2 人間失格 上
「どうした、早く来い。」
修二が振り返っておれを呼ぶ。
けれどもおれは目の前のあまりに豪勢な屋敷に圧倒されてしまっていた。
村外れにある、広大な広さの屋敷。
それが修二の家だった。
お嬢さんの身にあんなことがあって、奥さんはおれに出ていくよういった。
奥さんは、「凛太郎さんには新しい人生を歩んでほしいのです。」といってくださったのだ。
奥さんの優しさなのだろう。
おれはお嬢さんをあんなにしてしまっておいて奥さんに向ける顔がなかったから、出ていくことにした。
いくところがないと言ったら、修二は「ならばうちに来い。」といった。
こうしておれは修二のうちに厄介になることになったのだ。
けれども、吸血鬼退治などというきな臭い商売をしている男の家がこれほど広いとは思ってもいなかった。
門をくぐると手前にハイカラな造りの離れがあり、奥にさらに大きな本館がある。
「修二、お前のご家族ってどんな方たちなんだ?
商売で成功なさったのか?
それともよほどよい家柄なのか?」
矢継ぎ早に尋ねるおれに修二は「不躾な奴だな。」と眉を顰めた。
「屋敷にいるのは五つ上の姉さんだけだ。」
無愛想な言い方は、両親については触れられたくないことを伝えていた。
おれは自分の無神経さを後悔した。
修二の言葉通り、屋敷には修二と姉の2人しかおらず使用人もいないのだろう。
前庭は草木が無造作に生い茂り、手入れが行き届いていない。
鶏舎の鶏の声も相まってどこか恐ろしげだ。
広い前庭をぬけて、修二が「姉さん、ただいま帰りました。」と玄関をあける。
「修二や、おかえり。」
奥から女性の声がして、ぱたぱたとかけてくる。
「おや、お客さんかえ?」
袴が似合う、修二によく似た白い肌と赤い唇の女性が出迎えてくれた。
「姉さん、彼は凛太郎、吸血鬼退治を手伝いたいそうです。しばらくうちに置いてもよいでしょうか。」
修二に紹介されたおれは「凛太郎でございます。よろしくお願いします。」と頭を下げた。
女性は「修二を手伝ってくれるとはありがたいのう。」とくすくす笑う。
「修二の姉の椿じゃ。好きなだけここにいるがよい。」
椿さんは名の通り、赤い椿の花に似た美しい女性だった。
少し違和感があるのは、椿さんの容姿は幼さの残る少女のそれだということだ。
どうみても修二よりも五つも上には見えなかった。
「修二、私たちのことはきちんと説明したのかえ?」
「ええ。」と頷く修二に椿さんは「それは良かった。」と微笑む。
おれは数刻前の修二の話を思い出す。
修二は吸血鬼と人間の子だと言った。
ならば姉である椿さんもそうなんだろう。
椿さんの容姿が幼くみえるのも、彼らに混じる血が関係しているのだろうか。
椿さんはすっと廊下の奥を指差す。
「凛太郎や、おぬしは奥の六畳間をつかえ。自分の家だと思ってくつろぐが良い。」
翌朝、修二はおれを離れに連れて行った。
「この離れは俺が事務所として使っている。」
「事務所?」
「吸血鬼退治の事務所だ。」
みれば離れの入り口に吸血鬼相談所と書かれた看板がさがっている。
「こんな胡散臭いところに来る奴があるのか?」
「あるさ。お前の世話になっていたご婦人だってきた。」
そう言われてしまえば返す言葉もない。
そのとき、「ごめんください。」と戸口を叩く音がした。
修二はほれみたことかと言わんばかりの視線をよこして、「あけてやれ。」と命じた。
「はーい。」
戸を開けると思っていたよりも下に客の顔があった。
依頼に来たのは、おさげの少女だった。
依頼人の少女はエツ子と名乗った。
おれが茶を出すと、エツ子は茶にふうと息を吹きかけてから一口飲んだ。
「うちの隣の家にタッちゃんていう小さな子がいんだ。
愛想が良くッて、かわいいこなんだ。
ところが最近どうもおかしいんだ。
いっつも顔色が悪くて、なぁんかふらふらしてんだ。
最初はみんな風邪でも引いたのかと心配してたんだよ。
でも、タッちゃんの家にあそびにいった子たちや、心配して食べ物を届けにいった近所のひとたちもみんなタッちゃんとおんなじようにふらふらするようになったんだよ。
そいで、こいつはおかしいってんであたしがここに来たんだ。」
修二は子供相手だというのに相変わらず無愛想な声で問う。
「吸血鬼とは死んだ者だ。
その子は死んでいるのか。」
「さぁねぇ。
葬式をあげたって話は聞かないけど、タッちゃんをしばらく見かけなくなったことはあるね。
タッちゃんがおかしくなったのはその後だよ。」
「その子供はどこにいる。」
「タッちゃんはおっかさんと二人暮らしなんだ。
おっかさんが工場へ仕事に行ってる間、公園で遊んでるはずだよ。」
エツ子が言うが否や、修二はがばりと立ち上がった。
「凛太郎、行くぞ。」
おれは修二にほとんどひきづられるようにして、吸血鬼退治へ出掛けた。