13.陽の光の中で
その日のうちに太郎たちは畑の水溜からあふれた水を下の畑へと流せるように竹を組んでいた。
水が流れるまでは怪訝な顔をしていた村の人たちも、いざ水が流れ始めると驚いたような悲鳴の後に、感謝の言葉を何度も何度も言ってきたのだった。
竹を組み、下の畑にも水溜を作り、と何度か繰り返し、これ以上水の流れはたどり着かないところまで来た。
顔を上げたカンとチン、それに太郎は、まだ斜面の畑ですらすべてまかなえていないことを知り愕然とする。
これだけでは、井戸を補うにもあまりにも頼りないものであった。
日は高く、その下、もがく者たちをあぶり続ける日は何日も続いた。
「うちの畑は私たちが見るから、あなたたちは他の畑を手伝いにいきなさい。」
そういったチンの両親に太郎たちは、頷きできるだけ毎日桶を片手に井戸へと並び、水やりを手伝った。
遠くの畑が夏の真ん中で、日に日に秋の色に染まっていった。かさかさに乾いた地面が、すべてを奪っていった。
太郎たちは、それでも必死に水やりの手伝いにでかけたのだった。
雨が降り始めたのは、半分近くの畑が干からびた頃であった。
その遅すぎた雨に打たれながら、畑の作物の大半を失った者は呆然とし、まだ少しの被害で免れた者は泣いて空に向かい言葉にならない声で拝んでいた。その雨が何度か繰り返すうちに、季節は秋へと近づき、生き残った緑は、ほのかに色づいていくのであった。
収穫の時期を迎えた畑を前に、チンの父ちゃんが「うちの畑がこんなにも実りが良いのは、太郎に、カン、チンのおかげだ」と言った後に、頭を下げた。
「本当にありがとう、この恩は……とても言葉では表しきれない」
そう感謝を述べたチンの父ちゃんに、3人はあまりにも唐突なことで言葉を返せずにいると、
「こら、お前も頭を下げなさい」、と父ちゃんは隣りにいたチンの頭に手を置いて、頭を下げさせた。
太郎とカンは、あまりにも突然のことにしばしお互いの顔を見て、風が止んだあとに頭を上げたチンとも目が合うと、誰からともなく3人で笑ったのだった。
それから何度か日の出、と日の入りを繰り返したある日、村人が数人太郎の家まで来た。ぞろぞろと訪れた村人に、太郎の母ちゃんが言葉を放つ。
「なんだい、お前たちは」太郎のかあちゃんは入口の前で堂々と立っていた。
「頼む、太郎とかいう息子に合わせてほしいんだ」
「どうしてだい、また何かやったって言うんのかい」
「いや、そういうつもりでは……」
そのやり取りを聞いていた太郎はおずおずと出入り口に近づく。何を言われるのかと、太郎は心の中で構えながら母ちゃんの横からそっと頭を出す。
その目に映った人々の顔、それはどこかで見た覚えのある顔だった。
村人たちと太郎の目が合った。途端、村人たちは一斉に地面にしゃがみ込んで、手をついたと思うと頭を下げた。
「太郎さん、本当にありがとうございました。」
「あなたのお陰で、誰一人死ぬことなく家族が生きながらえました。」
「娘の顔を拝むことができて、本当に……」
口々に、発せられる言葉に二人は驚いた。村人はあまりにも言葉を繰り返すので、終いには「頼むから、頭を上げておくれ!」と、母ちゃんが叫ぶほどであった。
その日太郎は、昼過ぎにもう一度訪れた村人に付いて行き、「ぜひ」ということで、昔一度だけ来た村の中へと足を踏み入れていた。
村の通りは人々で賑わい、行き交っていた。太郎の進む通りから少し距離を置いて、老若男女とわずさまざまな人々が物珍しそうに、もしくは申し訳なさそうに太郎を見ていた。案内してくれる村の後ろを離れないように着いていっているとどこからともなく声が聞こえてくる。
「あっ兄貴ー!」
「……遅いぞ」
チンとカンが人混みをかき分け太郎に向かって走ってきた。太郎は足を止める。先を歩いていた人は、振り返ると会釈し、そのまま先へと歩いて行ってしまった。
「なんだ、お前たちも居たのか」と言う太郎に、チンは少しきょとんとした後で口を開く。
「当たり前ッス! 兄貴は何を言ってるんっスかー」
「……?」反応の薄い太郎にチンは言葉をとぎらせ、カンと顔を見合った後、おずおずとたずねる。
「兄貴、今日が何の日か知っているッスか?」
三人の周りはざわざわとざわめく。通りを挟むように立ち並ぶ建物からは商いの声が溢れ、人々の歩く音、交わす言葉、荷車のきしむ音が混ざり合い、雑踏となってぼんやりとした雲の浮かぶ空の下を満たしていた。店先からの賑わいが太郎とチンの会話を遮るように盛り上がった時、どこからか太鼓の音が響いた。三人は会話を止め、その音が流れてくる方へとそろって顔を向ける。
「始まったッス」
「……いよいよだ」
動き始める人の波に三人は自然と歩き始めた。昼の陽の光に心地よい暖かさを太郎に感じさせていた。
人混みの慣れない雑踏も、チンとカンが居れば不安にすら思わなかった。何より、この二人が楽しそうに歩いているのだから。
「兄貴、はぐれないように早く来るっす!」
少し振り向き、カンがつぶやく。「……迷子になっても、探さないぞ」
「いい加減にしろよ、お前たちな!」と、言葉を返す太郎。
三人は歩きながら、気持ちの良い陽の光の中、笑っていた。