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彼と魔族とお嬢様  作者: 秋雨サメアキ
第5章 人類の翼
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始まりと決別

クローヴィスとギュンターが動けるようになった後、エリーたちはフィレンツェに帰った。

その翌日。昼前のことである。


「ねぇねぇ、エリー」


いつものようにリビングでくつろいでいると、レベッカが顔を近づけてきた。


「どうしたの?」


アリシアに貰った詩集から目を離す。ちなみに詩の良さはまだわからない。わからないのは何となく悔しいからと、何とかして理解しようと少しムキになっている。


「最近ね、お母さんの元気がなくてね、元気付けたいんだ」

「先生の……?」


マリーがそのような状況なのは心当たりがある。どころか直接的な原因を知っている。


「うーん、例えば先生が欲しがってたものってあったっけ?」

「あっそういえば料理に使うミトンがちょっとボロボロになってきてた」


普段からマリーは自分の欲というのを出そうとしない。

もう少し言ってもいいのにとは思う。




「よし決めた。ミトン、それも手作りのをプレゼントしよう!」

「僕も手伝うよ。何か出きることってない?」


元気付けたいのはエリーも同じだ。マリーが自分たちのことを子どもと思っているように、自分もまたマリーのことを母親だと思っているからだ。


「じゃあ糸とか他にも色々必要だし……後はいっそのこと新しいのも欲しいし……。ね、買い物に付き合ってもらっていいかな?」

「もちろん。荷物持ちは任せて」


というよりもそれくらいしか出来ない。孤児院では料理を担当していたため、裁縫はやったことがないのだ。

少しでも出来ればレベッカの助けになったのにと、エリーは後悔した。


「じゃあ早速行こうよ!」

「そうだね」


詩集をテーブルに置き、立ち上がる。


「そうだ。クローヴィスは呼ばなくていいの?」

「フィレンツェに帰って来てから朝から晩まで師匠と何かしてるみたいでさ。何やってるんだろ……」


単純なところでは特訓と考えられるが、それだけではないような気がする。

だが、それより先を考えることはしなかった。今はレベッカに集中しよう。


「ちょっと準備してくるね」


財布と剣を取りに一度部屋に戻る。

財布だけでいいような気もするが、ここ最近のフィレンツェの様子から念のため帯剣しておいた方がいいだろう。


「カナヒメは……」


就寝の際にカナヒメはエリーの体に残るか剣に戻るかは彼女の気分による。昨晩はカナヒメが剣に戻ったため、まだ今日はエリーだけだ。

昨日も完全解放フルドライヴの上に"Artificial Deva"を被せるという無茶の訓練をしていた。カナヒメにも無茶をさせている手前、強く出られない。


「いいか、今日くらい。……やっぱり剣も置いていこう」


意見を変えて剣を持っていかないのは他でもない、レベッカと出かけるからだ。

レベッカは戦うことができない、ごく普通の人間だ。だからこそエリーにとっては日常の象徴のような存在でもある。だからこそ今は剣を置いて普通の"人間"として街を歩きたい。

いざという時のための憑依術式リチュアもある。問題はないはずだ。




レベッカは玄関で待っていた。


「お待たせ。行こうか」

「行こう行こう! 楽しみだなぁ!」


レベッカの楽しそうな顔を見ているとこっちも楽しくなってくる。

ふと彼女の格好をよくよく見ると、かなり、気合いが入っているような気がする。


「どったの?」

「いや、すごくお洒落だなって」


白のカットソーの上から水色のカーディガンを羽織り、下は膝上が拳ひとつ分空いた灰色のスカート、靴はカーディガンと同じ水色のハイヒールだ。髪型も普段のストレートツインテールを編み込んで前に出し、いつもより大人な雰囲気を漂わせている。


