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02

 

今ある『現実』に追いついたと思ったあの日、困惑しながらも俺はその現状を把握するために、周りに関心を失いながら惰性で動いていた今までを振り返った。

 常に動きが遅く、近所の子供達と遊ぶにしても置いていかれてその背中を無感動に追いかけていた。

 歩みを合わせて手を引いてくれる少数の子供達とその背を追いかけたり、そうでなければ別の遊びをしながらというか遊びにつき合わされながらと言うべきか、そうして日々を過ごしていた。

 大多数からはウスノロだのトンマだの馬鹿にされつつ俺自身は特にそれに怒りもせずに受け流していた。

 その中でまあ子供の間でも住み分け、グループ分けが進んで俺は手を引いてくれた面倒見のいい、なんというかおしゃま?な子供たちのグループに所属している感じだったか?

 動きの遅い俺に配慮してか元々の趣向かは知らんが、主におとなしめな遊びを、おままごとみたいな遊びが多かったように思う。

 時々思い出したかのように俺を馬鹿にするガキ共がからかいに来て、それを追い払ったり、追い掛け回したりするのを眺め、時には俺も手を引かれて一緒に追い掛け回したりしていた。

 で、そんな日々を過ごすうちに手を引かれずともある程度ついていけるようになり、そのうち普通に追いつける様になっていた。

 ただ、別に積極的にはしゃぎ回って追い掛け回すような気分になるわけもなく、手を引かれて動くのは変わらなかった様に思う。

 しかし、同じ手を引かれるにしてもその意味合いがいつの間にか変わっていたような気がする。

 最初のうちは足の遅い俺を引っ張っていく、導いていく的なものだったのが、徐々に乗り気じゃない俺を引っ張っていく、促す的なものになったような・・・。

 なんか違うな、最初は面倒を見る的なアレだったのが最終的には子供が大人にあっちに行きたいと強請るような感じになったというか・・・。

 その変化と共に、今まで別々に遊んでいて偶に一緒に遊ぶ程度だった各グループが徐々に行動を共にするようになり出して、気がついたら大体皆同じところに居る事が多くなった。

 そう、大体の子供が一緒に遊ぶようになったのだ、何故か俺を中心にして。

 こうして振り返ると、実に自然な流れみたいじゃあないか。 つか、いつの間にか普通に他の子供と変わらずに動けるようになっている事を軽く流しすぎだろう俺。

 しっかし、なんだこれ、適当に流して遊びに付き合ってというか付き添ってというか、しているうちになんか被保護者から保護者に役割が逆転してるじゃねえか。

 いや、まあ、それはいいんだよ最初から一緒に遊んでた連中に関しては、だが。

 なんで他の連中までいつの間にか俺を中心に置いて一緒の場所で遊んでんのよ。

 なんだこの親戚の集まりで何人かの子供の面倒を見るのを頼まれて、テキトーに漫画なぞ読んだりしながら部屋で放し飼いにしてたら、気がつくと親戚連中の子供が全員居ました的な状況は。

 俺の今置かれている現状を把握しようにも、ガキ相手にどう尋ねたもんかサッパリだわ。

 いや、聞いてはみたんだけどね「何時から、なんのきっかけで皆で一緒のところで遊ぶようになったっけ?」とか「なんで皆が僕の周りに集まってるの?」とか聞いたさ。

 近くに居た一人の話しかけたのに何故か全員が俺を見てきて内心かなりギョッとしたが、尋ねた内容に一人残らずきょとんとされた。

 で、何故かわからないって顔を一様にしたのだが、それは『俺を中心に集まること』に関してではなく『何故そんな当たり前の事を聞いてくるのか』に対してわからない、という話だった。

 具体的に聞こうにも「でかい」「安心」「わかりやすい」「おっきい」「なんかすごい」だのと子供のいうことなんでイマイチ要領が得ないが、根気良く聞いてみて俺なりに無理くり理解というか解釈した。

 非常に納得できかねるが、ざっくり例えるならこやつらは常に『あのおっきな木の下のに皆集合』的なノリで俺の周りにいるらしい。

 ほほう、まるで大樹の下に包まれるような安心感とな、意識せずに我のこの偉大なる王気に惹かれ集ったか、よい、足元に侍る事を差し許すぞ雑草ども、ってか。

 ねーよ、断じてねーよ、そんな威厳だのオーラだのはこの動く生ゴミたる俺には1ナノフェムトも存在しねーよ馬鹿か、馬鹿なの?たわけなの?戯けなんですかあ?

