んでしまうほどの高さであったが老爺は気にする様子もなくその場から立ち去っていく。
その日、魔王城の紫色の空から一対の禍々しい羽を生やした男が地上に降り立った。
時系列的には翔太が魔王城を去った後です