本当のはじまり
――それからのことは、あまり覚えていない。
魔族を討ちそれをギルドに報告したその後に、シルヴィアたちが宿泊しているという宿屋に案内された。
その宿屋は1階が酒場、2階が宿屋となっていて、昼夜を問わず人が出入りしていて非常に賑やからしい。
覚えているのは酔ったシルヴィアがエリーにスキンシップと称して、ベタベタ触ってきたくらいだ。
あまりにもやり過ぎたのか、ギュンターとウェンに怒られていたこともまだ覚えている。シルヴィアはその後数分で酔いつぶれて寝てしまったらしいが。
だがエリーはそんなのは上の空で、ただただ虚空を見つめるだけだった。
魔族を討ち果たした喜びはなぜか感じなかった。
いつもの日々のように、ただ物事が過ぎ去っただけ。
虚無感、とも言えるだろう。
魔族を討つことを目標に生きてきた自分が、魔族を倒した今、何ができるのか。
仇を討つことだけに必死で、それ以外のことは蔑ろにしてきたのは事実だ。
食事に衣服、その他おおよそ人が楽しみにする何かを特別意識したこともない。
思えば孤児院にいた頃も自分に衣服は友人が選んだものばかり着ていた。
後になって考えると彼女の趣味嗜好全開だったが、当時の自分は疑問を抱くことすらなかった。
食事に関しては孤児院での料理担当がエリーだったため、衣服ほどにまで無頓着ではなかったが、他人に食べさせる料理ではないものは随分適当ではあった。
――どうであれ、今の自分は空っぽだとエリーはわかっていた。
憎むべき敵も、果たすべき目標もなくなり、残ったのは空虚な存在だけだ。
その空虚な頭で想うのはシルヴィアたちのことだ。
シルヴィアたちはこの後どうするのだろう。
恐らくは――いや間違いなく、エリーも一緒に旅をしようと誘うはずだ。
しかし、それはできない。
既に決めていたのだ。――もし、魔族を打ち倒したら自分はシルヴィアたちと別れよう…と。
理由はもちろんある。
かつて、自分は人を2人殺した。
正確にはエリーが殺したわけではなく、エリーが原因で死んだのだが、エリーが手を下した下してないは重要なことではない。
自分と関わったから死んだのだ。エリーはそう信じて疑わない。
もう自分のせいで人が死ぬのは嫌なのだ。それが誰であろうとも。
シルヴィアに加えて、ギュンターとウェンという討ち解け合えたであろう仲間たちを死なせるわけにはいかない。
――先日から見させられているシルヴィアを殺す夢。シルヴィアの返り血で染まった自分の手。
あれを正夢にしてはならない。
それに今の自分には目的も目標もない。無気力なままの自分といても意味がない。
「……………」
祝杯と称した馬鹿騒ぎも終わり、今はシルヴィアの部屋にいる。
シルヴィアはベッドで寝ていて、エリーはその横で座っている状況だ。
ふと視線をシルヴィアに移すと、酔い潰れたシルヴィアは寝息を立てて、気持ち良さそうに寝ていた。
もう遅いからここに泊まっとけとギュンターとウェンに言われ、今はここにいる。もちろん宿屋に話は通してある。
「ごめん…」
シルヴィアの艶やかな銀髪に涙を落とす。
彼女はきっと悲しむだろう。唐突に姿を消し、もう会えないとだけ書かれた手紙を残されればそうもなる。
「……行かないと」
長居をしても別れが辛くなるだけだ。
今でさえ本当は離れたくないと思っているのに。
覚悟を決めるとテーブルに剣を置き、その横に手紙も添える。内容はもう一緒にいれないということを綴っただけだ。逸そ嫌われるために自分の罪を洗いざらい書こうとも考えたが、それはできなかった。
「――さようなら、シルヴィア」
後ろを振り向かず扉を開け、そのまま出ていく。
部屋を出ると足音をなるべく出さないように歩き、1階の酒場に降りる。
もう客も疎らで、さきほどのような喧騒さはない。
酒場の主人に今日自分が泊まるのはなくなったと伝え、迷惑をかけたと自分の宿代を渡す。
その際に主人に声をかけられた。
「嬢ちゃん。大丈夫かい」
「…はい。自分の宿に戻るだけですから」
主人が伝えたいのはそういうことではないだろうが、平静を装ってそれとは違ったことを答える。
「そういうことじゃねぇや。嬢ちゃん、泣きそうな顔してるの気付いてるか?」
「……!」
主人にそっと渡された手鏡を見る。
――酷い顔だ。
これでは別れたくないのがバレバレではないか。
だとしても、戻るわけにはいかない。
