第3話 懸念
降りしきる雨。
薄暗い路地裏。
うつ伏せに横たわるのは、若い女性の遺体。
彼女の後頭部には大きな裂傷があり、左腕は肘から切断されている。
傷口から流れ出ていく大量の鮮血は雨水と混ざり合い、あたり一面を赤く染め拡がっていった――――――
「そうそう、また出たらしいね!例の殺人鬼!」
突然思い出したかのようにそうこちらに語りかける彼女の瞳には好奇心が満ち溢れている。人の不幸は蜜の味、とはよく言ったものだ。
「先月に続いてこれでもう3人目!ほんと、物騒だよね。現場だってすぐそこらしいよ!」
「随分と楽しそうじゃないか、サエ。」
私は溜息を吐きながら淹れたてのコーヒーを彼女へ差し出す。カップを受け取ると早速彼女は砂糖の瓶へと手を伸ばした。
「まさか!近所でこんな気味の悪い事件が起きてるんだから嫌でも気になるじゃない。犯人だって全然捕まらないし……怖いに決まってるよ。」
コーヒーへ大量の砂糖を投入し、念入りにティースプーンで攪拌すると彼女はようやくカップに口をつけた。
「相変わらず酷い甘党だね、少し控えたらどうなの。身体崩しても知らないよ。」
「いいのいいの。人生楽しんだもん勝ちなんだから。美味しいものはより美味しく楽しみたいもん。私コノハさんの淹れてくれるコーヒー大好きなの。」
常連客の一人、サエ。近所に住んでいるOLで、仕事が休みの日にはたまにここへ足を運び長時間入り浸っていることが多い。
こういう小さな喫茶店では馴染みの客と親しくなるのは珍しいことではないだろう。それほど来客の多い店ではないが、様々な客層の人々との交流は私の日課のようなものになっている。雑談好きで真新しい話題に敏感である彼女とは特に、幅広い会話を交わす仲だ。
まぁ、ここ最近はやはりこの話で持ちきりだ。
「コノハさんはさ、どんなやつが犯人だと思う?」
「またその話か……。」
「こういうの考えるの楽しくて好きなんだよね。」
不謹慎なことを言っているという自覚は無いような様子でそのまま彼女は続けた。悪意はないのだろうが、どこか事を軽んじている口ぶりだ。彼女にとってはこれも些細な世間話にすぎないのかもしれない。しかしこの奇妙で残酷な出来事はほんの身近で起きていて、決して他人事ではないはずだ。もう少し動揺や恐怖が色濃く出ても良いように思う。
「通り魔的だろうけど、なんでわざわざ雨の日ばかり狙うんだろう……。」
「さあ、どうなんだろうね。」
「もー、なんでそんなに興味なさげなの?」
「私たち素人があれこれ考えたって仕方のないことじゃないか。何もわかりっこないんだし、犯人を追うのが仕事なわけでもない。」
「そりゃそうですけど!相変わらずドライだなあ。コノハさんは怖くないの?」
不満げな表情で彼女は素朴な疑問を投げかけてきた。
グラスを磨く手を止め、私は一瞬の沈黙の後に答える。
「もちろん怖いさ……とっても。」
静かで平凡だったはずのこの街で起きている連続殺人事件。
日常を脅かす不穏な影は瞬く間に這い寄り浸透していく。それが己の足元まで及んでいることに気付いた時にはきっと、もう逃れることはできない。