布石
町から外に出て10分ほどの場所の森の中に、かの魔族はいる。
エリーたちは今、標的の魔族を目の前としていた。
先日戦闘を行った姿と何ら変わりない姿で佇んでいた。背にある右側の刺がひとつ折れているのと右目が潰れているのはエリーの功績だ。これで右側がかなり攻めやすい。
しかし戦闘を優位に進めるなら右側からの攻撃よりも、あえて左側で戦い相手の注意を引くことも重要になってくる。
あの魔族を見て、恐怖に襲われないということはない。
「……っ」
足がすくむ。それでも、恐怖に敗れ逃げだしたい弱い自分を殺す。
恐怖に負けて、自分以外の誰かが死ぬのはもう嫌なのだ。
深く息を吸って、吐く。
もう1人で突っ走りはしない。今の自分には頼れる仲間がいる。
「あなたには私たちがついてるわ。――勝ちましょう!」
「大丈夫だエリー。俺たちなら勝てるさ、必ずな」
「僕たちなら、どんな相手でも負けるはずがありません。自身を持って戦ってください、エリーさん。背中くらいは僕でも守れますから」
振り返れば頼もしい仲間たちがいる。
シルヴィアが、ギュンターが、ウェンが、この3人がともにいるのならこの魔族は倒せる。そう信じている。
「ありがとう、みんな。絶対に――勝つ!行こうッ!」
震える手と足を御し、シルヴィアから贈られた剣と、ギュンターから教わった剣術、ウェンから学んだ魔術、その全てを力へと換えて、魔族へと彼女たちとともに駆け出した。
――まず、動きを見せたのはウェンだ。
「術式陣展開…一斉掃射ッ!」
ウェンの背後に無数の魔方陣が出現し、純粋な魔力の塊ーー魔弾を魔族へと打ち出す。
詠唱を必要とせず魔力の消費も多くはないため便利ではあるが、その分威力は乏しくせいぜい牽制程度が関の山だ。
だが、それはウェンが誰よりも理解している。
魔弾はあくまで魔族へと斬りかかるエリーたちへ向けられた魔族の意識を反らすためのものだ。
「――――アァッ!」
「やはり狙ってきますか…!」
狙い通り、魔族は邪魔な魔弾を打ち出したウェンを向く。
これが人の形を保っておらず、ただ暴れるだけの魔族ならこうも事を運べない。
中途半端に知性を残している人型魔族だからこそとれる戦法だ。
そしてその作戦を立案したのはエリーだ。元より自分の身体的弱点を克服するために、誰よりも考えて戦っていたエリーだからこそ思い付いた。
そして、ウェンに意識を向けた僅かな隙をエリーたちは逃しはしない。
魔族の表面は硬い鱗のようなもので覆われている。生半可な剣ではこちらが刃こぼれしてしまう。解放の剣がそうなるとは思えないが、念には念を入れる必要がある。
「――魔力強化!」
剣が仄かに輝きだす。
これがギュンターによって会得した、『魔力強化』と呼ばれるある種の魔術のようなものた。
剣そのものに魔力を纏わせる、高等技術。
魔物・魔族は、発生の過程からしてその体のほとんどが魔力によって形成されている。
また近年の研究で異なる魔力が接触すると、互いに反発し対消滅するという報告がなされている。
つまり剣や槍による物理的な攻撃よりも、魔術を当てる方が魔物や魔族に有効打を与えられることになる。
即ち魔力強化というのは武器に魔力を纏わせて攻撃することにより、物理的な攻撃というよりも魔力による対消滅を狙った魔術もしくは技術だ。
斬るというより、消滅させると例えたほうが正しいだろう。
ギュンターがスライム相手に戦えていたのはこれのお陰だ。極端な話スライムのような相手ならウェンが戦えばいいだけの話なのだが、生来負けず嫌いの彼はそれを良しとせず魔力強化を習得した。だが習得しただけでは致命的とも言えるギュンターの魔力不足が足を引っ張り長時間強化できなかった。
そのためギュンターは、ただ魔力強化を施すのではなく斬る瞬間だけに魔力強化を施すという技術を得たのだ。
言葉にすると容易いがそれは血の滲むような努力の果てに掴んだものであり、会得して3日程度のエリーができるものではない。
だがエリーには"代償"を負うことで得た魔力がある。
これのお陰で魔力強化を維持したまま戦闘を行うことが可能であり、エリーの剣術と魔術とナイフを交えた変幻自在な戦い方はさらにその可能性を増したとも言える。
まずは試しにと一撃与える。
「せい!」
感触は良好だ。ただ剣で斬りつけた時よりも、目に見えて傷が大きい。
「――グッ……」
それに反応した魔族はエリーを見ると、右腕を掲げ潰すように振り降ろした。
「――そこだッ!」
右腕を回るように避け、振り向き様に比較的柔らかい関節に魔力強化を施した剣を突き立てる。
そのまま千切るように剣を抜くも、魔族の腕は切断されなかった。
(流石にそうはいかないか)
自分の腕力では厳しいだろう。ギュンターならやれるかもしれない。
エリーの執拗な攻撃を邪魔に思ったのか、血が滴る右腕ではなくほぼ無傷な左腕でエリーに殴りかかる。
「……俺を忘れちゃ困るな」
