代償
翌朝。重力に負けそうな瞼を励まし、なんとか身なりを整え、前日に決めた集合場所へと足を運んだ。
約束の時間よりも少しはやかったのだが、そこには既にギュンターとウェンの姿が見える。
気のせいかエリーと同じように睡魔と戦っているように見えるが、なぜだろう。
「お、おはようございます!」
何よりもまず挨拶が大事だ。今現在出せる精一杯の声を出す。
「おはようエリー。元気があっていいな」
「おはようございますエリーさん」
気のせいではなく、2人の目の下にはくまができてしまっている。恐らくは自分も同じものがあるはずだ。
「2人とも」
エリーの心配の言葉はギュンターに遮られた。
「…悪い。昨日の夜はシルヴィアが迷惑かけたな。俺とウェンの目が離れたところを見計らうとは思ってなかったわ」
「僕からも謝らせてください。彼女を甘く見ていました…」
謝られるなんて考えてもいなかった。
「いえ、別に僕は迷惑だったなんて思っていませんから…」
彼女の人となりを知ることができた。
嫌な思いはしていない、むしろ嬉しかったまである。
結局はそのことはお互い引っ張らないようにしようということになった。
「それで、シルヴィアさんは…?」
一番気になっているのはそれだ。この2人と一緒なのが嫌だということではなく、単純に興味の問題だ。
「あぁ。あいつはなぁ…」
ギュンターとウェンは2人揃って心底呆れたような顔をした。
「寝てる」
「えっ」
その言葉が理解できなかった。正確に言えば意味こそ理解はしているが、頭がそれを拒否している。
「…エリーのいる宿屋から帰ってきた後にな、俺もウェンの宿の部屋にやってきた酒盛りをはじめたんだよ」
時間も時間だし俺は寝てたんだぞ、と眉間にシワを寄せて話す。
「自分の部屋でやれとは言ったんだぜ。ただ一人酒はなんか空しいから付き合えって、騒いで飲んで騒いで飲んで…」
ギュンターとウェンも苦労しただろうが、他の宿の客はとばっちり極まりない。
「酔い潰れた?」
「はい。シルヴィアさんはお酒にかなり弱いんです。だから散々僕らも止めろって言ってるのに無視しまして。その結果、酔い潰れて未だに起きてきません」
ウェンは怒りを通りこして呆れているようにすら見える。
…最初にエリーが抱いたシルヴィアのイメージとは大部かけ離れてしまっている。
「ま、そんなわけで男3人の魔物討伐だ。しばらく組むならお互いの動きくらい知っとかないとな」
どうやらギュンターとウェンはエリーが男だということを知っているようだ。間違いなくシルヴィアが騒ぎながら言ったと考えられるが。
ギュンターはまずは自分からと、背負った大剣を指差し
「俺はこの剣一本で戦っててな。残念なことに魔術の才…魔力は壊滅的なレベルでない。だから前でしか戦えねぇわけだ」
どこか諦めのこもった顔で笑いながら説明する。
ギュンターの大剣は恐らくはツヴァイヘンダーと呼ばれる類いのものだろう。だが、本来のそれとは刀身がやや太い。あの太さなら、魔族の腕や牙ですら防ぐことができそうだ。
もしかしたら、そのために太くしたのかもしれない。
「次は僕ですね。僕はギュンターとは違って魔術で主に戦う、世間一般では魔術師と言われている人間です」
――魔術。己の身体に存在する魔力を糧に、火や水を起こしたり挙げ句の果てには空から巨石を落下させるなど万能の力に近いとまで言われている。
何も攻撃的なものばかりではなく、日常で使われる用品の一部には製造の過程で魔術を使った技術を用いるものもある。
「基本的にはシルヴィアさんとギュンターが前で撹乱、その隙に僕が詠唱して魔術で決めに入るって感じですね」
魔術を行使するには、詠唱をする場合がほとんどだ。詠唱しなければ行使できないではなく、しなくても魔術の行使は可能だが必要な魔力が膨大になる。
その必要な魔力を抑えるために詠唱が必要であり、その術式こそが魔術そのものだと言える。
とりあえず2人の戦い方を聞いて、自分だけ言わないのは失礼だろう。
「…僕は、剣と魔術を絡めて戦うことが多いです。中途半端だと思われるかもしれません…」
今までの3年間、ほとんどの時間を1人で戦ってきた。剣だけでは魔族に対抗できない可能性がある。だからこそ魔術を独学で習得してきたのだ。
「いや、そうは思わねぇよ。むしろ器用で羨ましいなって思うくらいだわ」
「僕もギュンターもどちらか一方しかできませんからね。どちらもできるというのは、いいことだと思います」
本当に羨ましいのか、ウェンに至っては「アレを応用して近接用の魔術を…」とさえ言っている。
その姿が少し微笑ましかった。
