4.石
その日も陽は高く昇っていた。
木の影に座っていた太郎に、チンが楽しそうに話しかけてくる。
「まだ夏はこないって言うのに、暑いっすね」
チンは、太郎の隣に座り、額の汗を手で拭った。
「兄貴は、船で海に出たことはあるんですか?」
隣に座るチンが顔を向けてきたので、太郎は頭を横に振り、無いと答えた。
お互いに何も話さず、小鳥の鳴き声が聞こえる。たまに吹く風に草木の葉のこすれる音が、辺りを満たしていた。
太郎は、カンも一緒に畑仕事を手伝ってくれるのかと思っていた。だから、カンの手伝う、と言ってくれた後、一緒に畑にくるのかと思っていた太郎に、カンは「準備があるから」と、後ろ姿を向けて立ち去ってしまった。
準備。一体何の準備だろうか、と太郎はそれからチンが話しかけてくるまで考え続けていた。それも、チンの話を聞き、クワを持って畑を耕し始めるうちに忘れていった。
夕暮れに染まる帰り道、いつもの分かれ道に差し掛かり、別れの挨拶でもしようと太郎が振り返ると、チンがどこかを見ながら立ち止まっていた。太郎もその方へ顔を向ける。木々の間にかすかに見えたのは海だった。
「兄貴は、船で海に出たことはないんですよね」
「ああ」
「この海の向こうにはどんな世界があるんでしょうかね」
風が優しく通り過ぎる。遠くに見える海に向かって、太郎とチンはしばらくたたずんでいた。
その日の夜、太郎は寝る前に、とうちゃんに聞いていた。
「俺は、いつになったら船に乗れるんだ」
とうちゃんは、そう言った太郎を一目見て、頬をかきながら布団に向かった。
「まだだ」
その日の夜は、満月だった。いつもだったら夢の中に居るはずなのに、太郎は眠りにつけず、布団の中で目をあけていた。
太郎は眠れず、起き上がる。窓に降りた板の隙間から、月明かりがこぼれていた。
風に揺れる草の音に混じって、足音が聞こえた気がした。
起き上がって、月明かりのこぼれる隙間から、外を見た。寝ぼけただけ、と、太郎は軽い気持ちで見た月明かりに照らされた、そよ風になびく草の葉の中に、カンが立っていた。太郎は驚き、音を出さないよう、家族を起こさないよう、静かに家から飛び出た。
そんな太郎に、カンはきょとんとしてから、口を開いた。
「起きていたのか」
太郎は、カンには返事をせずに聞いた。
「何しにきたんだよ」
家まで届かないよう小声で話す太郎に、カンは返事をする。
「準備ができたんだ、それを伝えに」
「こんな時間じゃなくても言いだろ」
「こんな時間じゃないと見せられないんだ」
いつになく胸を張り、自信ありげなカンに、太郎は強く言い返せず、そうか、としか答えられなかった。
「じゃあ、畑までいくぞ」と背を向けたカンが、手に握っていたのか道ばたに石を捨てた。
太郎は嫌な予感がして、カンに聞いた。
「この石、何に使おうとしていたんだ」
「太郎を起こすために」
「起こすために?」
「家に投げようと」
「なんてことをしようとしているんだよ」
太郎は、眠れなかったのは、もしかしたら本能的に危険を感じたのかもしれないと、ため息をついてから、カンに言った。
「次、夜にもし来るなら、音を出さないように起こしてくれ。とうちゃん、かあちゃんがびっくりするから。」
「わかった」
沈黙。カンのそっけない返事に、本当に分かっているのか、と思いながらも、太郎は畑に向かって先を歩くカンの後ろについていった。