第1話:焦土に咲く溺死体の謎
帝都の秋は、石炭の煙と、死の香りが混じり合っている。
「……また、焼死体ですか」
凜は白衣の袖を揺らし、隅田川近くの焼け落ちた小屋の前に立った。
煤で汚れた袴の裾を気にすることもなく、彼女は遺体へと歩み寄る。
「おい、勝手に入るなと言っただろうが!」
背後から怒鳴り声を上げたのは、警視庁の刑事・来栖義一だった。整髪料で固めた髪を乱し、彼は忌々しげに煙草を地面に捨てる。
「お前のような令嬢が、こんな焦げた肉の塊を見てどうする。検視は男の仕事だ」
凜は冷徹な瞳を来栖に向けた。
「来栖さん。私は『令嬢』としてここにいるのではありません。帝国大学で解剖学を修めた『専門家』としてここにいるのです。……それに」
凜は遺体の、炭化した小さな手に触れた。
「私がいなければ、この方の『本当の悲鳴』は、誰にも聞こえませんから」
凜が遺体に触れた瞬間、視界が歪んだ。
体温が急激に奪われ、指先から凍てつくような「死」の記憶が流れ込んでくる。
(――暗い。冷たい。息が、できない――)
(――お父様、お母様、助けて。水が、喉に――)
「…………っ」
凜は小さく息を呑み、胸元のペンダントを握りしめた。
視界に映るのは火の海ではない。深く、暗い、底知れぬ「水の底」だ。
「桔梗院? おい、顔色が真っ青だぞ」
来栖が不審そうに顔を覗き込む。凜はその手を振り払い、震える指先で遺体の胸部、そのわずかな隙間を凝視した。
「来栖さん。この事件、事故ではありません。……殺人です」
「何を言ってる。火の不始末による焼死だと鑑識も……」
「いいえ。この方は、焼かれる前に**『溺死』**しています」
凜の声は、カミソリのように鋭く静かだった。
「見てください。炭化した皮膚の下、肺胞に溜まった微量の液体。そしてこの指先のふやけ方。犯人は、彼女をどこか別の場所で溺死させた後、この小屋に運び、証拠を隠滅するために火を放ったのです」
来栖の表情が凍りついた。
「溺死だと……? 近くに水場はあるが、わざわざ運び込んで焼くだなんて、そんな手間を……」
「その手間をかけるだけの理由が、この死者にはあります」
凜は立ち上がり、白衣についた煤を丁寧に払った。
「彼女の喉の奥。……銀色の、鱗のようなものが付着していました。これは普通の魚のものではありません。帝都の地下水路に棲むと言われる、あの『怪異』の伝承に酷似しています」
来栖は舌打ちをしながらも、手帳を取り出した。
「……チッ、またお前の『勘』か。だが、お前の理屈はいつも、後で調べると辻褄が合っちまう」
「勘ではありません。死者がそう教えてくれただけです」
凜はふっと視線を逸らし、遠くに見える赤坂の灯りを見つめた。
能力の代償で凍えた指先を、こっそりと白衣のポケットに入れ、彼女は自分に言い聞かせるように呟く。
「死者は、嘘をつきませんから」
その横顔に、来栖は一瞬だけ、守ってやりたいような、あるいは畏怖するような、複雑な眼差しを向けた。
帝都を揺るがす連続女学生失踪事件の、それが「真の始まり」であることを、二人はまだ知らない。