「まじまじと見られると、ちょっと照れるね」

「……レベッカに比べて僕は変わらないな。ごめん、着替えてきていい?」

「いいよー」


再び部屋と玄関を往復することになった。レベッカには申し訳ない。


「何を着る……ッ!」


部屋に最速で戻り、クローゼットを開ける。以前、シルヴィアとレベッカの買い物に付き合った際についでに彼女たちの助言に従って買っていた。

ただ、自分で選ぶことも重要と言われ後日自らのセンスに則って服を選んでいる。

本当は男らしい服を着たいのだが、自分がそんな格好をすると大人びたい子どもにしか見えない。

シルヴィア曰く、自らの容姿と相談して似合っている服を選ぶことが重要、らしい。


「よし!」


黒のタンクトップの上から灰色の肩だしニットを着て藍色の七分袖のズボンを履く。靴はこれから荷物を持つことを考慮して動きやすさ重視であえて変えていない。



「レベッカ!おま……」


慌てて戻った先には、シルヴィアの姿があった。

予想外の事態にエリーは絶句し、シルヴィアはそんな彼の様子を見て激しい感情の無い穏やかな海のような様子で尋ねた。


「あら、デートかしら?」


今起きたばかりなのか、シルヴィアは寝巻き姿――ネグリジェのままだ。それでも髪だけはしっかりと整えられているが。


「う、うん……」

「ねぇ、レベッカ」


先ほどまでの元気はどこへやら、レベッカはかなり暗い顔をしている。

理由は……なんとなくわかる。


「ごめ

「何で謝るの? 私に負い目を感じる必要はないわ。好きにデートしていいのよ」


俯いているレベッカの顔を上げ、自分を真っ直ぐ見させる。


「そもそも、そんなことを思うのなら誘わなければいいじゃない」

「それは……」

「嫌なんでしょう? なら行けばいいじゃない。私はね、人が人を好きになるのはとっても素敵なことだと思うし、それを止める権利は私にはないわ。それはエリーに対してレベッカが想っていることも例外じゃない。だから存分に楽しめばいいわ」


レベッカの肩に手を置き励まし、微笑む。ただ格好が格好なだけに妙に締まらない。




言いたいことを言ったシルヴィアは、今度はエリーの方を向く。


「そもそもエリーが2人相手にできない甲斐性なしなのがいけないのよ」

「……え?」


思いがけない話の矛先に、エリーの思考が止まる。


「だいたい、昔から一緒にいてレベッカの気持ちになんで気付かなかったの!?」

「いや、その、シルヴィアたちと会うまでは余裕なかったし、レベッカとは兄妹みたいなものだって思ってたから……」


確かに魔族に両親を殺され、やっとできた仲間も自分のせいで死んだと思い込んでいたエリーの気持ちはシルヴィアも理解できる。だが、今ここではそうではない。


「兄妹みたいなものって何よ。"きょうだい"間での恋愛なんていっぱいあるじゃない! そういう小説たくさんあるわ!」


小説を読むようになってから恋愛物ばかり読んでいたシルヴィアは、何故か"|きょうだい物"(そういうもの)に興味の矛先が向いていた。


「それは創作であって現実ではまずいんじゃ」

「あなたとレベッカは血が繋がってないでしょう? なら実質他人よ何も問題はないわ」

「くっ……」


これ以上の舌戦は押しきられるだけと判断し、


「と、とにかく! その話は後にしよう! 買い物をしなきゃいけないし!」

「まぁ、そうね。時間をとらせて悪かったわね、レベッカ」


柔らかい顔で、シルヴィアは微笑んだ。

レベッカもまた笑顔で返す。


「ありがとう、シルヴィア」

「礼を言われる筋合いはないわ。ふふ、存分に楽しんできてね」


いってらっしゃいと、シルヴィアの見送りを受け、予定より少しばかり時間をかけてエリーたちは孤児院を出た。





◆◆◆





「…………」

「……どうしたの?」


孤児院を出たはいいが、レベッカは口を開こうとしなかった。


「……私さ、前にエリーにフラレたじゃん?」

「う、うん」


唐突な切り口に、少し驚く。


「告白して、フラレて、落ち込む間もなくエリーが居なくなっちゃって。色々とありすぎてそれどころじゃなかったから勘違いしてたけど、立ち直れたんだーって思ってたのに、ぜっんぜんそんなこと無かったんだよね」


