接触②
「エリー!そっち行ったわ!」
「逃がさないッ!」
シルヴィアの剣を逃れた兎の魔物がエリーに向かって走ってくる。
当然、それを逃すわけがない。
「せいッ!」
左手に握ったナイフを兎の魔物の目の前に投げつける。魔物はいきなり現れたナイフに驚き足を止める。時間にして一秒もない。
だが、それだけで十分だ。
「貰った――ッ!」
驚き、無防備になった魔物の首に剣を振り降ろす。
「――――!」
首に一撃を受け、血を撒き散らした魔物は2度と動くことはなかった。
「よし!」
小さくガッツポーズ。危なげ無く仕留められた。
兎の魔物の討伐依頼開始から、数十分。エリーとシルヴィアは2人で兎の魔物を駆逐していった。
ギュンターとウェンは、試しにちょっとした競争でもしてみようと別のところで戦っている。
耳を済ませば剣哉の音と爆音が聞こえてくる。彼らも順調に倒していっているようだ。
「だいたいこんなものかな?」
エリーは辺りに魔物の存在がいないことを確認し、安堵したようにシルヴィアの方を向く。
息耐えた魔物や魔族は魔力の粒子となって消えて行く。
今倒した兎の魔物も魔力の粒子となって空へと帰っていた。
やがてのその散った魔力は他の生物に取り付き魔物化させる。人が魔物や魔族を殺し続ける限り、それは生まれ続けるのだ。
しかし、殺さねばこちらが殺される。
人と魔の戦いは永遠に続くのだろう。
「えぇ、こんなものね」
シルヴィアも安堵したかのように剣――ロングソードと呼ばれるもののはずだ――を納めると、エリーに笑いかけた。
彼女の戦い方は、繊細かつ堅実だ。魔物の間合いギリギリを位置取り、隙を見せれば一瞬で間合い詰めて斬り捨てる。
剣を手足のように扱いながら戦う彼女は、まさに華麗だったと言える。
シルヴィアはエリーの得物を見ると溜息をついた。
「エリーは…ブロードソードとナイフの二刀流ね。器用で羨ましいわ」
「そう?」
「そうよ。私にはできないもの」
比較的扱いやすいブロードソードと、刃が小さい分取り回しやすいナイフ。
これは最初から二刀流だったわけではなく、後から必要に迫られて使い始めたものだ。
"代償"で体の成長が止まっているエリーは、魔物相手でも力負けすることがほとんどだ。
そのため剣と魔術を絡めて戦う他に、もうひとつ、何かしら撹乱させるものが必要だった。
そこで選んだのがナイフだ。扱いやすく、投擲という選択肢もある。
ナイフと選んだ日からは毎日練習を積み、それなりに扱えるまでに成長している。
今ではブロードソードのみ、それにナイフを加えた二刀流、さらに魔術を絡めてもっと相手を撹乱させる、と戦い方に厚みがでた。
その副次的な作用とも言えるのか、相手の動きを見て、次の自分の最適な行動を見極めるのが得意になっていた。
兎の魔物との戦いも、そのお陰で無傷で終えられたと言っていい。
「シルヴィアさんこそ、凄かった」
「まぁ、相手が魔物だもの。油断はしないけど、遅れをとることもないわ」
「僕なんかいら」
いらないんじゃないんですか?と出掛けた言葉は、シルヴィアがエリーの唇を指で抑えたことで消えた。
「ダメよエリー。謙虚なのはいいけど、自分を過小評価しすぎね。もっと自信を持ってもいいのよ?」
それだけ言うとエリーの唇から指を離す。
「ぁ、はい…。でもシルヴィアさんが凄いのは本当のことで」
もしかしたらシルヴィアへの賛辞も自分の過小評価だと思われているのではないかと、本気で焦るエリー。
「ありがとう、でも私はまだまだよ。上を見ればキリがないわ。でもね、それを目指す楽しみがあるのよ」
「シルヴィアさん…」
上を目指す歓び。
エリー自身、強くなろうとしてきた。だがそれに歓びや楽しみを付与することなど、考えもしなかった。
だからこそ、彼女のその想いに強く惹かれた。願わくば彼女とともに強くなりたい、そんなことさえ想ってしまった。
「僕も上を目指したいな…」
誰に聞かせるわけでもなく、ぽつりと言葉を溢す。
だがそれを拾ったのもまた、シルヴィアだった。
「できるわよ。エリーなら」
まるで確信を得たかのような回答。それを嬉しく思う。
ギュンターとウェンがいる方向から、聞き覚えのある声が響いてきた。
「おーい、シルヴィアにエリー!そっちも終わったか?」
「僕らは先程終えたところです。まだなら手伝いますよ」