次の瞬間、ギュンターがエリーと魔族の間に入り左腕をいなした。
そのままでは終わらず、伸びきった左腕に一撃叩き込む。
「浅いかッ!」
深追いはせず、即座に下がる。その直後ギュンターがいた場所を魔族の左腕が凪ぎ払った。
流石の引き際だ。彼と同じような動きはなかなかできない。
「シルヴィア今だッ!」
「わかってるわ!」
ギュンターが引いたその直後、シルヴィアが飛び出した。
シルヴィアは戦う少し前に奥の手があると言っていた。普段は本当に絶体絶命のピンチの時にしか使わないそうだが、今回だけは特別に使うとも言っていた。
聞いたところ、シルヴィアは魔力が並み程度にはあるらしい。だが魔術どころか魔力強化すらしないのはこの『奥の手』が大量の魔力を必要とするため、他のことに魔力を回せないのだ。
もしそれらを使い万が一のところで『奥の手』が使えなければ意味がないとの判断である。
止めはエリーに託すとシルヴィアたちは言っていたが、
ーー不意をついたシルヴィアは、魔族の右目が潰れていることを利用し右側に回り込むと右腕に飛び乗り眼前へと跳んだ。
「だめ押しの一撃、食らいなさいッ!」
そこから魔族の右目にエリーから譲られたナイフを突き立て、もう一撃と魔族の喉を今度は剣で薙ぐ。
「ガアアアァァァーーーーッ!」
今まで聞いたことのない、明らかに苦悶の籠った絶叫。
間違いなく、この魔族に効いている。
その事実だけで戦う気力が沸いてくる。
「グ……アアァァ――ッ!」
「まだ…倒れないか!」
だが致命傷とはいかない。右目をさらに突き刺され、喉元を切り裂かれた魔族は怒りに狂ったように叫んだ。
人間なら致命傷となる傷も、魔族にとっては怒りを燃やす種火にしかならないということだろう。
だがその小さな傷が、やがては魔族を切り裂く大きなものになるということも知っている。
だからこそ、諦めない。
魔族が地に伏せる瞬間まで、その全ての行動が言わば布石だ。
そして次の"布石"は。
「左の刺…あれを狙おう!」
未だ健在な左側の刺を折る。右側の刺と比べて大きめの左側の刺は、魔族がその場で回転すると周囲を凪ぎ払えそうだ。
その場凌ぎの凪ぎ払いですら、人間には致命傷になりかねない。
右側に比較的余裕が生まれそれを攻撃の基本として戦った場合、魔族が回転した時にほぼ死角から刺が迫るかもしれない。
全員無事で魔族を倒すために、不安要素は取り除く必要がある。
「左側の刺ですか、了解しました。援護しますよ!」
「ありがとうウェン!シルヴィアとギュンターは刺に注意しつつ、右側からの攻めを継続して!」
「わかったわ!」
「任せとけ!」
激しく動く魔族の刺を正確に壊すには、遠距離から冷静に狙えるウェンに委ねた方が妥当だ。自分はあくまで陽動、本命はウェンの一撃だ。
だがそれだけに注力するのも意味がない。魔族の意識を分散させ、刺の破壊を魔族の鈍い知性にわからせないようにしなくては。
「影と光、両者を穿て!災厄の滅槍…"ディザスター・ストライク"ッ!」
ウェンは自身の手に槍の形をした魔力を作り出すと、それを魔族の刺にむかって投げる。
真っ直ぐ飛翔したそれは、魔族の刺を捉えると爆発した。
「――――グウゥ…」
「この程度ではヒビが入った程度でしょうね。ですが本命は――!」
目につきやすい魔術、それに爆発。そのふたつで魔族がエリーを見失うには十分過ぎる時間を与えた。
それに刺にはヒビが入った程度で構わない。
本命はウェンの魔術ではなくーー。
「僕だッ!」
そう、エリー自身だ。
ウェンが作った隙を利用し、魔族の背後に回り込む。
ウェンだけではない、シルヴィアとギュンターも今だけは魔族の目に止まるように動いている。
「これで……ッ!」
魔族の手を中継し刺に飛び乗るとナイフを刺のヒビに捩じ込み、さらにその亀裂を大きくさせる。
そしてついでにと刺から飛び去る瞬間に、ナイフを蹴ってさらに奥まで捩じ込ませる。
まだこれでは終わらない。
「神鳴りの槍よ!閃光とともに、穿ち散らし貫き通せッ!"ライトニング・ランス"ッ!!」
もう1人で暴走しないとあえてあの時と同じ魔術を放つ。雷の槍は魔族の刺にあたると爆発を巻き起こす。
今度は自分が食らわないギリギリの位置取りだ。犠牲になったとすれば突き刺したナイフくらいだが、いつものことだ。
「アアァァァァーーッ!」
エリーの魔術が直撃した刺は、長さが3分の1ほどに折れていた。
それとともに絶叫する魔族。
「よしこれで!」
「いいわよエリー!」
「エリーさんお見事です!」
まだ刺を折っただけだが、確実に攻めやすくなっている。
この積み重ねだ。人間は魔族に体格も体力も腕力の全てが劣っている。
唯一勝っているのが知恵だけだ。その知恵を駆使して、魔族を倒す。
「よくやったエリー!だが気を抜くなよッ!魔族の野郎本気でぶちギレやがったからなッ!」
「でも確実に追い詰めてはいるわ。このまま押しきるわよ!」
――勝てる、必ず。
そう確信し、剣をいっそう強く握った。