16 グッド・バイ 其ノ弐
吸血鬼は男の首に齧り付き血を啜る。
変わり果てた椿さんのその姿に、腰を抜かした若林女医が恐れ戦いていた。
おれたちが聞いた悲鳴をあげたのは、若林女医だったのか。
「父さん…!父さん…!
椿ちゃん、どうして…!」
若林女医はぼろぼろと涙をこぼした。
「あの男性は、あなたのお父さんなのですか。」
おれが問いかければ若林女医はこくこくとうなずいた。
椿さんは出された血を飲まなかったに違いない。
血を求める自分を人間でないといい、自分を退治しろとおれに頼んだ彼女が、人の血を飲んで生きることを己に許すはずがないのだ。
そうしてついに身を焦がす飢えに耐えきれなくなってしまった。
救いたかった患者が父親を襲うその光景に、若林女医はしゃくり声をあげて泣く。
「あたし、父さんともう一度一緒に暮らしたかっただけなの。
父さんはいつもあたしに厳しくって、あたしが家を飛び出したときは二度と帰ってくるなって。
父さんがあたしが死んでそんなに悲しむなんて、死ぬまで知らなかったの。」
泣き崩れる若林女医に、杭を手にした修二がゆらりと近づく。
若林女医を睨みつける修二の瞳に激しい憎しみが宿る。
「自ら命を断つ前に気づくべきだったな。」
修二の言葉に若林女医はひどく傷ついた顔をした。
「わかってる、あたしが愚かだった。
だからやり直したかった。
あたしのした研究は、間違ってたの。」
「何人にも死は取り返せぬ。
それだけのことだ。」
若林女医はがっくりと項垂れ、近づく修二に抵抗しなかった。
修二は杭を若林女医の胸に突き刺した。
若林女医は動かなくなった。
『生きる者はみな、生まれてきた理由を見つける権利があるとあたしは思うけど。』
かつて若林女医が椿さんに言った言葉だ。
彼女が見つけた生まれてきた理由とはどんなものだったのだろう。
その彼女が自殺に至った理由はなんだったのだろう。
おれがその答えを知ることはもうない。
この場に残された一匹の吸血鬼は、口元をべっとりと血で汚し、虚ろな目でこちらを見た。
花のように美しい椿さん。
おれのために、自分は食べられない食事を用意してくれたやさしい椿さん。
彼女のためにおれができることは、約束を果たすことだけなのだ。
椿さんを退治しなくては。
「修二。」
おれの呼びかけに修二は返事をしない。
「おい、修二。」
そのときまでおれは、修二が吸血鬼だということがどういうことなのか、ほんとうにはわかっていなかったんだ。
グラスに入れて出される血を修二もきっと飲まなかった。
修二はここへ来てから一度も食事をしていない。
生き血を飲まなければ、吸血鬼は生きられないというのに。
修二の身体はぐらりと地面に倒れた。




