少女と傭兵
翌日。
エリーが目覚めたと聞いたアリシアも、エリーが入院している病院へと足を運んでいた。
自身も軽く入院する羽目になってはいたが、もう退院しておりここ数日はリハビリがてらイニーツィオ近辺の魔物の掃討を行っていた。魔族や"レジスタンス"の強敵たちと比べるといささか物足りなかったが、市民や旅人の安全のための細かい安全確保もれっきとした仕事だ。
ちなみにスキピオの手伝いもすべきかと彼に相談したが断られた上、書類仕事が苦手なことをあっさり見破られている。
だがいずれ上を目指すなら書類仕事もできた方がいいと、フィレンツェに戻ったらまずは簡単なことから教えてくれるとのことだ。
「……これならエリーも喜ぶか?」
流石のアリシアも見舞いの品は必要だろうと、思いついた品をお見舞いとして持ってきていた。
保存が効く菓子類と小説をいくつか。本屋の店員に流行りの小説を尋ねて用意したものだ、これなら問題はあるまい。
菓子類と本が入った紙袋を手に上機嫌に病室へ向かう。
「ふふ、この推理小説は面白いとあの店員さんも言っていた」
自分用のもいくつか購入してある。エリーと同じタイミングで読むことでお互いに感想を言い合うつもりだ。
店員にもそういう楽しみ方もおすすめされている。そんな楽しみ方があると知らなかっただけに心が踊る。
「そろそろ病室か」
眠ったままのエリーは一度見ているが、全身に包帯まみれと痛々しい姿だった。それでもまだあの時よりは遥かにマシだ。
レザールと決着をつけた直後のエリーは全身が傷だらけで出血多量状態であり、命を落としてもおかしくはなかった。
あの状態から命を取り留め、さらには意識も回復したのは奇跡と言っていいだろう。
「……あの2人はもう来てるか」
病室の前に立ち、ふと思い出す。何故か妙に緊張してきた。
シルヴィアもレベッカも朝から病室へ行くとそれはもう楽しそうに言っていた。
昨日から随分と2人の機嫌が良いのをアリシアは感じ取っていた。エリーが目を覚ましたからだろうが、それだけでない何かをアリシアは感じていた。
とはいえここ最近のシルヴィアの落ち込みっぷりは尋常ではなかったので喜ばしいことではある。
軽くドアをノックして中の反応を伺う。
「……私だ、アリシアだ。入るぞ」
「どうぞ。入ってきて」
シルヴィアの声だ。
やはり先に来ていたようだ。
「エリー。調子はどう…………」
緊張と共に開けた先の光景にアリシアは目を疑った。
「はいエリー。あーん」
「ふふふ、ツインテールもいいわ。最高」
エリーにカットされたリンゴを食べさせているレベッカと上機嫌でエリーの髪を弄くり倒すシルヴィアの姿だった。
「いらっしゃいアリシア。予想通り私たちを除いてあなたが一番最初に来たわね」
「アリシアもリンゴ食べる? 美味しいんだよこれ」
何故か得意げなシルヴィアとエリーに食べさせたフォークでそのままリンゴを頬張るレベッカ。
そのエリーは全て受け入れているのか、彼女たちのされるがままに口を開き、髪を弄らせていた。
(何をやっているんだこの馬鹿どもは……)
心配していたこちらの気持ちを返してほしい。
少なくともまだエリーはしばらくは安静だと聞いているが、こんなことしてていいのだろうか?
「………………お前たちがどうするのも勝手だけど、いいのか? 安静にしてなくちゃいけないんじゃ?」
「うん。別に出歩くわけじゃないから大丈夫だって」
「それならいい。まぁ……ここが病院だって忘れてないなら、常識の範囲内なら、好き勝手やってもいいか……」
やたら楽しそうな2人を止めるのも悪いし、何だかんだで節度はあるはずだ。そう信じてアリシアはこれ以上の追求はやめることにした。
多分付き合うだけ疲れるだけだ。
「そうだ。これ私からのお見舞い品だ」
紙袋を近くの机に置く。
香ばしい小麦の匂いと紙の匂いが鼻腔をくすぐった。
好きな匂いだ。こんな匂いが好きなことを知れたのも、今の仲間たちと出会えてよかったことのひとつだ。
「日持ちするお菓子と……小説をいくつか。今回は推理小説だ」
「ありがとう。推理ものは読んだことないなぁ」
「私もだ。店員さん曰く小説の感想を言い合うのも楽しみのひとつらしい。私も同じの買ったから後日感想でも聞かせてくれ」
楽しげに笑うアリシアを見てシルヴィアとレベッカは少しバツの悪そうな顔をした。
どういうことだと首を傾げていると
「ごめんアリシア。私たちも本買ってきちゃった」
レベッカの目線の先にはブックエンドに挟まれた軽く数えても20冊以上の本が机に並べられていた。
小説だけではなく、勉学の本や実用書まである。
「そうだったのか……悪いことをした」
「ちょっとお互い何を買うか話し合うべきだったわね。舞い上がり過ぎてたわ」
「お互い様だ。……それにしても多いな」
エリーの入院期間はまだまだかかる以上むしろこれくらいあった方がいいまであるが、エリー本人が全て読み切るかどうかは別の話だ。
「まだ少なくとも一月はかかるだろうからゆっくり読んでいくよ。アリシアがくれた推理小説も気になるしね」
「そうか。そんなに……」
「こんなにズタボロだとどうしてもね。外傷もそうなんだけど憑依術式の反動もあるし、そんな中戦ったからより酷くてね。まだ歩けそうにもないんだ」
首と腕はゆっくりだが動かせるとエリーは首と手を振った。
あの後カナヒメからエリーが何をしたか聞いたが、随分と無茶をしたものだと一周回って呆れてしまった。
憑依術式も"Artificial Deva"も単独での行使すら肉体へのダメージが大きいというのに、それを両方使うとは。
「元に、体が動かせるようになるの……か?」
「わからない。けど死ぬところからこうして戻ってこれたんだ。体だって動かせるようになってみせる」
包帯だらけだがエリーの目は前を見据えていた。
一時期のエリーの常に思い詰めた顔を知っているアリシアとしては嬉しく思う。
「動かせるようになったら教えてくれ。一緒に行きたい場所があるんだ」
「場所?」
「ああ。ただその場所がわからなくてな……」
わからないのに行きたい場所があるとはどういうことだろうか?
