第2話 残痕
初めてこの小屋のベッドの上で目を覚ました日。
かすむ視界と意識が徐々に明瞭になると、ここが見知らぬ場所だということをようやく認識した。周りを見渡し、様子を窺うために私はそっと立ち上がり、進んでいく足に導かれるまま室内を彷徨う。
他に誰も人はいない。たった一人、ここには私だけがいた。
質素な作りで薄暗くどこも蜘蛛の巣や埃にまみれていて、大きなテーブルの真ん中に飾られた花は枯れ果てている。人が住んでいる気配は感じられないが、必要最低限の家具や日用品は揃っているようだ。昔は誰かがここを利用していたのかもしれない。窓から外を覗くと周りは一面木々で覆われていた。
寝室らしき部屋にはアンティーク調の上品な家具が揃っており、タンスの中には女性物の古びた衣服が数着入っていた。その隣に並ぶドレッサーの鏡の前に置かれた小さな瓶に目が留まる。小瓶の蓋を開けると、優しく甘い花の香りが仄かに漂った。心地よさに惚けているうちに思わず手から滑り落としてしまった蓋を屈んで拾おうとすると、ドレッサーの下に小さな引き出しを見つける。鍵がかかっていて開かない。辺りを探してみたが鍵を見つけることはできなかった。
部屋中を歩き回った私はベッドまで戻り腰をかけて一息つく。なんだかひどく疲れてしまった。
身体のあちこちに巻かれている血の滲んだ包帯を取り外して確認すると、そこには縫合された大きな傷跡がいくつもあった。しかしそのほとんどは既に塞がっている。痛みはないが妙に身体が重く、怠い。
私は何故ここにいるのだろう。ここはどこで、どれほど眠っていたのだろう。
目を閉じてあの夜のことを思い出す。ほとんどが曖昧な記憶の中で、鮮明に焼き付いている断片が頭を過った。
動かない体。流れ出ていく命。
冷たく硬い地面に散らばったまま眺めた、あの欠けた月の輝く夜空。
そして、確かな「死」の感触。
あれは、幻だったのだろうか。
私にそれらを教えてくれるものはどこにもない。
鈍った思考。頭が重い。次第に膨れ上がっていく眠気は追及することを放棄させ、意識を攫おうとする。この部屋から微かに感じる違和感さえも容易く奪われた。
ここはどこか寂しげで空虚だ。それなのにどうしてこんなにも心が落ち着いてしまうのだろう。ほんの一刻だけ私に許された安らぎの空間。たとえやがて全てを否定されることになるとしても、この静寂が今だけは迫り来る喧騒や焦燥から掻き乱されないよう私を守ってくれる。
そんな錯覚に囚われながら、私は甘美な微睡みへ身を委ねた。