01
わけがわからなかった。
わけがわからないままに叫んだ。
叫んだはずなのに俺の声ではない何かの鳴き声が俺の耳を震わせた。
頭がおかしくなりそうだった。
ただ叫んだ、叫した、狂した。
振り回そうとした手足が思うままに動かない事に、霞がかった視界に映る知らない顔と知らない場所に。
叫びつかれて意識が落ち、覚醒しては再び叫ぶ。
視界に映る知らないものに、耳に入る知らない言葉に、口に押し込まれる物に者にモノに―――。
泣き叫び、取り乱し、力尽きて意識が暗転し、目覚めて再び泣き叫ぶ。
どのくらい繰り返したか覚えていないが、泣き叫ぶ気力もなくなった頃、現状を受け入れられないままに理解した。
俺は、今、知らない場所の、知らない人間の、赤子の体になっているのだと。
現状を理解して、話は解決、さあ始めましょう。
そんなわけがあるか、阿呆か、現状を理解はしたが受け入れられるなどと言った覚えはない。
そう荒れ狂う俺の内心を置いてけぼりにしたままに、時間は驚くほどに早く過ぎて行った。
そして、置いていかれたのは俺の心の内だけではなかった。
言葉を解するのも、発するのも他所の子供より遅い。
当たり前だ、何も知らぬ白紙の状態の他所のと違って、既に俺の中には違う言語が詰まっているんだ。
そもそも、現状を理解したが受け入れられないこの心の持ちようで一体何を成せると言うのか。
立ち上がって歩き出すのが他所の子供より遅い。
そして歩く速度も動く速度も他所の子供より遅い。
ああ、何故だろうね。
体の造りが違うだの色々理由はあるんだろうが、それを抜きにしても体の動かし方は俺のほうが知っているはずだろうに、何故だか上手く動けないんだよ。
まるで俺だけ他の連中と違う法則で動いているかのようだ。
まるで俺一人だけ水の中でもがいている様な気分だよ。
これも現状を受け入れられない心の持ちようが招くものだとでも言うのだろうか。
何処の子供も大なり小なり何らかの『魔法』が使えるようになっているのに全く使えない。
魔法、魔法だと?ふざけてんのか何だそりゃ。
『魔力』を自分の色に、形に、自分の中に流れるそれを、周りに流れるそれを、色々と手を変え品を変えて人それぞれに俺に言うが、こればっかりは取っ掛かりも掴めなかった。
のろま、鈍間、それが俺に対する周りの評価だった。
言葉を理解し喋るのが遅く、それに比例するかのように動作も鈍いとくればまさにこの言葉こそが相応しい。
周りはそんな俺を見下したり憐れんだり無関心だったりと、まあ兎にも角にもろくな評価ではなかった。
言葉などはまあ、覚えるまでに他所の子供より時間がかかったがそこまで致命的な遅れでもなかった。
というよりも、言葉を覚えてからはむしろ他所の子供より賢いだろうというある意味俺にとっては当然の評価であった。
しかし、事が『魔法』や身体能力になるとその差は歴然としたものだった。
歩けば常に置いていかれ、『属性』やらの威力や範囲等に個人差はあるものの誰もが、それこそ老若男女例外なく使えるらしい当たり前の力である『魔法』が全く使えない。
前者はともかく、後者は致命的であったようで、周りの反応を見るにありえないレベルでの欠陥で、それこそ目が見えない、耳が聞こえない等の障害以上の異常であるらしかった。
両親は自身にできうる限りの手を尽くして解決策を探してくれたようだが全く、手がかりすら掴めなかった。
そして、常に周りの子供より遅れて、物によっては遅れるどころか完全に置いて行かれたままに俺の幼少期は過ぎて行った。
俺は周りの子供の背を見ながら、その違いを痛感するたびに、そしてそれを見て表情を曇らせる両親を見る度に、何か解決策があるのではないかと方々に手を尽くすその姿を見る度に、よくぞこんな余所余所しく可愛げのない子供を、周りから見て明らかに異質な子供を見捨てずにいれたものだと、申し訳なく思いながら感謝と後ろめたさが積もっていった。
