1.人の子
桃が流れていく。川を下り、海に出た。波に揺られ、沖へ沖へと流れていく。やがて周りには水平線しか見えなくなったころに、一隻の船が桃に気づいたのか、近づいて、戸惑いながらも桃を網にかけると、そのままどこかへと進んでいった。
水平線しか見えなかった海の果てに陸地が見えた。どうやら、島のようだ。船が砂浜に乗り上げる形で止まる。子供たちが、船に乗っていた人を見て走って近づいてきた。
「漁師のおじー、今日の獲物はなんじゃー」
近づいてきた子供たちは、口々に話し、はしゃいでいる。
漁師は、少しの魚を見せた。「なんじゃ、これっぽっちか」と、憎まれ口をたたく子供。
「ほれ、もう一つ」と、漁師は大きな桃を見せると、子供たちは驚いた。
「こんなに大きな桃、初めて見た」とあっけにとられる子供たち。
一人が、漁師に聞いた。「そんな大きな桃、どこから海に流れたのさ」
「さあ、わからん」と、船から降り、桃を網に入れ、肩に担ぐ。
とりあえず、と、砂浜を歩き始めた。「きょうは、みんなで桃を食うぞ」と、不思議そうに桃を見ている子供たちに漁師はニッと笑うと、子供たちは嬉しそうによっしゃーとじゃれ合い始めた。
漁師は、その子供たちを見ながら、この平和な時間が長く続くことを願った。
漁師が魚と桃を背負いながら、子供たちを引き連れて家に帰ると、「おかえりなさい。まあまあ、桃なんかどうしたのかしら」
と、夕食の準備をしていた漁師の妻が手を止め、近づいてきた。
「ん、海でとってきた」と、そっけなく答えた漁師。その妻に、後ろからついてきた子供たちがおじさん、結構機嫌よさそうに帰ってきたんだぜ、といい、漁師がその子を殴った。
「痛! 冗談だって、本当に」
「私たちは、そんなこといってないもん」 と、他の子供たちは知らん振りして、殴られた子は頭をさすっていた。
漁師は「この桃を切って、この子達に食べさせてやってくれ」と、妻に桃を渡そうとする。
「あなた、さすがにその大きさだと私には持てそうにないから、台所まで運んでくださらないかしら」と、妻はその桃の大きさに、受け取るのに戸惑い、早口に言った。
漁師は、おう、と返事をして、渡すのをあきらめ、台所へと運んでいく。
妻は、ほっとして、漁師の後ろについていき、台所へと行く。
子供たちも一緒についてきたようだ。
漁師は、置いた桃を見て、はて、と首をかしげる。 拾ったとき、桃は、こんなに大きかっただろうか、と。 妻は、桃をみて、漁師を見る。
子供たちは、台所には入らず、出入り口で頭だけを出して、桃を見守っていた。
漁師は首をかしげながらも、早く切ってくれ、と妻に言う。 妻は、不気味に感じる桃を前に、もう一度漁師を見るが、漁師は、妻の様子には何も気づいてないらしく、頬を軽くかいて桃を見ていた。
妻は、あきらめ、包丁を取り出し、桃の前に立った。
子供たちがひそひそと何か話している。漁師は、なんで切らないんだっていう顔でみていた。
妻は、何かをあきらめたように一度息をついてから、包丁を振り上げた。
降ろした包丁が桃に触れるか、触れないかで、包丁の勢いは止まり、押し返された。妻は勢いのあまり、後ろによろける。
みんなの視線が妻を見たあと、桃に向く、すると、さっきまであったはずの桃が消え、変わりに一人の赤ん坊が置かれていた。
赤ん坊の下には、桃の皮のようなものが広げられている。子供たちは、なんども目をこすり、唖然としていた。妻はへなへなと力なく座り込んだ。漁師は、軽く頬をかいている。
「あなた、と、不安げに妻が漁師を見る。漁師が、一言言った。
「人の子だ」
その日、島中が大騒ぎになった。人の子が、来た、と。