「とりあえず、サクッと終わらせようぜ。あぁそうだ、エリー」
「なんですか?」
前で戦って欲しいとか魔術で援護して欲しいとかそういう指示だろうか。もちろん、その指示に従うつもりだ。
「あー…、その堅苦しい喋り方はなしだ。"さん"付けじゃなくてギュンター呼びでいい。俺もその方がやりやすいしな。無理にとは言わないからさ」
「いえ…。いや、僕もその方がいいかな。ありがとうギュンター」
さん付けではなく、呼び捨てで構わない。自分が対等に見られたのは、いつ以来だろうか。なんにせよ今は自分が認められた気がして、嬉しく感じていた。
「僕もウェンでいいですよエリーさん。…あ、僕のこれは無理してるとかそういうのではなくて、子どもの頃からこんな喋り方なので気にしなくていいです」
「マジでガキのころからこうだからな。お陰で冷たいやつだなんて言われたりな」
「ギュンターこそ、その口調で不良だのなんだのと勘違いされてますよね」
軽快に無駄口を叩きあう。この2人は古くからの知り合いなのだろうか。恐らくはシルヴィアとも知己の仲だ。彼女のことも聞いてみたいと、小さな楽しみができた。
町を出て十数分。街道の外れに魔物は出没しているという。
魔物とは微生物から大型の肉食獣に至るまで、有りとあらゆる動植物が魔力の影響を強く受けて変化したモノだ。
当然そこには人間も含まれている。だが人間は魔物と呼ばれずに、魔族という別の呼び名が与えられている。
討伐対象を見ると、ギュンターは真っ先に愚痴を溢した。
「今回の魔物はスライムか。…俺との相性最悪じゃねぇかよ」
スライムは水中に生息する微生物が周囲の水ごと魔物化した魔物だ。
水であるが故に剣や弓などの物理的手段はほとんど意味を成さない。
そのため、対スライムの戦術は魔術を用いて一撃で仕留めることが推奨されている。
「じゃあ僕がやるよ。実際に見てみないとわからないこともあるだろうし」
「ん?そうか。じゃあ任せたぜエリー」
ギュンターの言葉を背に、2人よりも前に立つ。
相手のスライムは1体、普段通りやれば何てことはない。
頭の中で行使する魔術のイメージを描く。水で構成されているスライムなら、炎で蒸発させるべきだ。
次いで息を吸い込み、それを言葉として吐き出した。
「地獄の釜より出でし炎、焼き尽くせッ!"ヘルフレイム"ッ!」
直後、スライムの足元から炎が吹き出しそのまま蒸発させた。
残ったのは焦げた地面だけである。
「ふぅ、良かった」
大口叩いて倒せなかったらどうしようかと本気で心配していた。
「お見事。頼もしいぜ」
「中途半端などではなく、十分魔術師としてやっていけますよ。エリーさん」
「そう、かな。ならいいな…」
褒められたのは久しぶりだ。悪い気分はしない、むしろ嬉しい限りだ。
だが、純粋に喜べない自分がいる。この魔術は、間違いなく自分の力だとは言い切れない。
…禁術に染まった、偽りの力なのだから。
「よし、これで全部か?お疲れ!」
それから数十分。3人で規定数の魔物を倒し終えた。
ギュンターは自分とスライムとの相性は最悪だと言っていたが、"秘策"なるものがあるらしく、問題なくスライムに斬りつけていた。
その"秘策"なるものをいつか教わりたいものだ。
ウェンはウェンで、大陸の魔術師でも指折りの実力者だと言える。
複数のスライムを魔術ひとつで蒸発させ、それほどの魔術を何度も行使するほどの魔力量だ。それでもなお底が見えないのが恐ろしい。
「エリーさんもいい魔術をお持ちで。今まで魔術担当は僕だけでしたし、明日からは楽できそうで何よりですよ」
「剣の腕も申し分なし。剣と魔術両方をハイレベルで扱えるやつなんて一握りだからな。こう言っちゃなんだけどさ、昨日は不安だったんだぜ?…低めに見積もって悪かった、明日からは期待してるぜ、エリー」
確かに自分の体を見れば不安になるのは理解できる。"年齢的"に幼く、頼りないように見えるのもまたそれを助長しているだろう。
自分の魔術もそれが原因なのだから。
それに、それを伝える意味は少なからず存在する。
「魔術こと、なんだけど。ひとつ謝らせて欲しいんだ」
「それがどうかしたのか?」
軽蔑される覚悟はできた。侮蔑の言葉を投げ掛けられる覚悟もだ。
「僕の魔力は、本当の僕の魔力じゃない。――代償。それで造られた偽りの力だ」
自分の偽りの力の理由を洗いざらい話した。
「代償だと!?」
「"禁術"、ですか…!」
2人の反応も、ごく自然のものだろう。本来はあってはならないものだからだ。
禁術、ギルドによって定められた極一部の魔術に与えられる名称だ。