少しずつ歩む速度が遅まっていく。


「カナヒメに言い負かされて落ち込んでたシルヴィアを励ました時になってやっと気がついたんだ。――私、まだこの初恋を諦めきれてないって」


足が止まった。

どう声をかけていいか迷ったエリーの目が空を見たその瞬間、レベッカはエリーを近くの路地裏に連れ込んだ。



「レベッカ!?」

「私、エリーのことが好きなんだ。だから諦めないよ。エリーの心の半分くらいはシルヴィアから奪ってやるんだから!」


勢いのままに、レベッカはエリーの唇を奪う。


「――!?」


状況を飲み込むのに数秒を要した。

その頃にはエリーの顔からレベッカは離れ、彼女はいたずらが成功した子どものような笑みを浮かべていた。


「えへへ、今まで散々やきもきさせられてきたから、おかえし」


そう言うと、彼女はエリーの手を掴み引っ張った。


「よし! じゃあ、買い物に戻ろっか!」


手を引かれることそのままに、若干放心状態にあったエリーはレベッカと共に町の雑踏へと踏み入って行った。




――その後のことはあまり覚えていない。あまりにも先の出来事が衝撃的過ぎたせいだ。

しかし、"明らかにミトンを作る目的の物とは異なる物だらけ"で両手が塞がるほどの荷物を持つことになったことと、レベッカが常に楽しそうな顔をしていたことだけははっきりと覚えている。


(でも、レベッカが楽しそうだったならいいかな)


エリー自身も楽しかったのは事実だ。レベッカとの関係が変わるのかどうかはわからないが。

たまにはこうして遊ぶのも悪くない。……どころか、凄く楽しい。色々と落ち着いたら皆でどこか遊びに行こうと、密かに決心するエリーだった。





◆◆◆





孤児院に帰ると、まずシルヴィアが出迎えた。


「お帰りなさい」


首を長くして待っていたのか、ドアの開閉音と同時にやってきた。


「ただい、ま」

「ただいま!」


出る時とは異なり笑顔で帰って来たレベッカと大量の荷物を持ったエリーを見て、シルヴィアはどこか安心したようだった。



「さっきは気づかなかったけど……2人とも気合い入ってるわね」

「僕も服を買うことを覚えたからね。シルヴィアはあまり服が変わらないよね」


シルヴィアはパールホワイトのブラウス、ワインレッドのミニスカート、黒のニーソという服装を貫いている。靴は戦闘用か普段使いのハイヒールで分けているがどちらも赤を基調とした物には変わりない。

一度尋ねたところ、クローゼットの中に大量の同じものが入っていたのを見た時は驚いたものだ。


「私はこれが気に入っているし、一番似合っていると思うわ。ドレスも嫌いじゃないけどね。白と赤、ほどほどに目立つし好きなのよ。黒のこれもそれを引き立たせるにはベストね」


ニーソを摘まみつつ、ちなみに下着も黒よ、とひとつ情報を付け足す。

そしてレベッカの肩を掴み大真面目な顔をして、


「それで、レベッカ。どこまでいったの?」

「キス、しちゃった」

「あら~! よくやったわレベッカ!」


黄色いを声をあげてキャッキャッする女性陣を他所に、エリーは大量の荷物を床に置いた。


「あえて訊かなかったけど、ミトン作るのにこんな量いらないよね?」

「ん、そうだね。ミトン作るのはほんとだけど、私が欲しかったものもあったし」


含みを持たせて笑うレベッカ。

それにどう反応すればいいのかわからなかったエリーは、そっぽを向いた。


「視線を合わせないなんて、あらあら」


実に楽しげなシルヴィアを無視し、とりあえず荷物をレベッカの部屋に運ぼうと荷分けしようとしたその瞬間。

続けて帰って来た人物がいた。




「ただいまです。……この、荷物は」


マリーだ。買い物籠を携え、そこには夕飯の材料と思われる食材が入っていた。


「お、おおお母さん。ちょっと買い物に行ってたんだ!」


どうやらプレゼントのことを悟らせたくないのか、随分と狼狽えた様子でレベッカは弁明を図る。

マリーはレベッカの大量の荷物を見て、少し驚いた様子を見せるもそれもすぐに消えた。


「そう、なのですか。レベッカももう大人ですし、どうのこうのは言わないのですけれど、何事もやりすぎは良くないのですよ?」

「は、はーい」


それだけ言うとマリーは夕飯作りのため、キッチンへと向かっていった。




「お母さん……」

「元気ないね……」


レベッカの言っていた通り、マリーの様子がどこかおかしい。

やはりグリードとの因縁を覚えているからこそ、気分が晴れないのだろうか。

それと同じように、エリーの心も晴れていなかった。


(グリードは少し考えるって言ってたけど。……もし、先生を殺す結論に至ってそれを先生が受け入れた時、僕はどうすればいい?)


