第7話 灯火
私よりはるかに高い背の後ろ姿を見つめる。彼女は誰なのだろう。
足早に歩く彼女に、必死に足を動かしながらついて行く。しっかりと腕は掴まれたままだ。人通りの多い道を通ることはなく、細くて狭い路地裏を会話なく手を引かれるままに進んでいった。
しばらく歩くと、裏口らしき扉の前で彼女の足は止まった。すばやく開錠し扉を開いたかと思うと、私はそのまま中へと押し込まれ暗闇へと飛び込んだ。
彼女は道中しきりに辺りを気にしていて、今も裏口の周辺を確認してから室内へと入り早急に扉を閉めて鍵をかけた。人通りの少ない道も、選んで進んでいたのだろう。
「はい到着、お疲れさん。」
そう言うと彼女は室内に明かりを灯した。ほのかなオレンジ色に私たちは照らされ、私はその時初めて彼女の顔を視認した。
目鼻立ちの整った、美しい女性。どこか儚げながらも、鋭さを纏っている。しかし浮かべられている笑みは柔らかなものだ。
ただ立ち尽くす私から、彼女は雫の落ちる雨合羽を剥がし取る。その時、揺れた彼女の長い黒髪から、ほんのりと甘い煙草の香りを感じた。私はとっさに視線を逸らす。
おそらく、ここは喫茶店。雰囲気の良い小綺麗な内装の店内を眺めていると、突然ぐらりと私の視界が大きく揺れた。しかし私の身体は床に叩きつけられることなく、彼女にすばやく受け止められる。
「悪い。ちょっと無理させたね。本当はここまで抱えて連れて来てやってもよかったんだけど、結構目立つだろう?それにこの雨だったしね。」
そう笑いかける彼女に支えられながら、私は近くの椅子に腰を下ろした。
「でも驚いたよ。そこまでになっても、動けるもんなんだね。」
まるで全てを理解しているかのように彼女はそう言った。彼女が何かを知っているんだと私は直感する。
そんな私の心境を察してか、彼女は立ち上がりこう切り出した。
「よし、とりあえずまずはお互い自己紹介でもしようか。私はコノハ。普段はここの店主をしてるんだ。」
見上げた先の彼女の笑顔に、私は突如違和感を覚える。それは懐かしく、忌まわしいもの。その正体に気づくのに然程時間はかからなかった。
「そして、私とあんたは『同じ存在』だよ。」
瞳。
真っすぐにこちらを見つめる彼女の瞳の奥にある、冷たく蠢くもの。私はそれを知っていた。
「同、じ……?」
酷く掠れた声が自然とこぼれる。
「その様子だと、あんたも同類には会ったことないみたいだね。私だってそうさ。実際に、しかもこんなに近くに、自分と同じ状況におかれたやつがいるとは正直思っていなかったよ。」
そう言うと、彼女は徐に煙草を取り出しマッチで火をつけた。深く吸った息と共に吐き出された揺らめく煙を、私は自然と目で追っていた。
自分が何者なのか、知る術は今までどこにもなかった。けれど、「人間」ではなくなって、「異常な存在」になったこと。それだけは確かに感じることができていたのだ。
「お互い、どこまで自分の状況について分かっているのか、情報の交換をしたいと思ってね。」
「ま、待ってください……。私、何もわからないんです。どうしてこんなことになったのか、何もっ……。」
うろたえる私を、なだめるように優しい口調で彼女は言う。
「落ち着きなって。私も、分かっていることの方が少ない。だからまず、ひとつだけ確認させてほしいことがあるんだ。そうだ、名前はなんて言うの?」
「……ミツルです。」
「よし、ミツル。単刀直入に聞くよ。」
混乱と、緊張と、恐怖。自分を落ち着かせようと、いつの間にか荒くなっていた呼吸を正そうとする。苦しい。いつもそうだ。こんなことになってからは、ずっと苦しかった。
知ることを拒んでいた。あえて見ないようにしてきた。逃げきれないのを分かっていて、それでも逃げ続けた。すぐそばにある絶望を、受け入れることができないほどに私はどうしようもなく臆病だった。これまでずっと、そしてこれからも。
「“死”を、覚えているか?」
あの日の夜に終わった私と、あの日の夜に始まった私。
幻ではなかったのだ。命の灯の消える、あの感覚は。
私は、「死」を覚えている。