もしあなたのお子さんのクラスで、
「いじめが行われているらしい」
という情報をつかんだとしたら、あなたはどうしますか?
あなたはお子さんにどうするように話しますか?
「見て見ぬふりをしなさい」
という実例を164kは知っています。
なんだそれは?
と思ったのも確かですが、この人たちでは仕方がないだろうと感じたのも確かです。
端的に言って、いわゆる常識的な成長をしてきた人の場合、この類の問題に手をつけるには20代や30代では経験不足です。
かといって、60代70代でも精神的な成長を伴わないで年齢だけ重ねてきたような人たちも数多く知っているので頭の痛い所です。
でもね?
問題の本質って、実はとってもシンプルなんですよ?
日本語にするとどちらも「簡単」という表記ですが、シンプルではあってもイージーではありません。
勘所を押さえずに、思い込みに任せて力業でどうにかしようとすると、碌な事になりません。
問題の根本にある本質はたった一つです。
でもね?
あなたがそこにたどり着いて、なおかつ実践出来るようになるためには、大きなパラダイムシフトが必要です。
本質にたどり着いてしまえば、いじめられる側、いじめをする側、いじめを見ている側、どこからでもアプローチが可能です。
あぁ、そうそう。
予めお話しして置きますが、
「いじめは良くない事だから辞めましょう」
というロジックではいじめは絶対に無くなりません。
多くの場合、規則や規律や罰則が逆にいじめを作ります。
何故だと思いますか?
それは、次回以降お話しして行きましょう。
最初は短編を書いてお仕舞いにしようかとも思ったのですが、長くなりそうなので連載にします。
いじめに限らないのですが、問題に関わる立場が違う人達には、それぞれの立場に応じた話をしなければなりません。
相手の立場に理解を示して、相手が理解出来るように話をする必要があるんですよ。
そうではなくて一方的に言うことを聞かせようとするのは、話し合いではありません。
ヘイトスピーチっていうんです、そう言うのは。
拙作つ[ヘイトスピーチなら他所でやれ]
いじめをされている側に対して掛ける言葉と、いじめをしている側に掛ける言葉は当然違います。
周りで見ている側に掛ける言葉も違います。
だから、いじめを解決しようと思うなら、対象を絞り込んで考えなくてはなりません。
全部まとめて一気に解決しようとか思うのでおかしくなるんです。
繰り返しになりますが、本質はたった一つです。
でも、対象者によってアプローチは違います。
何よりも、いじめをどうにかしようと思う前に、あなた自身の問題を解決しておく必要があります。
もう一度お尋ねします。
もしあなたのお子さんのクラスで、いじめが行われているらしいという情報をつかんだとしたら、あなたはいったいどうしますか?
お子さんを持っていない方は、もしあなたに就学年齢のお子さんがいたとして、そのお子さんのクラスでいじめがあるという話を聞いたとしたら?
多少にかかわらずいじめに関心を持たれているようでしたら、一緒に考えて見ませんか?