ただグリードがマリーを殺そうとすると仮定した時、エリーは戦うつもりだった。それはマリーが拒否すると思っていたからだ。

もし殺されることを受け入れたのなら、どうするべきか。マリーが死を受け入れる、もしくは望んだのならば邪魔をするべきではないのではないか。

ただエリーたちは死んでほしくない。……本人たちの意志を尊重するか、自分たちのエゴを押し通すか。


(カナヒメに相談するべきかな?)


この事はカナヒメだけに話してある。というよりも同じ体を共有しているため、やろうと思えば記憶も見えるため隠していてもいずれバレる。だったら最初から話しておこう、と考えてのことだ。

逆に他の仲間に話さなかったのは、ウェンやリディアのことを抱えているのにさらにそこから悩み事を増やしたくはなかったこと、まず無いと言い切れるがそれのせいでアリシアが責め立てられること。主にそのふたつが理由だ。

……とはいえ、自分だけでいつまでも考え込んでいても仕方ないだろう。全て仮定に仮定を重ねた話だ。とりあえず今は切り替える。



「……エリー、エリー?」


ふと我にかえると、シルヴィアとレベッカが心配そうに見つめていた。


「……あはは、ごめん。僕も先生が心配だからね、大丈夫なのかなってちょっと考え込んじゃった」

「もしかして私が荷物いっぱい持たせちゃったこと、怒ってる?」

「いや、別に怒らないよ? 僕が望んだことだし。それはそれとして多いなーとは思ったけど。それに……」

「それに?」


期待を込めた眼差しでレベッカはエリーを見つめてくる。

少し、意地悪をしたくなった。やられっぱなしでは終われない。そう考えたエリーは何故か得意気な顔で


「……妹みたいなものだからね」

「エリー……あなたね……」


珍しくシルヴィアがエリーにひどく呆れたような顔をした。

だが、それに対するレベッカの反応は2人の想像とは異なるものだった。


「私が、妹? エリーが弟じゃなくて?」

「え、なんで」

「おかしくない? どちらかと言えば私がお姉ちゃんだと思う」


理解、できない。

だがここで思考を放棄するわけにはいかない。


「レベッカ、歳は?」

「18」

「だよね? そして僕が19、僕が年上。兄であってるよ」

「でもエリーの体って15歳で止まってるよね。それにここに来てから……もう12年だっけ。その時に記憶失ってるし実質12歳でしょ? だから私が、歳上、お姉ちゃん」

「実質12歳ってなに……。体のことはともかく、実年齢は僕のが上だし。それに背も僕のが高いし!」


筋が通っているのか通っていないのかよくわからない理論を立てながら、お互いむきになって上だと言い張る。



「こんな仲の良さもいいわね……」


それを止めるのではなく、しみじみと受け止めるシルヴィア。


「シルヴィアは2人と喧嘩しなかったの?」


レベッカが不思議そうに呟く。エリーがまだ孤児院にいた頃でさえ、レベッカやクローヴィスと言い合いになったことがある。その理由は微笑ましいものばかりだったが。


「喧嘩、というよりは私が延々と説教されてた感じかしら。言い合いもあるにはあったけど、だいたい私が悪いし……」


正直なところ、今も説教はされる。部屋を片付けろというのが一番多い。

だが片付けられないのだ。家にいた頃は片付けなんてことはメイドたちがやってくれていた。その慣習が抜けきらず、仮にやったとしても2、3日もすればまた散らかりだす。孤児院に着て間もない頃、下着すらその辺りに転がっていたのをレベッカに目撃された時は彼女にすら怒られた。



