クレヨンの思考
私は白色のクレヨンだ。
存在意義がない。
◆
16色のクレヨンはいつも仲良く箱のなか。
「おはようきいろくん。あたま出てないけど大丈夫?」
「やあちゃいろくん。そうなんだよね、きのう夜空をかいたから。お月さまには骨がおれたよ。そんなちゃいろくんも似たようなもんだよ?」
「そうなんだよきいろくん。ぼくは木のみきにひっぱりだこだからね。」
「わたしをわすれてほしくはないなあ、ちゃいろくん。おうどいろも一緒にかつやくしただろう。」
「それを言うならぼくもだよ。こげちゃは土もかくからね。まったく毎日つかれるねえ。」
「ちゃいろーずはそろそろ紙をきってもらったほうがいいね。わたしはほら、こんなにきれいにきってもらったの。」
「あら、だいだいいろのあざやかさが良くひきたつわね。ももいろはすこし小さくなりすぎてしまったわ。」
「ももいろはほんとうに小さくなったのね。わたしとおなじくらいじゃない。」
「あかはマドンナだからなあ。みずいろとあおもさいきん大変だよね?あお。」
「そのとおりさ、みずいろよ。ぼくらはかげのこうろうしゃだと言っていい。」
「かげといえばはいいろ。わたしをつかってくれるようになった。うれしい。」
「はいいろはやっとわかってもらえたようだよね。ぼくもうれしいよ。」
「くろ兄なんてもう紙がまるごとないもんなあ!なあきみどり!」
「そうだねみどり。ぼくらもはやくああなりたいもんだ。」
「さいきんといえばぼくだよはだいろ!にんげんの時代がきた。」
「ほんとうね、はだいろはあっという間に小さくなったわね。わたしはお母さんの服の色にぬられっぱなしよ、まったくもう!」
「あっはっは!むらさきはそういうきゃらじゃないのにねえ!」
「あはは……」
◆
「みんないいなあ。しろはまださわってもらってすらいないのに。」
「何をいっているんだきょうだい。しろは何色にでもそまるんだぜ。」
それは紙のはなしなんだ。私は染める方のはずなのに。
「そういえば、となりのこ、雲にしろをつかっていたわよ。」
そうかもしれない。しつかん程度ならつけられるけれど。
◆
周りの子ははしゃぎながら使われていく。時々は外に放り出され順番が入れ替わることもしょっちゅうだ。
私はしずかに動かない。
白い巻紙にともだちが擦れて少しずつ汚れていく。
私はただひとり綺麗な形を保ったまま。
◆
「あれ、だれなの?」
「はじめて見ましたね」
傍に置かれたのは見慣れないプラスチックケース。
「こんにちは、クレヨンのみなさん。私たちは水彩絵の具と言います」
勢揃いした色たちは、私たちより多い24色。
「ああ、あなた。よろしくお願いいたします」
呼びかけられたのは白色のクレヨン。
「あの、なぜ、私に?」
「何をおっしゃるんですか。一番必要なのは貴方です」
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クレヨンの思考にとらわれるな。
クレヨンで描いた上から水彩絵の具を塗ると、クレヨンの油分が絵の具をはじいて絵柄を浮かび上がらせます。
これは「はじき絵」と呼ばれます。
もちろん、どの色のクレヨンでもできるのですが、絵の具を塗った時の感動で白色に優るものはないと思っています。