14 ドグラ・マグラ 其ノ肆
廃病院には、西洋風のテラスがあった。
海が見渡せるよう作られたそのテラスだが、今は夜の闇に包まれていた。
雲から透けるおぼろ月の僅かな光が揺れる波を照らしている。
その真っ暗な闇に修二は一人で立っていた。
「修二。」
後ろ姿に声をかければ修二は振り向いた。
闇に包まれ、表情は見えなかった。
「凛太郎。」
おれを呼ぶ声は僅かに震えていた。
「俺は、恥の多い生涯を送ってきた。
生まれ落ちたそのときから、過ちばかりであった。」
生ぬるい夜風が修二の髪をみだす。
「だというのに、俺は夢を見てしまった。
凛太郎と姉さんと三人で同じものを食べることが出来たなら、どんなに楽しいだろう。
ともに静かに暮らすことができたなら、どんなにか幸福だろうと。」
修二を責めることはできない。
おれだって、同じ夢をみたのだ。
おれは修二の隣に立った。
「修二、大丈夫だ。
お前の信念は間違ってなかったんだよ。」
修二は何も言わず、俯いた。
「さぁ、椿さんをつれて家へ帰ろう。
帰って、今日はもう眠ろう。
また明日から、吸血鬼退治をすればいいさ。」
「凛太郎、お前はいつもそうなのだな。」
修二は視線を逸らしたまま言った。
「はじめてあった時もそうであった。
お前は己の罪を認め、けれど立ち止まらずに進む。
なぜそんなことが出来る。」
「昔、友人に言われたんだ。
精神的に向上心のないものは馬鹿だと。」
「手厳しいな。」
雲間から月明かりがさして、修二が口角を上げたのがわかった。
「修二、行くぞ。」
おれは修二のひんやりとした手を取った。
修二を引っ張って進む。
いつもとは逆だ。
テラスから中へと続く重たい扉を開けたとき、空気が澱むのがわかった。
病院の中は、きた時とはまるで違っていた。
鼻につく、鉄臭い血の匂い。
病室の並ぶ廊下のあちらこちらに飛んだ赤い斑点。
「修二、これは…。」
「凛太郎!」
修二の声に振り返れば、男が大きく口を開けおれの首へ噛みつこうとしていた。
吸血鬼だ。
修二は吸血鬼をおれから引き剥がし、蹴り飛ばした。
「凛太郎、そいつを押さえろ。」
おれが吸血鬼を取り押さえ、修二は杭をその心臓へと突き刺した。
「吸血鬼が暴走したな。」
返り血を拭いながら修二が言う。
「なんで暴走してるんだ。
吸血鬼になっても理性は失わないはずだろ。」
「ここは人間の気を狂わせる場所だぞ。
吸血鬼が狂って暴れるのも当然だろう。」
自分が何であるかもわからなくなるこの異質な病院では、飢えを抱える吸血鬼は容易く自我を失ってしまうのか。
そのとき、下の階から悲鳴が聞こえた。
「凛太郎、急ぐぞ。」
言うが否や、修二はずんずんと大股で駆けていく。
おれも続いて駆けていく。
しかし、修二がいつもの調子を取り戻したのはほんの束の間であった。
階段を降りた先に広がる光景に、おれたちは動けなくなった。
闇のなかで動く吸血鬼は、男の首へ齧り付き血を啜っていた。
修二が震える声で呼ぶ。
「姉さん。」
こちらの声も届かぬほど一心不乱に血を啜る吸血鬼は、椿さんだった。




