始動①
第二部、開始です。
――某所。
「ギルド本部は半壊、ギルドマスターを含む複数のギルド幹部は死亡、参戦した秩序の守護者6名のうち3名が死亡、さらに1名が重傷を負い戦線復帰は望めず、後は参戦したギルドメンバーの半数も死亡、か」
男は"オラクル"事変の報告書を読み終えると、深い溜息をついた。
誤解のないように言えば、この男はギルドの一員ではない。
「"オラクル"が強かったのか、ギルドが腑抜けたのか…まぁどちらでも構わないがな。私の目標には意図せずも近付いた。動くのはこの時に他ないだろう」
男は報告書を部下に返すと、深々と自分用の椅子に座る。
「つまり、計画を実行に移すと?」
「そういうことになる。鴉も今は動けない状態だろう。我々が動くべき時だ」
男は目の前に佇む、4人の仲間を無言で見つめる。
この4人の誰もが、一流の戦士だ。その道では肩を並べる者はほとんどいないだろう。
仮に剣で並ぶ者があるとするならば"豪傑"だが、彼は"オラクル"事変で右腕を失っている。
片腕を失った以上、もう"豪傑"は戦場に出てくることはない。片腕で生きのこれるほど、戦線は甘くない。
「それにこの頼もしい戦士たちの他にも1人雇っている。…隠れて聞いている暇があるのなら、顔を見せたらどうだ?」
男は近くにあったナイフを手にとると、ちょうど暗闇で死角となっている柱に投げつけた。
正確には柱ではなく、その付近の壁。
ナイフは壁を跳ね返り柱の裏に飛んでいく。しかし本来なら聞こえるはずの柱に当たった音はなかった。
「いやいや、俺は傭兵なんでね。雇い主の込み入った事情には関わらないつもりなんだがなぁ」
柱の裏からナイフを片手に現れた傭兵は、この場の空気に合わない呑気な声で笑った。
「ならばなぜここにいる?」
「それもそうだな。ま、俺としちゃ"魔剣"を求めるヤツがどんなのか気になるだけですよ?」
飄々としたらこの傭兵は、雇い主の言葉も聞き流して再び柱に寄りかかる。
「説明がいるというのならしてやろう。私は力が欲しい、それだけだ」
「ほう…単純な願いなもんだ。だからこそ、より強い。ま、これ以上踏みいることはしないから安心してくれ」
じゃあ邪魔者は出ていきますかね、と傭兵は男の部屋から出ていく。
「…本当にあの男でいいのか?」
傭兵が去ったのを見届けると、仲間の1人が不満げに口を開いた。
確かにあの傭兵の態度を見れば、そのような不安も当然だ。
「構わない。傭兵は金さえ出せば文句は言わないからな。あの男は実に傭兵というのを体現した者だ」
そしてあの傭兵も腕だけ見れば一流のそれだ。この信頼する部下にも引けをとらない。
「だからこそ信用に値すると」
「金に貪欲だからこそ、な」
ギルドメンバーとは違う。確かにギルドメンバーには金に貪欲なものも多い。しかしそれならギルドに与していない、傭兵を雇った方が効率的だ。
ギルドを介することがないため、地に足がつくこともない。
「――では、頼んだぞ」
男は信頼する同志に声をかける。
「御意」
「わかりましたぁ」
「………」
「了解」
魔剣の担い手たちは、ひとつの欲望のために歩きだした。
◆◆◆
――また別の場所。
「アリシアちゃん。あの子はどうだい?」
「いえ…」
「そうかい。そろそろ目覚めるかと思うんだけどねぇ…」
「…その、感謝します。一時的な寝床の提供だけでなく、彼女の介抱まで手伝ってくれて…」
「いいのよ~。おばちゃんのお節介なんだから」
この婦人には感謝してもしきれない。予定より数日も泊めてくれているうえに、他の部屋も貸してくれたのだ。
今は恩返しはできないが、再びこの海沿いの町に戻り婦人に恩返しをしたいと思う。
「それにね、アリーヤ家のお嬢様を泊めたとあったらおばちゃんの宿屋も箔がつくってものよ」
彼女の名はアリシア・アリーヤ。
彼女の家は初代ギルドマスター、ソーマ・アリーヤの家系なのだ。
「アリシアちゃんが看板娘として手伝ってくれているお陰で、下でやってる旦那の酒場も繁盛してるのよ。おばちゃんも後10…20年若ければ二枚看板娘になるんだけどねぇ」
朗らかに笑う婦人に釣られて笑ってしまう。
実際、この婦人も酒場の亭主も優しい人だ。短い旅だと思って少量の金銭しか持たずに出発してしまったため、任命式の延期により途中で宿に泊まるだけの金銭が尽きてしまった。
だが事情を話すと2人は気にするなと笑い、泊めてくれたのだ。
とはいえ善意に寄っ掛かったままではいけないとここで働き始めたが、まさか感謝されるとは思っていなかった。
その点でも、この夫妻は暖かい人だとアリシアは感じていた。
自分を一条の槍として鍛えてきた人生に後悔はないが、こういう生き方も悪くはないとさえ考えるほどには。