 この戯けが!まるで稚児の如き愚かしさ・・・って多少の違いはあれどガキではあるな確かにそうなんだが、いやそうじゃねーよ、問題はそこじゃねーよ。

 いや、オーラだの云々は戯言としてもこのにじみ出る『前世』含めた酸いも甘いも噛み分けたヤングでアダルティな雰囲気がお子様方に大人と居るかのような安心感をご提供しているのやもしれぬ。

 いやいやいや、ないわ、同じくらいないわ。

 ヤングというにも諦観に枯れ落ちたやる気のなさに、アダルトというには吹けば飛ぶようなぺラい積み重ねのチリ屑にそんな厚みがでるわけねーだろうが。

 それでも経験?チリも積もれば山となる? ねーよ、チリってのは半端に積もったところで吹けば飛び散る埃の山だろうが。

 つーかなんだよ差し許すって、初めて使ったわ、そんな言葉がクソみたいな俺の残念なお脳のお味噌に含有されてたとは驚きだよってか雑草ってなんだよドンだけ我様発言なのよ雑草なんていう草はないって怒られてしまうぞどんだけ子供見下してんのよこのゾウリムシ野郎!

 おお、天に召します我らがGOD、私何か悪い事しましたでしょうか、え、産まれてきた事ですか?なんてこった、産まれてきてソーリー、神様産まれて来てソーリー略してカミソーリー、手首を掻っ捌いてこの命お返ししま、え、いらない?

 神は仰られた、ここで死なれても・・・うん、迷惑だと――。

 うん、めいわく略して運命だと――っ・・・!

 この日、運命に出会う。

 僕はここにいてもいいんだ――!



 アホか。



 なんか下らない、実に下らない思考をぐるぐると回して百面相しているうちに気がつけば日が翳っていた。

 自然と解散になったその場から結局なんら現状をまともに把握していないじゃないかと憮然としながら帰路に着く。

 家に帰り着くと微笑を湛えた母親が俺を迎えてここでも何か違和感が。

 この人こんな自然な柔らかい表情してたっけか? 以前は明らかに他所の子供達と比べて色々劣っている俺に、一部ってか大多数の人間から憐れんだり馬鹿にされたりいた俺に、悲しそうなそれでいてそれを表に出さないように取り繕った感じのぎこちない表情が多かった気がするのに笑顔、実に自然な微笑を浮かべておられる。

 そして、「今日も皆のこと見てあげてたの?偉いわね」なんて言って褒められ、風呂に入って来るように言われる。

 色々と困惑して思わず生返事になりつつ逃げるようにそそくさと風呂へ向かう背中越しに「もう、相変わらずねえ」と困ったように呟くのが聞こえたが、その声音はどこか柔らかく穏やかだった。

 今日何度目かわからぬ現状と俺の認識のズレに更なるモヤっと感を抱えて風呂に潜って考える。

 顔を湯船に沈めて、ブクブクと気泡を立てながら顔をしかめつつ、そのしかめっ面を揉み解しながら考える。

 子供連中もだが母親のあの感じも見るにやっぱり明らかに周りの状況が変化してるだろこれ。

 以前は他所の子と違う劣ったわが子に悲しいやら申し訳ないやら色々な感情を、それをできる限り出さないようにしつつ陰で泣いていた母親だった。

 想像じゃなく、実際に見聞きしたのだから間違いない。

 父親に泣きながら「私が母体として悪かったのではないか」と泣きながら謝り、父親のほうも「俺の種が悪いのかもしれない」とお互いに自分を責めていた。

 そして周りも似たような事を囁いているのを聞いて、俺も気が滅入って、申し訳なくて、違うそうじゃないんだと言い出せずに、それらから目を背けて、見ざる、聞かざる、言わざるを通していた。