その名を背負った魔術は行使することを禁じられ、禁術にもよるが一度使えばギルドから命を狙われるものすら存在する。
「代償。自身の体の一部の機能を停止させ、それによって余った力を魔力に換算する"禁術"…!しかし…」
「…体のどこも失ってない」
ウェンの疑問はもっともだ。
体の一部の機能を停止、つまりは神経など必要なもの全てを失うことになる。
それらを失った箇所は次第に壊死し、文字通り"身を切る"ことになる。
そして一番の問題は、その箇所が誰にもわからないということだ。
人によっては心臓や脳すら失うことすらある。行使すれば死ぬ可能性もあるのだ。
はじめは緊急時の最終手段として考えられていたが、代償の危険性から"禁術"として数えられるのにそう時間はかからなかった。
それでも魔力を求めて代償を払うものは後を断たない。ギルドも埒があかないと放置している情況だ。
そして、エリーもその魔力を求めた人間の1人だった。
それを聞いたギュンターは合点がいったのか、深く首を縦に動かした。
「どこか失うはずだったのに、どこも失わなかった。…なるほど、普通は代償を払ったとは思えねぇわな」
エリーの体は手も足も目も失ってはいない。代償を払ったと簡単に信じる方が難しいだろう。
「何もなかったわけじゃないよ。"体の成長"、それが僕の代償だと思う。僕は今18歳なんだけど、体は代償を払った15歳から何一つ変わっていない。…いや、ひとつあった」
エリーは栗色の長めの髪を後ろで束ねた物――ポニーテールを掴むとギュンターとウェンに見せた。
「僕の髪は、あの日から異様な成長速度を見せてる。短くしても1週間経てば、腰までの長さになる。…まるで、魔族化した人が大きくなるみたいに」
それが嫌で、せめて自身の視界になるべく入らないように髪を束ねていた。
気休めだとはわかっていたが、それほどまでに自分は魔族を憎んでいる。
「………」
エリーの独白を聞いて、ギュンターとウェンはともに黙ったままだ。
その表情からはその考えは読めない。軽蔑だろうか、侮蔑だろうか、それとも…。
時間にしては数分だろう。だがエリーには数時間にも感じた時間を経て、ギュンターは口を開いた。
「そうか。まぁなんにせよエリーの魔術は頼りになる。それは変わらねぇさ、笑いやしねぇ。それに俺は魔術に詳しくねぇからな。禁忌とされていようが何だろうが知ったこっちゃねぇわ」
「え…」
ウェンも一瞬深く思い詰めたような顔をしたものの、次の瞬間には晴れやかな表情を見せた。
「謝るなら僕らかもしれません。言いたくないことを言わせてしまいました。ですが、言ってくれたことに感謝します。…大丈夫、僕は軽蔑も侮蔑もしませんよ。それはシルヴィアさんも同じこと」
「…ぁ……」
予想とは全く違う返答だった。
気付けば泣いていた。それだけ思い詰めていた。旅に出てから3年、これほど暖かな応えが返ってきたことはない。
「それにな。こんな時代、誰もが何かを背負っているもんだ。代償にせよ、何にせよな」
「僕らはそれを馬鹿にすることも侮辱することもしませんし、許しません。もしするような輩がいるのなら…」
「ぶん殴ってきてやるよ。…だから安心しろ、エリーの周りは敵しかいないわけじゃねぇ」
「うぅ…ありがとう…。ぼ、僕は…」
膝から崩れ落ち、目から大量の滴を溢す。まだ昨日出会ったばかりだというのに、『俺たちは味方だ』と言ってくれた。
たった少しの言葉だけで、救われたと思えたのだ。
これほどまで暖かい人物がいたなんて、考えもしなかった。
ギュンターはいきなりそっぽ向いた。
「…ま、困ったら相談してくれよ。できることならやるからさ」
「――ただし代償については公言するのは注意してください。代償を毛嫌いしている魔術師も少なくありません。僕はそういうこと気にしませんが、あまり口に出さないように」
少しだけ態度が冷たくなる2人。らしくないことを言ったから気恥ずかしいといった様子だ。
「うん、帰ろう」
涙を拭いて立ち上がる。
もしかしたら、という思いが過るが振り払う。胸の重りが取れた気はするが、罪は拭いきれるものではない。
「よし、今日は俺が奢るわ。エリーの歓迎を込めて、パッとやろうぜ」
「人の金遣いには文句言うくせに、自分には随分と甘いですねギュンター」
「俺は常識の範囲内だからな。お前らは範囲外なんだよ。シルヴィアといい、ウェンといい、なんでこうも金銭感覚がおかしいんだよ」
だが――今だけは、こうしているのは許されるはずだ。
日が傾き星空が見えはじめた空を見上げ、エリーは小さく笑った。