124.二つの愛
「はっ……はっ……嘘……だろ……」
辛くも坂本に勝利した翔太は地下通路を必死に走りぬけた。身体中の切り傷は図らずも火傷によって上書きされていた。血こそは流れていないが、十分な重傷だ。致命傷と言い換えてもいいかもしれない。それが翔太でなければ。
全身の痛みも、筋組織の断裂も。翔太の足を止める障害にはなり得なかった。体が壊れても鍛え続けてきた。壊れた身体で戦い続けてきた。壊して壊して壊して壊した体をさらに壊されてもまた立ち上がり、前に進んできた。その異常な精神力で持ちこたえてきたものの、彼の体はとうに限界を超えていた。それこそいつ死んでもおかしくないほどに、文字通り死に隣り合わせの状態だった。それほどまでの犠牲を払ってでも、助けたかった。
「それなのにっ……」
目の前の光景から、翔太は目を反らせない。周りから聞こえる勇者たちの声も、口の中に充満する血の味も、気づかなほどに目の前の光景を注視する。
この場にたどり着いた瞬間に磔にされていたゆきを助け出した。それは良かった。しかしすでに遅かった。虚ろな目のゆきをその手に抱きしめても、必死に語りかけても、何をしても返事がなくその体は地下の風に当てられ冷たく冷え切っていた。
「ゆき……」
勇者達の叫び声の中、消えそうなほどの声で語りかけるもゆきの反応はない。変わらず虚ろな目で虚空を見つめるだけだ。それでも翔太はそんな現実を認めない。認められない。
「助けに来たぞ……ほら、あの時約束しただろ……お前を助けるって。」
果たすつもりだった、果たされなかった約束を翔太は口にする。あの城で、二人で交わした約束を。
「……なんで黙ってるんだよ、遅くなったことは……謝るよ……ごめん……だから……返事をしてくれよ……また……俺に笑いかけてくれよ……」
翔太の体から体温が奪われて行く。両腕はもうまともに動かず、足にも力が入らない。地面に座り込んだまま、ゆきに語りかけ続ける。
「俺……お前のことが大好きなんだよ……ほんとにほんとに……大好きで……」
何を言おうと、ゆきの顔に感情が蘇ることはない。あの可愛らしい笑顔も、澄んだ綺麗な声も。それでも翔太は諦められない。諦めるということを許せなかった。
「だから……死なないでくれよ……ゆきっ!」
ボロボロの翔太から、血の入り混じった涙が零れ落ちる。その涙がゆきに触れる。普段なら見落とすほどのその些細な現象を、誰もが注視した。そして期待した。奇跡が起こるのではないかと。そして皆が信じた奇跡が引き起こされる。涙に触れて、数瞬後、かすかながらゆきの目に生気が宿り、翔太を見る。
「は……はは……よかっ……」
そこから先の言葉を翔太が話すことなく、翔太は倒れこむ。激しい勢いで地面にその身が叩きつけられるも、最後まで彼はゆきを見ていた。
次に翔太が目を覚ましたのは、懐かしいあの空間だった。しかしかつて見たその場所からはイメージできないような場所だった。
白一色だったその空間には、至る所に罅が走っており、かつて感じた神秘的な雰囲気は消えていた。
「はは……まさか最後の最後で繋がるとはね。これはもう運命のようなものを感じるよ。」
そしてそこに立つ存在も小さく、消え入りそうなほどうすくなっていた。軽口を叩くが、あの時の余裕のある笑みは消え、真剣な顔で翔太を見る。
「最後……どう言うことだよ! それになんで俺死んで……」
「その辺も説明するからまあ落ち着きなよ。大サービスだ。隠してたことも全部教えてあげようじゃないか。」
そう言って目の前の存在が語り出す。
「それじゃあまずはなぜ君が死んだのかだけど……衰弱、極度疲労、炎症……いろんな重症もあるけど1番の理由は生命エネルギーの枯渇だよ。」
「生命エネルギー……?」
「ああ、わかりやすく言うとHPだね。ステータスを失ったとはいえ君にだってそれはしっかり内包されている。」
「……意味がわかんねぇんだけど。じゃあなんのためにステータスをなくしたんだよ。」
