イカナゴ
昔、兵庫に住む親戚の叔母さんから、春になるとイカナゴのくぎ煮が送られてきていた。
小さな密閉容器にぎっしり詰められた、茶色く艶のある細い魚。
蓋を開けると、醤油と砂糖と生姜の甘辛い匂いが、台所にふわりと広がった。
母はそれが好きだった。
「これがあると、ご飯が美味しいね」
そう言って、炊きたての白いご飯にくぎ煮を載せ、嬉しそうに箸を動かしていた。
けれど、若いころの私は、その味があまり好きではなかった。
甘くて、しょっぱくて、少し生臭い。ご飯のお供というより、大人がありがたがる古い食べ物のように思えた。
……あれから、二十年が過ぎた。
今の私は、ようやくその味が分かるようになっていた。
湯気の立つ白いご飯に、ほんの少し載せるだけでいい。噛むたびに、甘辛さの奥から瀬戸内の海の気配がにじむ。
若いころにはくどく感じた味が、今では不思議なくらい、しみじみとうまい。
だが、そのイカナゴも、すっかり見かけなくなった。
漁獲量が年々減っているらしい。昔は庶民の春の味だったものが、いつの間にか高級品のようになってしまった。
ある日、母がスーパーから帰ってきて、買い物袋を台所の床に置いた。
「今日も売ってなかったわ」
その声は、思った以上に寂しそうだった。
「デパートに行けば売ってるんじゃない?」
私がそう言うと、母は小さく首を振った。
「そんな高い物、買えないよ」
買えない、は少し大げさだと思った。
多分、買おうと思えば買えるのだろう。ただ、母が言いたかったのは、そういうことではない。
春になると台所にあって当たり前だったもの。親戚から届いて、近所にも配って、白いご飯に惜しげなく載せていたもの。それが、デパートで値札を見ながら買う特別な品になってしまった。
そういう意味で、もう買えないのだ。
くぎ煮を送ってくれていた叔母さんは、今では遠い福祉施設に入っている。
もう大鍋を前に、何キロものイカナゴを炊くことはできない。
遠い親戚から聞いた話では、叔母さんは兵庫へ嫁いできたころ、イカナゴを炊くのが大嫌いだったらしい。
生臭い。匂いがきつい。
台所中が醤油の香りでいっぱいになる。
それでも、近所の手前、自分の家だけ炊かないわけにはいかなかったらしい。
そんな話を聞きながら、私は器に残っていたくぎ煮を、ほんの少しだけ白いご飯に載せた。
箸でつまむと、小さな魚は飴色に光った。
口に運ぶと、甘辛い味の向こうから、昔の台所の匂いがした。
叔母さんから届いた小包。春先の瀬戸内の海。
かつて嫌いだった味が、いつの間にか、なくなるのが惜しい味になっていた。




