第4話 臭気
「ほら、暗くなる前にそろそろ帰んなよ。」
「うわっ、もうこんな時間?」
窓からは夕日が差し込み、店内を緋色に染めていた。
「物騒だし、夜道は歩かないようにしたほうがいい。雨の日は特に……。」
「わかってますって。心配性だなぁコノハさんってば。それじゃあごちそうさま、また来るね!」
出入り口で笑顔を向けながらひらひらと手を振る彼女に、溜息を吐きながら軽く手を振り返し見送る。彼女の後姿が遠くなったのを確認した後、店内に戻り片付けに取りかかった。
『静かで平凡な街』。
ここをそう呼べたのは少し前までの話だ。
最初の犠牲者が出たのは先々月。その後も一向に犯人が捕まる気配はなく今回で犠牲者は3人目、その全員が若い女性だ。雨の日の夜に惨劇は繰り返され続けている。
誰が、どうやって、何のために?
私だってこの事件に関心がないわけではない。むしろ日々募っていく煩わしさに頭を抱えているのだ。
ただ、”犯人を知っている”私にとって、人々の間で飛び交い恐怖心をかき立てている様々な憶測などは些細なことに過ぎなかった。引っかかるのはもっと別の事柄だ。
あれは酷い雨の夜。
偶然通りかかった路地である匂いと出くわし、生まれつき敏感な私の鼻は瞬時にそれが何なのかを察知する。
言葉ではとても言い表せないような強い悪臭。独特な香水の香りのようなものも混ざっているようだ。
そして何よりも際立つ血液の匂い。
無視することのできない忌々しく不快な気配を帯びたそれらを頼りに追っていくと、暗闇に紛れた細い道に辿り着いた。
はっきりとは見えないが、少し先の道の脇に人が倒れているようだった。その傍らにはもう一人、何者かが佇んでいる。
私は壁に身を隠し息を潜めながら、褪せた街灯が不気味に照らす仄暗いその光景に目を凝らした。
横たわる人物を見下ろす、小柄なその後ろ姿。全身を覆っている雨合羽が容姿を詳細に把握させないよう阻害している。
私は息を呑みながらも、その異様な現場から目を離すことはできなかった。
次の瞬間、立ち尽くしていたそいつはゆっくりと右腕を振り上げる。小型の斧のようなものがその手には握られていた。
それは素早く振り下ろされ、鈍い響きが雨音の中へと吸い込まれ溶けていく。そして拾い上げた”何か”を抱え込みながら、その小さな影は夜闇へと駆け、消えて行った。
雨脚は激しさを増す。降り注ぐ雫により冷たくなっていく亡骸と、刻みつけられた残り香。それらは私にこの惨劇が事の発端だということ告げていた。
あの日、漂う悍ましさに導かれ出会ったその狂気はこの街から静寂を奪い取った。しかし同時にそれは私にとって大きな転機の訪れとなる。