「私、レベッカにも言われたのよね」

「流石に私もあれは怒る、というか注意したくなるよ。いくらなんでも下着をそこら辺に置いとくのはまずいって。というかそれまではどうしてたの?」

「2人が片付け手伝ってくれてたし、下着も服も畳むなりなんなりしてたわね」

「えぇ……。幼馴染とはいえ男の子だよね?」

「そういう境地じゃなかったと思うわ。なんかこう、無表情だったと思う」


……想像に難くない。半ば諦めの境地だったに違いない。それでも注意し続けたのは本気で直して欲しかったからだろう。


「でも! 私もちょっとずつだけど片付けるようになってきたのよ!」

「そうなの?」

「そうなのよ。いつまでも2人に頼っているわけにはいかないもの。私もいい歳だし」



ここまでいって、全員我に返る。


「はっ!? 話が脱線しすぎたわ。とりあえず荷物を片付けましょう」


予想以上に盛り上がってしまった。どうもシルヴィア込みで話すと会話が長くなる傾向がある。別に嫌なわけではないが。


「それにしても何を買ったのかしら?」

「もちろん裁縫道具を。後は服とか本とかかなぁ」


我に返ったところで、会話が止まるわけもなく。レベッカの部屋に荷物を運びながら話は続いていく。






――その時だった。

玄関のドアがやや乱暴に叩かれた。


「……? 誰だろ」

「僕が出るね」


それとなくレベッカを制止し、エリーがドアへと向かう。

なんとなく、そのドアを叩いた人物はわかっていた。


「……よう」


案の定だ。


「……グリード」


その男の瞳には確かな決意が宿っていた。来た理由を訊ねる必要もない。

それをグリードもわかっているのか、何も言わなかった。



「あら? グリードじゃない」

「グリードさんこんにちはー!」


事情を知らない彼女たちは屈託のない笑顔でグリードを迎え入れる。


「あぁ、邪魔をする。……なんだ、そのお前さんたちの荷物は」


流石のグリードもレベッカたちの荷物には目を丸くした。


「これですか? お母さんのミトンが古くなっちゃったから、新しいのを作ろうかなって」

「そうか。お母さん、か」


無精髭を触りながら、噛み締めるようにグリードは呟いた。

今、彼の心の中では様々な感情が吹き荒れていることだろう。そうエリーは思いつつも、それを一切表に出すことはなく何も知らないかのように振る舞う。


「それで、グリードは何しに来たの? アリシアなら今日は居ないけど」

「アリシアはいなくていい。今日はお前さんたちの"お母さん"に用があるんでな」

「……そっか」


それ以上の会話はない。エリーとグリードはそこまで仲が良いわけではない。しかし険悪なわけでもない。それなのに妙に緊張感のある空気にシルヴィアは気づき始めているのかもしれない。

事実、笑顔だったシルヴィアは不思議そうな顔をしている。勘づくのも時間の問題だろう。


「お母さんに? わかりました、呼んできますね!」


一方レベッカは疑問には思っていないようだ。レベッカが鈍い、というよりはエリーたちの知り合いを疑うということをしないのだろう。





ほどなくして、マリーの足音が扉の向こうから聴こえた。


「…………っ」


グリードが息を飲む。

平静を装ってはいるが、待ちわびた瞬間を前に緊張しているのが伺える。

一方エリーは未だに迷っていた。もしもの時にどうすれば良いかを。



「おまたせしたのです。グリードさん」


レベッカと共に扉を開けて出てきたマリーの表情は読めなかった。普段のような慈しみを感じるものでもあり、戦士のそれのようでもあった。そしてその手には古くなったミトンが握られていた。レベッカが言っていた通り、もうだいぶ古くなってしまっている。


「……"あんた"は忘れてるかもしれないが、俺の故郷はあんたによって滅ぼされた」

「………………」


グリードはあくまでも無表情で話を進めていた。まるで何かに抗っているかのように。


「覚えて、いるのです。あの日、私を復讐する、殺すと叫んだ少年を。もう、20年も経ったのですね。私にはまだ昨日のように思い出せるのに」


その言葉にレベッカは驚き、明らかな敵意を向けてグリードを睨んだ。



「……その復讐を終わらせに来た」

「なっ、ダメ……っ!」


マリーとグリードの間に、レベッカが立ちはだかった。立ちはだかったまではいいが、恐怖で表情は歪んでいるうえに、足は震えてしまっている。


「レベッカ、いいのです」

「でも!」

「いつか、こうなることはわかっていたのです」


震えるレベッカの手を握る。

そしてゆっくりとほどくと、グリードの前に立った。


「ダメよ、マリーさん。あなたに死なれては困るわ」


シルヴィアが制止した。


「いいのです。人斬りには幸せすぎる余生でした。幸せすぎて、今から死ぬのが怖いほどに」

「なら、なおさら」


マリーは無言で首を振った。

そのままグリードの前まで進む。さながら執行を待つ死刑囚のようだ。




「……グリード」


エリーは自分に言ったことが本当なら、趣味の悪い思わせ振りな言動はやめて欲しいと視線を送る。


「……確かに俺は復讐を終わらせに来たと言った。が、別にあんたを殺すことが俺の復讐との決着じゃない」


グリードは刀には一切手を触れず、しかしマリーのことはしっりと見据えて話す。

20年だ。20年もの間殺したかった人間を、殺さないと決意した彼の心境をエリーも詳しくはわからない。だが、先日の問答が少なからずグリードに影響を与えていたのだろう。