「本当に大丈夫です。…もう、行きます。心配してくれてありがとうございます」
「おっさんのお節介だ。気にしなくていい。気を付けて帰りなよ嬢ちゃん」
主人に感謝しつつ宿屋を後にする。
外に出ると酒臭い空気から一転、澄んだ空気がエリーを包んだ。
空を見上げれば星が瞬き、大きな月がエリーを見下ろしている。
皮肉なものだと力無く微笑む、こんな日に限って美しい夜空だとは。
「後は何処かへ行くだけ。それだけ」
この後はどうしようか。
孤児院に顔を出すのもいいだろう。3年もの間何の連絡もしていない。心配しているはずだ。
だが、今の自分は到底他人に見せられるものではない。
――宛もなくさ迷うのもまたいいだろう。どうせ時間はたっぷりある。
シルヴィアへの想いを胸に、エリーは暗闇へと溶け込んでいった。
◆◆◆
――誰かが扉を開けた音が微睡むシルヴィアの耳に入った。
最初は暴漢かと思い飛び起きると同時に警戒したが、周囲におかしなことはない。
いや、ひとつだけあった。
「これは…」
テーブルの上にある剣と手紙。
この剣はシルヴィアがエリーに送ったものそのものだ。
酔い潰れたシルヴィアをエリーが運んだ際に忘れたのではないかと考えたが、横にある手紙がそれを否定した。
「………」
恐る恐る手紙を開く。
「……! そんな…エリー!」
もう一緒にいれないこと、仇を討てたことに対する感謝、そして短い間だったが一緒にいれて楽しかったこと。
それらを綴った手紙は涙で濡らしたのか、少ししわができていた。
「別れたくないの、バレバレじゃない」
その時、部屋のドアが叩かれた。
「シルヴィアさん起きてますか?」
「さっき水でも飲もうかと下の階に降りようとしたんだけどな。その時、エリーが宿屋から出てくのを見たんだわ。エリーの宿屋に戻るだけかと思ったけど雰囲気からしてそうじゃねぇし、シルヴィアなんか知らねぇか」
ウェンとギュンターだ。
この1週間、2人は2人でエリーの訓練に付き合ったり相談にのったりと世話を焼いていた。
エリーの手紙にも2人に対する感謝も書かれていた。
「とりあえず簡潔に説明するわ」
急いで手紙の内容を伝える。2人の顔色が著しく変わっていくのがわかる。
「相談くらいすればいいじゃねぇか…。重要なことは何一つ話さないでよ…!」
「くっ…。シルヴィアさん追ってください!まだ、間に合うはずです!」
表情を歪ませるギュンターとそれでもなお冷静に対処するウェン。が、ギュンターも直ぐ様いつもの調子を取り戻す。
「えっでも、もう会えないって」
「どうしてこんな時に限って消極的なんですかッ!今追わなかったら一生後悔しますよシルヴィアさんッ!」
しり込みするシルヴィアをウェンが一喝した。
ギュンターもウェンの言葉に乗じたようにシルヴィアの部屋からエリーの剣を持ち出す。
「これを持っていけ。少なくとも今エリーを呼び戻せるのはお前だけだシルヴィア!」
「――ありがとう。よし! エリーを連れ戻してくるわ!」
2人に背中を押され、シルヴィアは駆け出した。
階段を飛び降り、酒場の扉を乱暴に開ける。
もうエリーの姿は見えない。澄んだ夜の風がシルヴィアを撫でる。
「行くとしたら…宿屋ね」
以前エリーに宿屋を教えてもらったのが功を奏した。
もしかしたら宿屋に戻るなりこの町から出ようとするかもしれない。
だがまだ走れば間に合うはずだとシルヴィアは自分に言い聞かせる。
――以外にも、エリーははやく見つかった。
後ろで束ねられた栗色の髪は歩きに釣られ揺れている、後ろから見たその姿は少女そのもの。
間違えるはずがない、エリーその人だ。
万感の想いを込め、シルヴィアはありったけの力で叫んだ。
「エリーーッ!」
◆◆◆
自分の宿屋への道を力無く歩く。
気づけば小さく笑っていた。喪失感も失せ、存在するのはある意味絶望だけだろう。
『人間』は本当に絶望すると笑ってしまう、というのは事実だったらしい。
「どうでもいいか…それも」
また空を見上げると変わらず自己主張の激しい星が誰が一番かを競うように煌めいている。
いっそのこと、どしゃ降りの雨にでもなればいいのにとわがままを呟く。
「………!」
「今のは…?」
後ろからだろうか、声が聞こえた。
こんな時間に歩いているとは無用心な人だと思うも、それは自分もだと気づく。
「…リー!エリー!」
「シル…ヴィア…?」
自分の聞き間違えでなければあの声はシルヴィアの声だ。…だが何故?