そうして、胃の腑に重たいものが積もっていくかのような感覚を抱えながら、過ごしていった。
そんな日々を鬱々と過ごすうちに、元々受け入れられなかった現状に対して俺は何も感じなくなっていった。
いや、感じなくなっていったのではなく、それを極力感じ取らないように目を逸らして逸らして逸らし続けたと言った方がいいのだろうか。
そして、元々受け入れられなかった現状に完全に現実感と情熱を失いかけたある日、ふと気がついた。
ああ、これはあの未だ色あせぬ『現実』の感覚のままなんだと。
ままならない現状、自問自答するだけで行動を起こさずにダラダラと状況に流されて時間を無為に過ごしながら、なんとかしなければとあがいた『つもり』になって、そしてそれを言い訳に更に流されていやがる。
そう思い至った時、ようやく何かが、俺の中の理解すれども受け入れられない現状に対する心の内が、やっと何かに追いついた気がした。
ああ、と内心声が出た。
ああそうか、ああまたか、ああようやくか。
ようやく俺は『違う世界に生まれ変わったらしい』という現実を、受け入れがたい現状を受け入れた。
そして、頭を抱えた。
心底ウンザリした。
反吐が出た。
何だこれは馬鹿なんじゃねえのと憤った。
実にいつも通りの平常運転、己が内でだけで終わってしまう自己完結の不毛な作業だった。
それを打ち切るように大きく溜息をついてかぶりを振った。
ようやく何かこう心持ちっつーかなんつーか、もやっとした何かが現実というものに追いついたのだ。
クソ忌々しい今までに踏ん切りをつけて仕切りなおすべきだと強く思った。
このままではいけないと思いながら延々と流され続けていたあのいまだ忘れえぬ『現実』その続きを自覚した。
また再び、『生まれ変わったにも関わらず』また、またしても流されようと、というか流されていた。
やっと、やっと、唐突に何の脈絡もないが、やっと何か踏ん切りがついたと言うか、何か現状を受け入れることが、かちりと何かがはまった気がしたのだ。
ここだ、この時こそ潮だ、絶好の潮目だ。
ここで仕切りなおさずいつやるのだと未だかつてない熱が俺の中に産まれた。
変なギアが入っていきなりハイになったテンションが脳内でなんか叫んでいる。
どこぞの講師の顔で、明日って今さ、と叫んでいる。
よし、と内心で声を出して顔を上げる。
いや、現実には既に顔は前を向いているんだが心の持ちようってやつだ。
すると何か急にぼやけていた視界がクリアになったような気がする。
そして何か違和感を感じた。
今まで離れたところに見えていた周りの子供の背中が近い。
というより背中というか顔が割かし近くにあった。
おかしい、こんなにこのガキどもは近くにいただろうか?
いつも遠くに背中が見えて、追いつけない俺を振り返って馬鹿にしていた嫌なクソガキどもだった気がするんだが。
こいつらはこんな卑屈な表情だっただろうか?
内心首をかしげながら周りを見る。
おかしい、以前は俺の事なんかどうでもよさそうだった奴らがこっちを見ている。
おかしい、以前はちょっと上から目線なおしゃまな感じの優しさで俺の手を引いてくれていた子達の俺を見る目が何か違う。
そもそも、この構図はなんだ。
いつから俺はこの子達に追いついた?
今までは追いつけない俺を遠くから馬鹿にする奴らと、無関心な奴らと、俺に構って手を引いてくれた子達、といった距離だったはず。
それがそのままにそういった住み分け、心の距離、実際のグループ分けに自然となっていたはずだ。
いつ俺は前を行くクソガキどもに追いついた?
いつから『俺を中心に』纏まって遊ぶようになった?
おかしい、おかしい、おかしいぞ。
追いついたと思った。
マイナスからのスタートだがやっと今ある『現実』に俺の気持ちが追いついたと思った。
だが、クリアになった視界に映ったその光景は、近づいたはずの背中が、『現実』が再び俺を突き放して遠くに行ってしまったような、そんな予感を感じさせた。