「可能性を広げるため……だね。ステータスが定められているということはこの世界の理に則って成長する。それはつまりどれだけ努力しようと限界が定められているってことなんだよ。」
咳払いをした後、少し長くなるけどと前置きをし自称神が語り出す。
「でもステータスを取り払った君は人間の理の外……神の領域と言ってもいい。そのステージで成長している。限界もないが決められた成長もない。意思の力で成長することができる存在だよ。」
「大体考えても見てごらんよ。普通の人間が腕が折れても剣を振り続けることができるかい? 体を焼かれ神経が焼き切れても戦うことができるかい?」
「それを可能にするために君のステータスを失わせた。ステータスというのはつまり明確な指標でHPがこれだけ減ったら死ぬ、肉体的疲労が発声すると筋力や素早さが減って身体能力が低下する。でも君にはそれがないんだ。」
「どれだけ肉体が披露しようと、傷を負っても意思の力と生命エネルギーを使うことで戦い続けられる。仮に生命エネルギーが失われたとしても僕が補充することで蘇ることができ、無限に戦える……はずだった。」
「はずだった……ってことは……」
自称神が力なく微笑む。
「うん。もう僕にエネルギーはほとんど残っていない。もうまともに神としてやっていけないほどにね。」
そう話す自称神の体がひび割れる。周囲の景色と同じように、一つのひび割れから連鎖的に崩れていく。
「なんでそんなに……俺を生き返らせたからか?」
「あはは、違うよ。人を生き返らせるなんて何万回繰り返しても問題ない……それでも何百万、何千万と繰り返されたら話は別だ。」
「何百万……? 俺はそんなに……」
新しく湧き出る疑問を自称神が手で制する。そうする間にもその体のひびは広がっていく。
「いいかい、もう時間がない。重要なことだけを君に伝えるから、自分で必要な情報だけを咀嚼してくれ。」
「神城ゆきは僕の分体だ。現魔王は分体を殺し、蘇生させ続けて僕のエネルギーを削いだ。不死勇者を生み出す僕を排除するために。」
いきなり発される事実に、翔太は戸惑う。しかしそれを無視し、自称神は話を続ける。
「その目論見は見事成功したとも言えるし失敗したとも言える。事実僕のエネルギーはほとんど枯渇し、もう生命活動すら困難なほどだ。ただ……現魔王にも一つだけ誤算があった。」
自称神が翔太の顔を両手で包み込む。その動作は愛おしいものを包み込むように優しいものだった。
「それが君だよ。本当にギリギリだった。あと数秒遅れていたら間に合わなかった。それでも君が僕の分体を解放したことで僕のエネルギーが少し残った。それは神としてあってないようなものだけど……人一人を生き返らせるくらいはできる量だ。」
「現魔王の狙いはこの世界の破壊。僕はそれを防いできた……けどもう無理だ。僕が落ちたらこの世界は滅ぶ。」
「だから最後、君達に託す。僕の権限はほとんど神城ゆきに譲渡してある。どうか彼女を守ってくれ。この世界の……いや、君の愛するもののために。」
自称神が微笑むと、その両手から翔太へと温かいものが流れ出す。そしてそれと同時に神の体の崩壊が加速していく。
「おい! それ以上やったら……」
「いいんだよ。もう僕は十分生きた。かつての仲間達がいなくなって、それでも生きてきた。」
神が翔太の目を見て、笑う。その笑顔はとてもこのまま消えゆくものとは思えず。
「だからもうこれでいいんだよ。僕の命、君に託す。さよならだよ。」
翔太の姿が消えていく。神は最後の力を使って、翔太を自分より早くこの世界から追い出しにかかる。そして翔太の首から下が消えた頃、彼に笑いかかる
「……ま、それだけが理由じゃないんだけどね。もう一つの理由は……君ならわかるさ。」
「待てっ……フォルセティ! まだ聞きたいことが……」
「初めて名前で呼んでくれたね。ふふ……悪くない気分だ。」
必死の問いかけも虚しく、翔太の姿が搔き消える。そして翔太がいなくなった世界で、神は一人呟く。
「神城ゆきは僕の分体だ……僕と彼女は神としての中枢である心もリンクさせている。……まあ、つまりそう言うことだよ。バイバイ。翔太。」