8.カン
その日もあっという間だった。太郎は夜、眠ろうと横たわりながら目をつぶる前にチンのとうちゃんの言葉を思い返していた。そして、俺は後悔をする生き方をしているのだろうか、と考えた。命が短いことも、死んだあとどこに行くのかも分からない。ただ、と太郎は思った。ただ、死んだ後、土になることは知っている。食べた魚や木のくずが土に変わっていくのは何度も見ていた。俺たちもそれと変わりないらしい。いずれは、大人になって、誰かと結ばれ、歳をとり、……。それは、太郎に取ってまるで夢の世界の話のようであった。次第にまぶたが重くなった太郎は、そのまま眠りの中へ沈んでいく。星が浮かぶ海の中、月が上へと昇っていった。
来る日も来る日も畑を大きく広げようとクワを振っていた太郎は、ふと畑から顔を上げた。
強い日差しの中、雲一つない青空の下では蝉の鳴き声は雨のように降り注いでいる。頬を伝い汗が垂れる。木陰の下で、今日はうとうとせずに木の枝を見上げているカンを呼ぼうとして、やめた。クワを地面に立て、休憩をしようと思って見つけた蝉の死骸を、踏まない土にそっと埋めておいた。何か言おうと思うが、言い出しづらいと、太郎は少し離れた木陰の下に座る。
カンと同じように木の枝を見上げた太郎は、チンのとうちゃんと話した後からしばらく考えていた。
俺たちは木の実や草や生き物を食べている。その草や木は、地面の土を食べてる。その土の中には、糞や動物の死骸があったりするんだもんな。そうやって考えてみると畑だけ、草や木々を燃やした灰を撒いているのもおかしなもんだ。
そよ風に揺れる葉からの木漏れ日のまぶしさに太郎は目を細めた。
カンの行動によく考えもしず、聞かず、知った振りをしていた、と太郎は考えた。そして、誰にも聞こえないくらいに小さくつぶやく。友とは何なんなのだろう、と。
太郎は立ち上がると、尻をはたき、カンの方へと歩いた。頭上からは引っ切り無しに蝉が鳴き続けている。
そよ風が吹く。見上げていたカンの顔に映る木漏れ日が揺れていた。
太郎が、カン、と呼んだ。カンが呼ばれた方に振り向き、むっとした表情をする。何の用? というような返事はない。太郎は気まずそうに頭をかき、黙る。カンに向かって歩いていた足も、気がつくと止まっていた。 カンはむっとした表情のまま太郎を見ていた。太郎は一度うつむいて、息を吐き口を開いた。ごめん。
太郎自身も驚くほど小さな声だったので、もう一度、はっきりと言い直した。
「ごめん」
カンは、むっとした表情をくずし、何を言っているんだという顔になっていた。返事はない。
「この前は、本当にごめん。俺さ」と、太郎は、生まれて初めて自分から謝っていた。はっきりと良い悪いが分かっていれば、もっと早く謝っていただろう、と太郎は今日まで考えてきたことの中に居た。最初は正しいと思った。でも、いろいろと考えていくうちに分からなくなった。そして、もしかしたら太郎の方が間違えていないにしても、正しくはないのでは、という考えにも行き着いた。そして今、太郎の中にある考えは一つだった。たとえ、正しくても間違えていなくても、きちんとチンの話も聞かずに真っ向から否定してしまった太郎自身が、悪いのだ、と。だから、ごめんと、自然に言葉がこぼれていった。
太郎はカンに謝っていた。話を聞かずに一方的だったこと、喧嘩したこと、そして、謝るのがここまでおそくなってしまったこと。
カンは、真顔で太郎をじっと見たあと、話が終わると、横を向いた。太郎は、許してくれないのか、と思いながらも、一言を付け加えた。
「それと、俺が居ないときは、チンの家の畑仕事を手伝ってくれたらしいな。ありがとうな」