やはりこの2人だ。疲れた顔もせず、大きな汚れもないことから彼らも問題なく倒していったのだろう。
――頼むならこの時しかない。
「ウェン。あの、僕に…魔術を教えてほしいんだけど…」
「魔術を、ですか?」
驚いた様子を見せるウェン。
「今まで独学で魔術をやってきたけど、それだけじゃダメかなって…。ウェンなら魔術のことも詳しそうだし…良ければでいいんだけど」
「私からもお願いするわ。エリーに魔術を教えてくれないかしら」
シルヴィアも同意してくれたことに驚いた。
反対されるとは思ってはいなかったが、賛成されるとも考えていなかった。
「エリーさん、本当にいいんですね?」
「いい。まだ僕の魔術じゃ、魔族は倒せないから…」
いつまで自分がシルヴィアたちと一緒にいるかわからない。その別れる時まで、彼女たちから学べるものがあればその全てを吸収したい。
「わかりました。弟子を持つとは思ってもいませんでしたけどね。断っておきますが、僕は教えるとなれば厳しいですよ」
「望むところ…!」
かつて自分に剣を教えた人物もかなり厳しかった。むしろ厳しいくらいがちょうどいいだろう。
凡才の自分にはそこまでしてもらわなくては、成長が望めない。
「そうだ、私はエリーにナイフのことを教えてもらおうかしら」
「僕にナイフを?」
「ええ。ギュンターみたいに常に両手で剣を持っているわけじゃないもの。少しは使えた方が便利だと思うのよね」
「わかった、僕で良ければ教えるよ」
かつて剣の師匠も、「教えることで教わることもある」と言っていた。
自分が強くなるためにも、教える立場になることも必要なのかもしれない。
「じゃあシルヴィアさん、これを…ダメですか?」
先程までエリーが使っていたナイフをシルヴィアに渡す。それをシルヴィアは嬉々として受け取った。
「ダメなんかじゃないわ、ありがとう。いいの?貰ってしまって」
「むしろ貰ってくれて嬉しいです。僕のナイフは使い捨て前提だから、安物ばかりなんだけど…」
いつも持ち歩いてるナイフは3本。これを投げたり突き刺したり様々なことに使うため、紛失破損はよくあることだ。
「エリーが私のために物をくれるのよ。嬉しくないはずがないじゃない。でも初めてのプレゼントがナイフなのはね…。…いえ、貰ったものにケチをつけるのはダメね。ごめんなさいエリー」
「いやそんな…。なら、後でシルヴィアさんが欲しいものでも…」
後でシルヴィアと買い物に行くのもいいかもしれない。
見た目からはそうは見えないが、エリーも一応男だ。美人と連れだって歩くのが楽しみで仕方ない。
…が、内心ワクワクしていたエリーの予想とはかけ離れた言葉がシルヴィアから飛び出した。
「じゃあ、エリーが欲しいわ」
あまりにも直球すぎる物言いに、シルヴィア以外の全員が凍りついた。
「…いや、あの、ちょっと」
「俺さ、シルヴィアのこと前から馬鹿だとは思ってたけど、これほどの馬鹿だとは思ってもなかったわ」
「そういうのは時間と場所と状況を考えてから行って下さい」
男3人から一斉に「ないわー」と引かれるシルヴィア。
シルヴィアもまさかここまでバッシングされるとは思っていなかったのか、少しだけ目に涙を浮かべる。
「少しくらい甘めに見てくれてもいいじゃない!浮わつかせてよ!」
「それとこれとは話が違うだろ…。悪いなエリー、うちのお嬢様はこんなんだからよ。嫌なら嫌だってはっきり言ってくれ」
「別に嫌じゃ…」
別に嫌じゃない。そう言いきる前に、ウェンの数秒前とは声音の違う――警戒しきった声にかき消された。
「静かに。血の臭いがします」
ウェンがエリーとシルヴィアがいたところや、ギュンターとウェンが来た場所とはまた違う方向を睨んでいた。
「シルヴィア、お前たちはさっきそこにいたか?」
「…いないわ。いたとしても、既に仕留めた魔物は消滅しているはず」
なら、考えられるものはひとつしかない。
「僕らの他に魔物を倒している人が?」
「わからねぇ。とりあえず、血の臭いのところに行かないとな。人の可能性もある」
人だとしても死んでいるかもしれない。その場合でもギルドに報告しなければならないため、どちらにせよ見ることには変わりない。
「…俺が見てくる。お前たちは警戒を頼む」
「わかったわ。気を付けて」
ギュンターがその確認、エリーたち3人は周囲の警戒だ。
例の魔族だということもある。先程までの穏やかな雰囲気は完全に風とともに過ぎ去ってしまった。
