4 人間失格 下
「 凛太郎、起きろ。」
修二に肩をゆすられて目が覚める。
「なんだよ、せっかく寝ていたのに。」
文句を言えば「お前が寝ていたのが悪い。」と理不尽に言い返される。
「それより早く支度をしろ。
吸血鬼を退治するぞ。」
修二がおれを引き摺っていったのは、昼間きた公園の近くにある平屋だった。
「ここはタッちゃんの家か?」
おれの問いに修二は頷く。
「凛太郎が帰ったあと、俺は子どもの母親が働いている工場にいった。
その工場に、吸血鬼に血を吸われたと言う者たちがいた。」
「それって…。」
修二は「あそこをみろ。」と開けっぱなしになっている窓を指差す。
「おい修二、のぞきなんて行儀が悪…。」
おれの口はそこでもつれてしまった。
窓から見えたものがあまりに辛かったからだ。
それは、幼い我が子の首に噛みつき血を啜る母親の姿であった。
吸血鬼は母親のほうだったのだ。
「おい、大丈夫か!」
おれが叫ぶと、母に噛みつかれていたタッちゃんがこちらに顔を向ける。
ヒュンッと音がしたかと思えば修二が窓から飛び込んだ。
修二が母親をタッちゃんから引き剥がす。
「タッちゃん!こっちだ!」
おれは窓から腕を伸ばしてタッちゃんの体を抱き上げた。
「あなただれ!」
怯えるタッちゃんに「大丈夫だ、おれたちは君を助けに来たんだよ。」と声をかけて地面に下ろした。
ところが、外に逃げられたというのにタッちゃんは「おっかさんのところへもどして!」と叫ぶ。
「たすけなんていらない!
おっかさんのところへいかせて!」
「いったい何の騒ぎだい?」
見覚えのあるおさげが駆け寄ってきた。
「エツ子!こんな夜中に何出歩いてんだ!」
「あたしの家はすぐ隣なんだよ。
こんな騒ぎになれば出てくるさ。」
タッちゃんはエツ子に懐いているらしく、「エツ子ねぇちゃん!」とエツ子に泣きついた。
エツ子はタッちゃんの背中を撫でて慰めてやりながら不安そうにおれを見る。
「いったいどうしたんだい?
タッちゃんは助かるんだろうね。」
エツ子はタッちゃんが吸血鬼だと疑っていたけれども、おれたちにタッちゃんを助けてほしくて依頼したのだと気づいた。
エツ子にも、タッちゃんにも、これから家の中で起こることは見せられないと思った。
がたがたと家の中から物音が鳴る。
「逃げるぞ!」
おれはタッちゃんを抱え、エツ子の手を引いて走り出す。
「なんなのさ?」
「いいから走れ!」
おれは二人をつれてひたすらかけた。
タッちゃんは、「はなしてよ。」と暴れる。
「たすけなんかいらない!
おっかさんといっしょにいるんだ!」
タッちゃんの髪からは石鹸の匂いがする。
きっと母親がお風呂にいれてくれたのだ。
それでも、母親はもう人間ではなくなってしまった。
「君の母さんは…。」
「しってるよ、おっかさんが化け物だって!」
おれの言葉にタッちゃんの甲高い声が被さった。
タッちゃんは大きな瞳からぼたぼたと涙をこぼしながら叫ぶ。
「おっかさんは仕事中の事故で死んだ。
ぼくがあんまり泣くから帰ってきてくださったんだ。
おっかさんは血を吸う化け物だ。
それでもおっかさんはおっかさんだ。」
タッちゃんの泣き声が胸にささる。
化け物でもかまわないからそばにいてほしいって、おれだって思ってた。
でも、それはだめだとお嬢さんは言った。
だからおれは吸血鬼を退治しなけりゃならない。
おれはタッちゃんをぐっと抱きしめた。
「おれたちが憎かったら、好きなだけ憎め。
憎んでいいから、君は生きて、大きくなれ。」
タッちゃんはわんわん泣いた。
「椿さん、おはようございます。」
台所でおれの朝食の支度をしてくださっていた椿さんが、「おや凛太郎、早いのう。」と顔をあげる。
「昨日は遅くまで大変だったんだろう。
修二なんぞはまだ寝ているぞ。」
椿さんは昨日のことがあっても何も変わらない。
椿さんも修二も、この先何が起ころうときっとぶれない。
ならおれもぶれずに彼らについていく。
「椿さん、この前のお話ですが。」
「あぁ、頼んだことかえ。」
「お引き受けいたします。
おれは椿さんに頼まれたことをやり遂げてみせます。
修二が吸血鬼を残らず退治したその後に。」
椿さんは「それは頼もしいのう。」と微笑んだ。