 できるだけ迷惑がかからないように、当たり障りのないように、世話を掛けないように、余計なことはせず、言わず、こそこそとしているうちにそれが当たり前になり、最早何も感じず考えずに日々を流していた。

 家に居て何かを手伝おうとしても、他所と比べて劣った俺を見せると悲しませるかもしれないと外で他の子と遊べば、それはそれでやはり劣っているのが悪目立ちして悲しませる。

 でも、同じ悲しませるならまだ外で遊んでいたほうが迷惑にならないだろうと後者を選んだ。

 しかし、気がつけばなんだ? 子供達の間での俺の扱いが変わってるし、家の中の雰囲気も俺の知るものとなんか変わってるんですが。

 昔は、それこそ『前世』はどこぞの漫画の殺人鬼みたいに植物のような平穏が素晴らしいとかのたまっていた気がするが、幾らなんでも外界に無関心が過ぎるだろ先日までの俺よ。

 そんな事を考えながらうんうんと唸っていたが、それも長風呂を心配する母親の声で中断した。

 色んな意味でのぼせ上った頭のままにぼさっとしたまま風呂を出ると、夕食の準備が整っていた。

 食卓には何時の間にやら勤めから戻ってきたらしい父親の姿もあり、やはりというかなんというかこちらも穏やかな表情で俺を迎えた。

 既に物理的にも心理的にもオーバーヒート気味だった俺は考えることを放棄して父親への労いもおざなりに食卓に着き、もそもそと飯をほうばった。

 ああ、なんの料理かも良く知らんがうめえなあ、とか思いながら飯の種類にも味にもろくすっぽ関心を向けていなかったのだなと思い至り、一体今日までどれだけのことをスルーして来たんだと再びなんともいえない気持ちになった。

 両親の会話に耳を傾けながら黙々と飯を食い、時々振られる話題に適当に相槌などうちながら食事は進む。

 ふと、会話が止まっているのに気がつき顔を上げると二人の視線が俺に集中している。

 一体何事かと首を傾げると、「今日は何かあったのか?」などと聞かれた。

 更に首を傾げる、俺としては変わったことばかりで戸惑う事ばかりだったがそこは置いておいて別に何もなかったと応え、何故そう思ったのか尋ねた。

 二人から返ってきた答えは、いつも上の空で空返事な俺がいつも通り言葉少なにではあるが常とは違いわりと普通に反応を返すので珍しく、尚且ついつもなら既に食事を終えて立ち去る頃合になってもまだ食べているからだと言われ反応に困った。

 詰まりながらも重ねて特に変わったことはなかったと『思う』と曖昧に返し逃げるように視線を下に、目の前の食事に移して顔を伏せた。

 ちょっとわざとらしくて拙かったかと思ったのだが、両親的にはいつもはマイペースな息子が珍しく反応が良い位の認識らしく、逆に喜んですらいる。

 正直、俺としては今までずっとシカトしてたようなもんだと言われているみたいで非常に気まずかった。

 そんな俺だけが気まずい思いをしながらも食事と会話は進んで行き、ふとした折に父親から「さっき家の前でお隣さんからお礼を言われたよ」と言われ、何のことかと首を傾げる間も無く続けて母親から「私も最近ご近所の皆からお礼を言われるわ」と言われ本日最早何度目かの困惑に囚われる。

 なんでも、ご近所の子供達が集まっている様は傍から見ても俺が中心になり、俺が皆の世話を焼いているだか監督しているだか、そんな風に見えるらしい。

 何時からだったか、集団の隅っこか下手すれば集団から弾かれていた筈が、劣るが故に下手をすれば悪目立ちすらしていた俺が、いつの間にか悪い意味ではなく『目立つ』『存在感がある』ように見えるようになったらしい。

 その変化に伴うかのように子供の輪の中心が俺になり、皆が一所に集まるようになったため大人たちからしても目が届きやすく助かるし、何処にいても俺が『目立つ』為に見つけやすい。

 そして『目立つ』故かなんなのか見ている親御さん達からして『安心感』があり、実際に以前よりも子供の怪我が減っただの、以前より聞き分けよく手間がかからなくなっただのと話をご近所の方々よりお礼混じりに言われるらしい。

