8 屋根裏の散歩者 上
「おかえり飛来。
また勝手に捜査したんだって?」
男は飛来が部屋に入ってくるなりそう笑いかけた。
「手前に言われたかねぇよ、カツさん。
独断は手間の十八番だろうが。」
飛来の嫌味にも、カツさんと呼ばれた男は「そうだったかな。忘れてしまったよ。」と柔和な微笑みを浮かべる。
飛来はカツさんの向かいに腰を下ろした。
「そいつはねぇぜ。
カツさんは勝手な行動して始末書を書いてばっかだったろうが。
こんなに不真面目な刑事は他にいねぇよ。」
「嫌だなぁ。
私はだれよりも真面目に働いてたのに。」
「カツさんは勝手に動いて勝手に犯人とっ捕まえてくるんじゃねえか。
ちっとは言うことを聞けって上に叱られてたのを後輩の俺が知らねえはずないだろうが。」
カツさんは「私は法に従順なだけさ。」と笑った。
「私はねぇ、子供の頃から優柔不断なのさ。
何がいいことで、何が悪いことなのかすぐ悩んじゃうの。
喧嘩の仲裁なんてのは全然だめ。
どっちが悪いかわかんなくなっちゃう。
だから法に善悪の判断を任せることにしたのさ。
法に触れた奴が悪で、そいつをとっ捕まえるんだから刑事の仕事は随分わかりやすいだろ。」
「俺に刑事の仕事を教えたあんたがそうだからなぁ。
俺は一丁前の刑事になるためにわざと自分の価値観に頼るのをやめたんだ。
そうしたらいつのまにか法に頼らねぇで世界を見ることが出来なくなっちまった。」
「私のせいにしないでくれよ。」
「だからよ、法に触れてねえ俺もカツさんも悪じゃねえんだ。
これは俺がやりたくてやってることだからな。」
飛来は書き物机の引き出しから小刀を取り出すと、己の左腕を切った。
赤い血が逞しい腕をつたう。
獲物を前に吸血鬼は喉を鳴らす。
眼前に差し出された血に吸血鬼は吸い付いた。
「もう十分だよ。
いつもすまないね。」
「なにもすまなくねぇよ。
法を犯してねぇんだから悪いことじゃねえって言ってんだろうが。」
謝るカツさんに飛来はそうこたえて手拭いで血を拭った。
「それはそうだけど、好きでやってるっていうのはぞっとしないねぇ。
飛来は私に血を吸われたいのかい。
変な趣味してるね。」
「うるせえよ。
俺は手前に好きで血をやってる変態で、手前は俺の血が吸いたい変態だろうが。」
「うわぁ、気色悪いねそれ。」
「だからな、手前は黙って好きなだけ俺の血を呑めよ。
それでいいから生きろよ。」
「それはならぬ。」
突如低い声が二人の会話に割って入る。
ガラリと乱暴に押し入れの戸を開け飛び出してきたのは修二だ。
「吸血鬼はもうすでに死んでいる。
だから退治せねばならぬのだ。」
「こないだの吸血鬼退治だとか抜かした二人組か。
手前ら人んちに忍び込んで何してやがる。」
飛来刑事はおれと修二を睨みつけた。