「そうよ私よ!」
エリーが歩いてきた方向から全力で走ってきたシルヴィアは、勢いをそのままにエリーに抱きついた。
「ぐふっ…。シルヴィア…なんで、もう会わないって書いたのに…」
少々腹部にダメージを受けながらもシルヴィアを咎める。
もう2度と見ることはないとわかっていたからこそ、自分は振り向かずに行けたのだ。
なのにまた彼女を見てしまったら、もう…。
「手紙のこと? こんなものは…こうよ!」
シルヴィアはエリーが涙ながらに書いた手紙をその場で千切った。
「なんで破るの!?」
「もう一緒にいれない? 傷つけたくない? …関係ないわ! 私はエリーと一緒にいたいのよ! ダメっていうなら引きずってでも…!」
「でも僕はもう、目的も目標もないんだ…。もう亡霊と同じなんだよ。僕と一緒にいたら、シルヴィアたちは不幸に…」
だからもう1人にして欲しいと、抱きついたままのシルヴィアを剥がそうとするエリー。
だがシルヴィアはどこにそんな力があるのか、振りほどこうにも振りほどけなかった。
シルヴィアはそのまま、付近のベンチにエリーとともに腰かける。
「不幸になんてならないわ、絶対に絶対よ。それに目的なら私がつくるわエリー」
どこからそんな自信がわくのだろう。それほどまでにシルヴィアは自信に満ち溢れていた。
「例えば、私やギュンターとウェンと一緒に旅をするのよ! それで大陸中を回って、色んな町や景色を見て、色んな人と触れ合って、困ってる人を助けて…他にも色々よ!」
シルヴィアはまるで夢物語に瞳を輝かせるような純粋な目でエリーに語らいだ。
いや――実際に彼女にとっては夢そのものなのだろう。
「だから目的は、一緒に造っていきましょう?」
「でも、シルヴィアを」
傷つけてしまったら、という前に彼女の新たな言葉に塞がれた。
「私の目的はね、大好きなエリーと一緒に旅をすることなの。私やあの2人が傷つく? 上等だわ。殺せるものなら、殺してみなさいよ。私たちはそんな簡単に死ぬほど柔じゃないわ!」
「シルヴィア…僕は」
1人じゃない。何故かその言葉がエリーの胸に響いた。
セピア色の世界に色がつき、そして今それが色鮮やかな世界になったかのような…そんな感覚。
「だから、改めて言わせて」
「…うん」
何を言うのだろうと思わず身構える。
「私はね…エリー、あなたが大好きです。何よりも、誰よりも、あなたが好き」
「………!」
真っ直ぐな、一切の歪みすら許さないほどの真っ直ぐな告白。あの時を思い出す。
しかしあの時はその感情が認知できなかった。
だが今なら、はっきりとわかる。
「シルヴィア」
「…はい」
「僕も、シルヴィアのことが好きなんだと思う。うぅん、いやきっとそうだよ。あの時は上手く答えられなかったけど今は伝えられる。…僕も同じ気持ちです、シルヴィア」
この言葉に嘘偽りはない。あってなるものか。
「…ありがとう。だからね、私はエリーとはまだ離れたくないの。えっとね、私を信用してほしい。私だけは絶対にエリーの味方であり続ける」
例え何があろうと必ずよ、と力強く言い締めた。
「…うっ…ぐぅ…ぼ、僕だっで本当は…!うあぁぁ!」
何年もの間、我慢していたもの、吐き出したかったもの、その他様々な感情が混ざりあい、エリーはただただ泣き続けた。
シルヴィアはただ泣きじゃくるエリーを抱いて、頭を撫でていた。
一頻り泣き終え、落ち着いたエリーにシルヴィアはある物を差し出した。
「エリー、これ」
「"リベレイター"…」
数日前にシルヴィアがエリーに贈った白銀の剣。
再びこの剣を手に取りエリーに渡すシルヴィアはあの時と同じような少し恥ずかしそうな表情をしていた。
「受け取ってくれるかしら?」
「…受け取るよ。また、僕と一緒に戦ってくれるの?」
