接触①
翌日。
前日はシルヴィアがいなかったということで、今日はシルヴィアを含めた4人で依頼をすることになった。
そこにはもちろんギュンターとウェンの姿もある。
「おはよう。ギュンター、ウェン」
「よ、エリー。お互いしっかり眠れたみたいだな」
「おはようございます、エリーさん。流石に2日連続で寝不足は辛いものがありますからね」
皮肉たっぷりに朝の挨拶を交わす。
寝不足の元凶は、そんなのどこ吹く風といった面持ちだ。
「おはようエリー。昨日は…その、ごめんなさい」
しかしエリーにだけはちゃんと謝る。
ギュンターとウェンは無視しているが、2人とも怒る気配は微塵もない。
恐らくは昨日の夜に散々叱ったからだとは思うが、どちらにせよそれだけの冗談が通じる相手なのだろう。
エリーにも仲がいい同世代の男女はいないわけではない。ただ、もう3年ほど会っていない。そろそろ顔を出すべきだろう。
心配させていることは確かだからだ。
「ま、とりあえずは今日も楽しい楽しいお仕事といこうか。…えー、今回の相手は兎が魔物化したやつだな」
ギュンターは討伐対象が書かれた紙を見ながら、"お仕事"の内容を伝えていく。
兎の魔物は、普通の兎よりも二回りほど大きく、頭蓋骨が変化した角が大きな特徴だ。
角だけが驚異だけでなく、発達した爪もまた驚異となる。
「…『また、近頃魔族らしき姿を見たとの報告がある。ギルドメンバー各員は留意されたし』…魔族か、ちょっと気を付けた方がいいな」
「いるいないに関わらず、注意するに越したことはありませんね」
魔族。
『人間』が魔物化したモノのことだ。
他の動植物は魔物化しても、元の生物としての形を残していることが多い。
だが人間が魔物化した場合、大抵の場合は最早『人間』だったことがわからないほどの異形の怪物に成り下がる。
『人間』とはもう呼べず、種族すら変わってしまったようなことから、魔物ではなく『魔族』と区別されている。
しかしその魔族にも、言わば"個性"が存在し、ぶくぶくの肉袋のような魔族から2本の手に2本の足を持つ人間の形をかなり残した魔族も存在する。
人の形を残していればいるほど強力で、肉袋のような魔族と人の形を残した魔族であれば後者の方が危険度は高い。
なぜ人の形を残しているのかは不明だが、人の感情が原因だという一説も存在する。
また人の形を残した魔族は知性が残っているような素振りを見せることがあるが、言葉は発せられない。
この言葉を発せられないことが重要だ。魔物、魔族は発生の過程で大量の魔力を取り込む。その結果魔力量は人間の限界を遥かに越えており、仮に魔族が魔術を行使できた場合、人間はまず勝てないと見ていい。
魔術は言葉を発せられなければ意味がない。だからこそ魔族が言葉を発せられないことこそが、人間が魔族に対抗できる理由なのだ。
そして、人の魔物化――つまり魔族化した人間は助けられない。
例え誰であろうと、殺すしかない。魔族化した仲間や友人、恋人を泣く泣く殺したというのはよくある話だ。
「どの辺りで見た、という情報はないのかしら?」
「それが場所が多過ぎて絞り込めないって話だ。それにこの魔族は…人に近い。生半可な奴が戦ったら八つ裂きにされて終わりだ。ギルドも突き止めたいが、厳しいってとこだろうな」
シルヴィアの質問に苦い顔をして答えるギュンター。魔族はそれだけ強力な存在ということだ。
そして同時に、エリーにとっては忌むべき存在でもある。
「とりあえず絶対に会うってわけじゃねぇし、会っても戦う必要はない。なるようになるだろ」
「そうかも。とりあえず行こう」
ギュンターの言葉通り、なるようになるしかない。
何にせよ、やらなければわからないことだ。
「えぇ、じゃあ行きましょう。私もエリーの戦い方を直接見たいもの」
「見るほどの物じゃ…」
シルヴィアには悪いが、エリーは剣の腕ではギュンターに、魔術ではウェンに劣っている。それを見ても楽しくないのではないだろうか。
「おう。エリーはすげぇぞ。剣と魔術両方ともハイレベルで使えるし、尚且つそれを巧みに使いこなすらかな」
「あらそうなの?ますます楽しみね」
ギュンターもこうやって期待値を高めていくのは勘弁してほしい。
一瞬ウェンに助けを求めるような視線を送るが、また彼もギュンターに同調して頷いている。
「は、はやく行こうよ!魔族が現れるかもしれないし!」
ここはなんとか自分から話題を逸らしたい。あまり褒められるのは慣れていないからか、背中がむず痒くなってくる。
「もう…かわいい…はぁ。…そうね、じゃあ行きましょうか」
「シルヴィアさん…」
面と向かってかわいいと言われたことは始めてではない。しかし、彼女に言われると恥ずかしい。
「エリーが怒る前に行こうか」
ギュンターがエリーの肩を軽く叩いた。顔を見ると、笑いを堪えられないような顔――完全に面白がっている。
「………」
これはダメだとそっぽを向く。
「悪い悪い。他人と組むのなんてなかったからな。多少はテンションもあがるんだよ」
「ごめんなさいね。もう本当にかわいいからつい…」
「この馬鹿2人がすみません…」
「てめぇだけいい面してんなよウェン…!」
「ウェン、あなただって笑ってたじゃない」
「さぁ、なんのことでしょうか」
「しらばっくれてんじゃねぇよ!」
エリーが拗ねたことに焦ったシルヴィアとギュンターは、慌てたように謝る。そしてそれを咎めるウェンに2人が突っかかる。
「ふふっ…」
それを見てつい笑ってしまった。
こんな風に笑ったのは2年ぶりだろうか。
他人といて楽しいのは久しぶりだ。
「あ、エリーが笑ったわ」
「わ、笑ってないよ…」
シルヴィアの顔がぐいっと近付き、驚きと緊張で頬が赤くなる。
それを知ってか知らずかシルヴィアは嬉しそうに頷きながら、
「エリーの言うとおり、ここで話していても仕方ないわ。行きましょう」
先程からエリーが何度も言っていることを提案した。
やっとわかってくれたと言いかけるが、それは言えずに終わった。
シルヴィアがエリーの手を引いて、走り出したからだ。
「し、シルヴィアさん!」
「行くわよエリー!ギュンターとウェンも遅れない!」
エリーの手を引きながら走る彼女が、何故か眩しい太陽のように思えた。
分厚い雲に覆われたエリーの心に一筋の光として差した、そんな感覚。
(…悪くない、かな)
なんとなく、ではあるが自分はこれからも彼女に振り回される、そんな気がした。
そしてそれが悪い気がしないということも。
――だとしても、希望は容易く打ち砕かれる。
町の外に蠢く影が、血の香りを醸し出していた。