首を傾げるエリー。
「そうか……エリーは知らなかったな。グリードのことなんだが……」
「グリード……?」
嫌な予感がするとばかりにエリーは眉を顰める。
アリシアとしても口に出すのは嫌だ。だが言わねばならない。自分が前に進むために。
「グリードが死んだ」
「……!」
「ロザリーとの戦いであいつは私を守って死んだ」
言い淀むことなく言い切る。
「正直、実感がない。あいつが死ぬ時も、埋葬する時も、私は側で見ていたというのに」
またひょっこり顔を出してくるような、そんな気がするのだ。
「…………」
エリーは無言のままだった。
彼が何を考えているのか、それはアリシアにはわからない。だがまるで感情が渦巻いているような、そんな顔をしていた。
「もうグリードの思いは聞けない。だがエリー、お前はあいつが何を思って私の味方についたのか知っているのだろう?」
「……そうだね」
ゆっくりと深くエリーは頷いた。
仮に傷が無かったとしてもエリーは同じように頷いただろう。
「……私たちは一度席を外すわね」
シルヴィアが立ち上がった。
レベッカも無言で頷いてリンゴが入った皿を静かに机の上へと置く。
「色々とすまない。気を使わせたな」
「気にしなくて大丈夫だよ。ゆっくりでいいからね。あ、そこにあるリンゴも食べていいからさ」
シルヴィアとレベッカが部屋から出ていったのを見てからアリシアは話を続けた。
たまに妙なことをするが、こうやって気遣ってくれる。彼女らもまた大事な友人なのには変わりない。
「……教えてほしい。グリードがなぜ私の側についたのか……なぜ私を守ろうとしたのか」
「……わかった」
エリーはゆっくりと話し始めた――――。
◆◆◆
グリードの過去。
マリーとの確執。
そしてアリシアに重ねていた幼馴染――。
彼が何を思っていたのか、アリシアはようやく少しわかったような気がした。
「……僕が知ってるのはこれくらいだよ」
「ありがとう。そうか……」
色々な思いが浮かぶ。
口下手なアリシアではこれを一纏めで話すのは難しいだろう。
だからひとつひとつ、自分の言葉で話す。
「……私に世界を見て欲しいと言っていたのはそういうことか。自分と幼馴染ができなかったことを私に託したのか……。だけど、私はその幼馴染じゃない」
「グリードはアリシアと幼馴染となるべく重ねないようにしてたよ。実際僕にも言ってたし」
「それは……」
グリードは最期までアリシアの名を呼んでいた。
今際の際となればその幼馴染の名を言ってもおかしくはなかったが、そうではなかった。
「最初は幼馴染に似てたから守ろうとしてたかもしれないけど、ちゃんと"アリシア"として見てくれてたんじゃないかな」
「……そうだな。ちゃんと"私"に託してくれたのならそれでいい」
世界を見て周る。単純だが難しい願いだ。
けれどもやりがいのある願いだ。
「……これからの目的ができたよ。どの道"秩序の騎士"としてやっていく以上あちこち行かねばならないんだ。だったらその合間に、世界を見る。あいつが託した願いを……遂げてやる」
決意を宣言したアリシアの瞳からは大きな涙が溢れはじめた。
まるでこれまで抑えていたものが決壊したかのように、止め処なく溢れ出す。
「あれ……どうして……」
心の何処かではまだグリードの死という事実から目を背けていたのだろう。
だが彼の願いを叶えると決意するということは、彼の死を受け入れるということでもあった。
「……あいつは死んだんだな。変な言い方だが……今やっと理解できたよ」
「うん……」
「悔しいな……死なせたくなかった。私がもっと強ければあいつは死ななかった……」
力なく拳をベッドに叩きつける。
そして涙を隠すようにベッドに顔を埋めた。いずれギルドマスターとなるというのにここで弱い自分を晒すのは嫌だったからだ。
「……アリシア」
「すまない……すぐに泣き止むよ……」
服の袖で目元を拭う。
しかしながらどこにそんな水分があるのかと疑問に思うほどにアリシアの涙は流れ続けた。
「どうして……!」
「いいんだアリシア。いいんだよ」
エリーが震える手でアリシアの手を握った。傷だらけで包帯まみれで動作もゆっくりとしている。
これくらい動かすので全力なのだろう。だがそんな今にも壊れてしまいそうな手で、精一杯の力で握っている。
「エリー……」
「思いっきり泣いていいんだ。少なくとも僕の前なら強がらなくていい。我慢しなくていいんだ」
「……」
「前にアリシアが言ってたでしょ。友達だって。友達の前でくらいなら自分を偽らなくてもいいんじゃないかな」
エリーの言葉にハッとさせられる。
「くっ……うぅ」
ここで強がって気持ちを抑えていたらきっと後悔することになる。エリーはそれがわかっていた。
アリシアはもう抑えきれないと両目から大量の涙が溢れ出す。
「うぅ……あああああああ!!」
まるで子どものようにアリシアは泣き叫んだ。
エリーは無言でアリシアの手を握り、彼女が泣き止むまでただただ彼女に寄り添い続けた。