「当たり前でしょう。死ぬまであなたの側にいるわ。…もっとも、寿命以外では死なせる気はないけど。じゃあ今日はもう遅いし寝ましょう。明日、ギルドで、ね」
何故かそっぽを向いて早口で告げていくシルヴィア。
星の光が彼女の銀髪でさらに輝きを増し、それを纏うシルヴィアはさらに魅力的に見えた。
「それじゃここで、エリー」
「おやす…んんっ!?」
おやすみと言う前に口を塞がれた。温かいと呑気な事を思った瞬間にはシルヴィアの顔が目の前にあった。
「し、シルヴィア!?」
「キスしちゃった。…じゃあ明日も会いましょう、約束よエリー」
してやったと満面の笑みを浮かべるシルヴィア。そのまま足早に宿屋へと帰っていく。
残されたのは状況が飲み込めず立ち尽くすエリーのみ。
数分後、ようやく状況を整理し落ち着いたエリーは帰路へついた。
「明日"も"会いましょう…か。約束は守らないとね」
未だ唇に残る感覚に頬を熱くさせながらも自分の宿屋へと戻る。
手には"リベレイター"が携えられている。
そのまま自分の部屋に入ると、そのままベッドに横たわる。
「…寝よう。遅刻なんてしたくないもん」
……何故かこの日はぐっすり眠ることができた。
普段落ち着いて寝ることは少ない手前、これもシルヴィアのお陰かもしれないと思ってしまう。
――この日を境に、エリーがシルヴィアを殺す夢を見ることはなくなる。
奇妙な夢だったとエリー自身が気にしなくなり、半年もすればそれを思い出すこともなくなってしまった。
◆◆◆
翌朝。
エリーは約束通りにギルドの支部にやって来ていた。
腰には"リベレイター"を、右太股にナイフを1本、左の太股にはナイフを2本それぞれナイフホルダーに入れてある。
服装は魔物や魔族の攻撃を回避することを前提とした軽装だ。その服装は暗めの色で構成されている。
剣以外は今までと同じ格好だ。だがその気持ちは全く新しいものだ。
新しい人生が始まると言っても過言ではない。シルヴィアたちとともに旅をする。たったそれだけのことなのに、エリーにとっては自分が生まれ変わったかのように思えるのだ。
背後から女性の柔らかな声が聞こえた。
「――そこのお嬢さん。私たちと一緒に旅をしましょう」
先日似たような台詞を言われた。しかしこの言葉を紡ぐ声は、不快ではなくむしろ心地いい。
「嫌だって言ったら?」
今度は男性の力強く、そして聡明な声だ。
「強引にでも連れていく。うちのお嬢様は強情なんでな」
「拒否権は与えないのでそのつもりで」
嫌なものか。拒否権なんて必要ない。
シルヴィアの、ギュンターの、ウェンの言葉をそれぞれ聞き、満を持して振り返る。
「ぜひ一緒に旅をさせてください! 僕は、エリー・バウチャーって言います!」
思いっきり笑って、畏まって自分の名前を名乗る。
「シルヴィア=クロムウェルよ。これがギュンターで、こっちがウェン」
シルヴィアも合わせてくれたのか、彼女もまた自己紹介をしてくれた。
ギュンターとウェンも楽しげに笑っている。
「約束は守ったからね、シルヴィア」
「ええ、ありがとう。そして、これからもよろしくね、エリー」
シルヴィアが手を差し出した。それを迷いなく手に取る。
それを見てシルヴィアは嬉しそうに笑っている。
「…とまぁそんなわけだ。よろしく頼むぜ、エリー」
「よろしくお願いしますね、エリーさん。賑やかな旅もいいものですよ」
ギュンターとウェンも嬉しそうに笑っていた。
支部の外に出ると、雲ひとつない青空が広がっていた。
新たな門出には相応しい青空だ。
「行こう!」
「ええ、何処へでも!」
エリーはシルヴィアとともにまだ見ぬ場所を目指し、最初の1歩を踏み出した。
――彼と彼女の物語はここからはじまる。
とりあえず第1章はこれにて終わりです。
次の章ではエリーの過去と世界観を広げる話にしていきたいと思います。