時間にしては1分にも満たないだろう。だがその数倍の時間がかかったような感覚の後、ギュンターは無事に帰ってきた。
「人じゃねぇし魔族でもない。俺らがさっきまで倒してた兎の魔物だわ」
この付近で兎の魔物を倒しているのはエリーたちしかいない。
しかしその兎の魔物がいた場所は他と比べて木が多く暗めのため、奇襲をされる可能性があると避けていた場所だ。
「その兎の魔物の殺され方が問題だな。武器による死体でも、魔術による死体でもない。まるで引き千切られたかのような死体だ」
当然ながら人間が魔物を引き千切って殺すような芸当は不可能だ。
非力だからこそ、人間は武器を握らざるを得ないのだから。
「だとすると残る可能性は…」
「魔族、しかないですね」
それだけの力を持つ存在は魔族くらいしかない。付近に大型肉食獣の魔物が出たとの報告もされていない。
「とりあえず、依頼は終わらせているしさっさと町に戻ってギルドに報告するぞ。例の魔族はかなりの大物だってな」
異論はない。
相手の情報がない以上、迂闊に手は出せない。
シルヴィアたちの技量からして、魔族との交戦経験はあるはずだ。
しかし如何に経験があろうと、油断と情報不足で死ぬのは珍しくない。
ギルドですら例の魔族の情報を掴めていない以上、戦闘は避けるのが得策だ。
「兎の魔物が消滅してねぇし、まだ近いはずだ!殿は俺がやるッ!急ぐぞッ!」
「ウェンはもしものことを考え先頭には立たないで、前に立つのはわた」
「僕がやります!それくらいは…!」
せめて役には立ちたいと、先頭に名乗り出る。魔族がエリーたちの正面に現れた際に真っ先に狙われる囮役だ。
ギュンターは殿、ウェンは魔術で意識を反らす時間を与えるために狙われるわけにはいかない。シルヴィアは、エリーの個人的感情ではあるが囮役をやらせたくない。
異論を挟む余裕は誰にもなく、エリーが先頭、ギュンターが殿になり町へと走る。
「後少しよ、頑張って!」
後ろから聞こえるシルヴィアの激励を励みに、足を動かす。
彼女も声をかけつつも息が荒くなってきている、自分のことを優先してほしいと言いたいが、もうそんなことを言う余裕はない。
後少しだ、このまま町に戻りギルドに報告してから対策を練ろう。
何にせよ、生きて帰らなければ意味がない。
――だが、悪夢はそれを逃がさない。
殺意の刃が自分の頬を撫でたのを、エリーは敏感に感じ取った。
「――ッ!」
ギリギリのところで歩みを止め、シルヴィアたちを手で制止する。
その直後、何もなければ走っていたところを剛腕が凪ぎ払った。
「くッ!」
「来やがったかクソッ!」
大木のように太く、鋭利な鱗を纏った剛腕。同じく鱗に覆われ、膝の部分に槍のような刺を生やした脚部。それに胴もその鱗を体の一部としている。
背中からは膝のものよりも大きな2つの刺がその大きさを誇示するかのように陽の光を浴びている。
そして何よりも、同じような鱗に包まれた顔に鈍い光を携えた深紅に染まった双眸がエリーたちを捉えて離さなかった。
――紛れもない魔族。そして人の形を大きく残している。
(どこかで、見たことが…)
この魔族を見たことがあると、エリーの記憶が呼び掛けている。
だが思い出せない。
「わかってると思うがすぐには逃げるなッ!俺たちを追いかけ町に侵入され、非戦闘員に犠牲がでるッ!適当に戦って、町から引き離してから森に紛れて逃げるぞッ!」
「ウェンは下がって、魔術の準備をお願い!」
「詠唱なんてとっくにですよッ!巻き込まれないようにせいぜい避けてくださいッ!」
シルヴィアたちは互いのことを見もせずに、魔族と相対している。
互いが互いを信用しているからこその動きだろう。何も言わなくても背中を預けられる存在、ということか。
それに比べて自分はどうだろうか。
不確かな記憶に足を止めてしまっている。それではダメだ、シルヴィアたちとともに戦えない。
(確かに気になるけど…今は、目の前の魔族に集中しないと)
それができなければ死ぬだけだ。
今はシルヴィアたちに背中を預け、この魔族をどうにかする。現状、それしかない。
「みんな、背中は任せたッ!」
「当然ッ!」
「存分に任せなさい!」
「援護くらいは、やってみせますよッ!」
大丈夫だ、今の自分は1人ではない。
エリーは剣とナイフを抜き放ち、魔族へと向かっていた。