「アリシアちゃん。落ち着いてきたところだし、あの子の様子を見てきたら?」
彼女を砂浜で見つけて3日。依然として死んだように眠っている。
なぜ彼女が砂浜で倒れていたのかはわからないが、特に聞く必要もないだろう。
誰にだって、聞かれたくない事情はあるはずだ。
「えっと…じゃあ、見てきます」
階段を上り、一番奥にある彼女の部屋の前に立つ。
「…入るぞ」
どうせまだ寝ているのだろうと、若干の諦めを持ってドアを開ける。
そこには、
「えっ!?…誰、ですか?」
寝ていると思っていた彼女がベッドから起き上がり、こちらを見て驚いていた。
「アリシア・アリーヤだ。5日前に砂浜で倒れていた貴女を見つけて、宿屋に運んだ。そういう貴女の名前は?」
「エリー・バウチャー、です。アリシアさんがここまで運んでくれたんですか?」
予想とは違った反応に驚く。
華奢な上に気弱な性格だと思ったが、意外と芯があるのかもしれない。
「アリシアでいい。私もバウチャーと呼ぼう」
「ありがとうアリシア。見る限りアリシアの部屋に加えて僕の分の部屋も…。僕の分はお返しいたいけど、財布が流されちゃったみたいで」
申し訳なさそうに頭を垂れる。しかしエリーの心配は杞憂だ。
アリシアの部屋も含め、夫妻が善意で何も言わずに貸してくれている。
そのことを伝えるとエリーは「良かった」と安心したように胸を撫で下ろした。
ここでひとつの疑問がある。
「しかし、バウチャーの名前は"シルヴィア"ではなかったのか」
「どういうこと?」
「私が呼び掛けると『シルヴィア…』と繰り返していたからな。てっきりバウチャーの名前かと思っていた」
しかし"シルヴィア"がエリーの名前ではないのなら、誰の名前なのだろう。
「シルヴィアは…僕の大事な人だよ。それにアリシアこそ、堅苦しい喋り方だね」
「いいんだ。私は元よりこういう話し方だ。今さら変える気はない」
エリーはシルヴィアという人物を大事な人だと言った。しかしその大事な人はあの時は間違いなく付近にはいなかっただろう。
彼女らの関係は詮索することはないが、少しは気になるのが人間というもの。
しかしそれは後で聞けばいいかと言葉を飲み込む。
「そういえば僕の服、替えたよね…?」
何かに怯えるようにエリーは声を小さくして言った。
確かにエリーの服はずぶ濡れだったため着替えさせている。上だけの話だが。
下は宿屋の婦人がいつの間にか終えていた。その時に何かあったのか、婦人は少々驚いた顔をしていたのを覚えている。
「あぁ。同性とはいえ、その…全部見られるのはあまり好きではないだろう?私が着替えさせたのは上だけだ」
「そうなの?良かった…あれ、下は?」
「それはこの宿の女主人が替えた。…バウチャー、確かに重要かもしれないが、何も体の一部が全てを決めるわけではない。あまり気にしすぎるのもよくないぞ?」
「なんのこと?」
意味がわからないのかきょとんと首を傾げるエリー。
何のことと聞かれても、言ってしまえば自分の自尊心が大きく傷つけられる。わからないのならわからないでいい、そうしよう。
「ともあれ、ありがとうアリシア。後でここの主人にも礼を言わなきゃ」
「私も世話になっている。…本当にあたたかい人たちだ」
エリーが砂浜で倒れていた理由は気になるが、それはそれだ。
「とりあえず僕は準備が整ったらフィレンツェに行きたいんだけど、ここからどれくらいかかるの?」
「フィレンツェ!?あそこは」
全てを言い切る前にエリーに遮られた。
「わかってる。でも、行かなきゃいけない。僕は無事だと伝えなきゃいけないんだ」
「…そうか、わかった。私もあの町には用事がある。同行させて貰おう」
正直、この宿屋や酒場が名残惜しくはある。しかしいつまでも留まっているわけにはいかない。
その後、夫妻に別れを告げ――後ろ髪を引かれる思いはあったものの――この海沿いの町から出発した。
「そういえば"アリーヤ"ってまさか」
「あぁ。初代ギルドマスター、ソーマ・アリーヤの子孫…」
背負った槍をエリーに誇示するように引き抜き、
「秩序の守護者No.18、アリシア・アリーヤだ。…といってもまだ任命式は終えていない」
少しカッコつけるように槍を操ってみせた。
「…僕とそう歳も離れてないのに、凄いね」
「…アリーヤの名でお情けしてもらったようなものだ。誇るものではないさ」
「それでも十分凄いよ。僕にも、それだけの力があれば…うぅんなんでもない」
多少気になるが、賛辞は素直に受け取ろう。
否定的になってしまうのは悪い癖だ。
「じゃあよろしくねアリシア」
「こちらこそ、バウチャー」
しばらくの間旅をともにする仲だ。見た限り、エリーは戦えそうにない。
ならばそれを守るのが自分の役目だと思い、アリシアは一歩踏み出した。