 そこらへん二人としてもこそばゆいやら鼻が高いやらなんとも面映い気分らしい。

 そこから両親の色んな方々からお褒めに預かったうちの息子自慢が息子本人へと語られだし、もう今日になって何度目だよこの気分とげんなりしながら俺は平行しながら顔を伏せた。

 まあ、以前は色々とよそ様と違う息子に気を揉んだ分だけ今の状態が二人としては安堵するやら嬉しいやら、思うところ大なのだろう。

 あとは、そう――「魔法が使えれば」と、俺の内心の呟きに重なるように父親の呟きが耳に入り顔を上げる。

 すると、いかにも拙いことを言ってしまったと言わんばかりの顔をした父親と、それを責めるような、尚且つ焦りを滲ませた表情で見る母親の顔が目に入った。

 そんな二人の顔を見て、ああそうそう、馴染みがあるのはどっちかってーとこういう表情だよなあ、などと不謹慎ながら安心してしまった俺がいた。

 そんな事を考えたからか、『以前』から慣れ親しんだ自嘲するかのような嗤いが漏れてしまったのは。

 きっと、傍から見たら実に味のある表情をしてしまったのだろう、俺の顔を見た両親が更に慌てて色々と慰めというか励ましというかいい感じにテンパったフォローをし始めた。

 そのあせあせと、擬音がつきそうな必死な様子に、不謹慎ながら、いやほんと実に不謹慎ながら、思わず笑ってしまった。

 今度は自然にこぼれた笑顔だったお陰か、いや自嘲気味の苦笑も自然にこぼれる俺なわけだが、とにかく含むところのない笑い声をあげた俺を見て、そして続けて「気にしていないから」という俺の言葉に焦っていた両親は落ち着きを取り戻した。

 まあ、若干の気まずさは残ったようだがそのまま穏やかに食事は終わり、暫く二人と歓談したのち俺は自分の部屋へと向かった。

 部屋に入って、というか改めて考えると普通にこの歳で自室があるとは、というか物が全然ないな、など考えながら寝床に横になる。

 寝るにはまだ早すぎる時間だが色々と疲れた。

 何の気なしに天井を見るが、毎日見ていただろうそれに見覚えというものは感じない。

 いや、態々自室の天井を眺めてその印象を記憶する人間なぞそういるとも思えんが。

 いや、寝起きに真っ先に目に映るのから印象深いものかも知らんが、少なくとも俺はうつ伏せ寝だから天井なぞに何かしらの感想を持った記憶がない。

 故に知らない天井がどうこうとか言うつもりもなかったが、確かにこれは『知らない天井』ではあった。

 今までもずっと目に映っていたはずなのに見覚えがない、という意味で言えば今日見たもの全てが俺にとってはある意味ではその『知らない天井』ではあったが。

 その事に気がつくのが遅いにも程があるとは思う。

 この感想はそれこそ、ここに産まれ落ちた時に既に持っておくべき、そうでなくてももっと早い段階で気がつくべきことだったろうに。

 実感が伴うのが遅い、というよりは何度目かわからんが、目を逸らし続けていたのだろう。

 我ながら随分と便利な言い回しだな、目を逸らし続けて見たくないものが見えないですむとは驚きだ。

 くぐもった笑いが漏れる。

 一頻り後ろ暗い笑いを漏らしたあとに溜息が漏れる。

 自虐を愉しむこの癖はどうあっても抜けてはくれないようだが、俺は元々飽きっぽいし集中力が残念な男である故に、この自虐すら長く愉しむつもりにもならない。

 熱しやすく冷めやすいと言うが、俺の場合は激しやすく萎えやすいと言うべきか。

 アホ臭い、自己嫌悪からの刺々しい、時に激しい自嘲自虐からの、萎えて下降して行く気分に伴う緩やかな自己分析という俺の中でのお決まりのパターンを経て再び溜息をついてかぶりを振る。

 ごろん、と仰向けだった体を返し寝床に顔を押し付ける。

 ああ、そんな事より明日からどうするか、とりあえず―――。

 


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