「故郷を、家族を、友を殺したあんたのことは赦しはしない。だが、ここであんたを殺せば今度は俺があんたと同じ立場になる。同類にはなりたくなもんでな」


それに、とレベッカとエリーの方を見る。


「あれから何があったか知らんし興味もないが、この孤児院とあんたを慕う奴らがいる」


グリードは今、故郷の想い出が頭を過っていた。平和だった日々、育ててくれた両親、親切な隣人たち。そして、幼馴染。

奪われたあの時間は返ってこない。それを他人から奪ったところで、戻せるわけではない。

誰もが、失い続けるだけなのだ。


「あんたを殺せばリリーが帰ってくるのなら、今すぐにでも殺してる。だが、そうじゃねぇ」





――リリーの、夢を見た。

恨まないでと謳う彼女の願いを見た。

遥か彼方、自分の原点たる記憶。

永らく忘れていた、彼女の夢。世界を巡ること。そしてそれを継ぐといった己自身。

まるで何かの啓示のように、彼女と笑顔と願いを見た。


すまない、とグリードは思った。


世界を巡ったのは復讐のため。

恨むなと言われた人物を20年も恨んだ。

こんな体たらくでは、リリーに怒られてしまうだろう。


なら、今から夢を叶えればいい。

世界を巡ろう、今までの20年分。そしてこれからの分。

時間を、取り返すのだ。


そしてそれは復讐を終えることを意味する。


――三流傭兵は、目的ひとつ達成できなかった。

……それが、いいのだろう。





「だから、俺の復讐は終わりだ。あんたは今まで通り生きるがいいさ」


マリーは呆然としていた。

それもそうだろう。恨まれて当然のことしたというのに復讐をしないと言われたのだから。


「ま、待ってください! 私はあなたの全てを無茶苦茶にしたのですよ!? なのに、なぜ」


――殺そうとしないのか。


「俺の知っている"人斬り"は死んだ。今俺の前にいるのはこいつらの"お母さん"だ。それに、誰も誰かの時間は奪えないからなァ」


なおも食い下がろうとするマリーに「ただ、それじゃああんたは満足しないだろ?」とグリードは言うと


「ならこれで、どうだ」


神速の抜刀とともに、マリーが持っていた古くなったミトンを両断した。

それ以外には傷ひとつつけていない。


「えっ……?」

「そういえば、あんたの子どもがあんたに贈り物をしたいんだそうだ。今斬ってダメにしたミトンでも作ってもらったらどうだ?」


茫然自失のマリーたちを他所に、グリードはそのまま孤児院から出ていった。


――どこか、その顔は晴れやかだった。





◆◆◆





「……待って!」


孤児院から出たグリードを、呼び止める者が1人。


「どうしたんだ、エリー?」


やはりと言うべきだろう。状況を知っているのはエリーしかいないからだ。


「グリード……良かったの?」

「なんだ。お前さんは自分らのお母さんが殺されてるところを見たかったのか? ……なんてな。そうだ、あれで良かったんだ」


エリーは「そっか」と小さく呟きつつ、頷いた。


「……良かったら、何があったか話してもらってもいいかな? 僕だけの秘密にする、カナヒメにもこの記憶は見させない」


グリードはため息をついた。

ここまでお節介だったとは。


「……しょうがねぇ」




しばらく後、事のあらましを聞き終えたエリーは言葉を失っているようだった。


「特にアリシアには伝えるなよ。あいつとアリシアは違うんだからな」

「わかってる」


グリードはじゃあなと手をひらひらさせながら歩いていく。


「グリード」

「なんだ?」


向こうは見ない。


「――ありがとう」


この言葉に、どのような意味が込められているかはわからなかった。ひとつなのか複数なのかさえ。


「おう。じゃあまたな。アリシアによろしく伝えておいてくれ」


グリードはそれでも軽い口調で流す。

エリーはグリードの姿が街中に消えるまで、彼を見送った。





――リリーとアリシアは違う。


違うが、少しだけ彼女の顔を見たくなった。

だが、今は会うのを避けようと思う。

20年ぶりに泣いてしまうかもしれない。

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