漁師が島の長老を呼び、ことの成り行きを説明していたのを聞いた周りの者が、身近な人たちに次々と話し、あっという間に島に広まったのだ。
漁師の家の広間では、桃から生まれた赤ん坊を囲むように島の年長者が座り話し合っていた。
「一刻も早く、人の元に返すべきだ。」
「いや、これは罠かも知れんぞ。あの人間たちのことだ、返しに行ったところを待ち伏せているのやもしれん」
年長者たちは、こぞって赤ん坊を返すべきだと話し合っていた。漁師は相変わらず何も話さないまま、頬をかいている。妻は、何か言いたそうにしながらも、話す機会を待っているようにじっと静かにしていた。家の外では、このお祭り騒ぎのように思えたらしく、子供たちがふざけあいながら遊んでいた。
静かに聞いていた長老が口を開いた。
「なあ、皆のもの、わしには人がこんなことをわざわざするようには思えんのだよ。」
ゴツゴツした手で長老が顎に生えた短い白髭をじょりじょりさすりながら、目を細めている。
「人とて、命あるもの。わしらと同じように、親であれば子供のために命だって投げ出すだろう。」
「何を言う!」と、長老に向かって一人の老人が立ち上がる。「人が我々にしてきたことを忘れたのか!」
長老はあくまで、落ち着いた口調で確かめるようにつぶやいた。「いや、そんなことを言った覚えはない。ただ、我々が、何の罪もない生まれたばかりの赤ん坊に何もしない、もしくは何かしてしまったら」
そこまで言った長老は、一拍置いて赤ん坊を囲む年長者含む島民たちを見渡す。「それこそ人と何ら変わりないのではないかな。」
静まり返った中に、今まで静かだった赤ん坊の泣き声が響く。その声につられるように、漁師の妻が駆け寄り、抱き上げた。「この赤ん坊は、この赤ん坊は……」と、弱々しいながらも強い意志のある声が広間に響く。それは、漁師の妻の声だった。「この赤ん坊は、……私が育てます。」
皆の視線を一斉に集めた妻は、何かの覚悟を決めたようだった。それに合わせるように漁師が立ち上がる。妻の肩に手をかけた。「この赤ん坊は、俺たちの家族だ」
その二人に向かって、長老が明るい表情で手を叩いた。「皆のもの、赤ん坊を世話してくれる者も見つかった。何かあったときは私がすべての責任を取ろう。今は、積極的に面倒な役柄を買って出てくれたこの二人に拍手を送ろうではないか!」長老が明るく笑う。その前で泣き止まない赤ん坊を抱きあやす妻と、その横に立つ漁師。それを囲むように何も言わない年長者たちと島民たちの重く険しい表情からは、この島の未来、先行きの不安さを表しているようだった。
春の美しい宵の後には、晴れた夏の朝が訪れる。暑さが猛烈になり、河はぎらぎらと光って、あたりに降り注いだ。真昼の暑さも、気づくと秋の静けさに変わっていた。夕暮れどきの燃えるような陽の色がやがて白にかき消されていった。と思うと、又春の美しい宵が待っているのだ。
やっと終わった、と少年はつぶやいていた。漁に使う網の破れたところを直し終え、広げてから一通り抜け漏れがないか見渡し、納得して網をたたむと近くの壁に掛けた。そして、そっと家から抜け出そうと忍び足で出入り口を抜ける。しめしめ、と少年は喜びを押し殺しながら家から遠ざかろうとした背中に「太郎、どこに行くの」と家の中から声がかかる。
「遊びにだよ」と、太郎と呼ばれた少年は焦った心を隠すように、感情のこもっていない声を張り上げる。
「仕事は終わったの?」
「今終わったところ」太郎は、家の方を振り返りながらも、後ずさりしながら距離をとった。
「そう、夕ご飯までには帰ってくるのよ」と言う声に、太郎は、「分かったよ、かあちゃん」と返し、走りだした。




