1 こころ
「死んだ人を思い続けてはいけないよ。」
村で1番の物知りなばぁ様はおれにいった。
「魂がこの世に引き留められて浄土へ行けなくなってしまうからね。」
「浄土へ行けなくなったら、どうなるんだ?」
「吸血鬼になってしまうのさ。」
それを聞くと、周りを囲んでいる学友たちが声を立てて笑った。
「ばぁ様、吸血鬼が本当にいると思ってるのかい?」
「あんなもんまやかしだぃ。」
ばぁ様は茶化してくる学友たちをきっと睨む。
「まやかしじゃないさ。」
真剣な目をおれに向け、人差し指でおれの胸をとんとさした。
「だからね、どんなに愛しくても死んだ人を思い続けてはいけないよ。」
「まぁ、それは恐ろしい話ですわ。」
お嬢さんはそう言いながらも楽しそうにくすくすと笑った。
「お嬢さんはこの話を気に入ったようですね。怪談がお好きなのですか?」
「違いますわ。」
お嬢さんはかわいらしく首をふる。
「わたくしは凛太郎さんのお話が好きなんですの。」
おれは恥ずかしいやら嬉しいやらで俯いた。
「わたくし、凛太郎さんのお話を毎日楽しみにしておりますの。わたくしは外に出られませんから。」
少し前に病を患い、病院から戻ってきたばかりのお嬢さんは家に籠りきりだ。
「きっと今によくなりますからね。そうしたら、おれがお嬢さんを外に連れてゆきます。」
「ええ、約束ですわ。」
お嬢さんが花が咲くように微笑む。
そして、お嬢さんの艶やかな瞳がおれを見つめる。
「ねぇ、凛太郎さん。」
夕焼けの日を反射して、瞳が赤く輝く。
お嬢さんの白い腕がおれの首に巻きつく。
「良いでしょう?」
「ええ、もちろん。」
お嬢さんはおれの首に噛みついた。
そうされるとおれはいつもなんだかふわふわとなって、記憶が朧げになるのだ。
お嬢さんはおれがお世話になっている屋敷の娘さんだ。
田舎から学校へ通うためこの町にきたおれは、奥さんとお嬢さんの住む屋敷に間借りさせてもらっている。
お嬢さんは朗らかなかわいらしい方で、おれとも仲良くしてくださった。
奥さんも感じの良い人で、優しくしてくださった。
お嬢さんと恋仲になれたのは、おれの人生での1番の幸福だ。
「凛太郎さん、また娘の部屋にいらしてたんですか。」
廊下を歩いていると、奥さんとすれ違った。
「ええ、お見舞いにいっておりました。」
「もうお見舞いなどせずともよろしいのですよ。」
奥さんは冷たい声で言って歩いて行ってしまった。
このところどうも奥さんの様子がおかしい。
なんだか冷たいのだ。
おれはなにか無礼を働いてしまったのだろうか。
しかしおれだけでなく、娘のお嬢さんにまで冷たいのはいよいよおかしい。
奥さんは恐ろしいものを見るような顔でお嬢さんを見るのだ。
かと思うと奥さんはひどく悲しそうな顔をされるのだ。
あくる日、奥さんはおれを居間に呼びつけた。
居間には奥さんと、見知らぬ男がすわっていた。
奥さんはおれに向かって頭を下げた。
「凛太郎さん、今までありがとうございました。娘もあなたに会えて幸せでした。でももう、十分ですの。」
「何をいうのですか。」
「凛太郎さんのために申し上げます。出て行ってください。
それから、娘のことはこの方にお任せします。」
奥さんが連れてきた男は、マントのついた制服をきた学生だ。いやに色が白くて、唇は紅をさしたかのように赤い。
「誰だよ。」
低い声で問うおれに、奥さんが彼を紹介する。
「この方は修二さん。吸血鬼退治をされてるそうです。」
「吸血鬼退治だぁ?」
なんとも胡散臭い話である。けれども奥さんは修二という男を信用し切っているようだ。
「吸血鬼ならば、残らず退治せねばならぬ。」
静かなその声には憎しみが込められていた。
「娘は奥の部屋におります。お連れいたします。」
奥さんは修二を奥の部屋へと連れていく。おれはその後についていった。
修二が無遠慮にがらりと戸を開ける。
「どなたですの?」
部屋で花を生けていたお嬢さんが慌てて立ち上がる。
お嬢さんを無視して、修二は奥さんに問う。
「宜しいか。」
「よござんす。お任せします。」
修二はこくりと頷くと、ずんずんと部屋に入っていく。
「なんですの?」
ずんずんとお嬢さんに近づいていく。
そしてお嬢さんを思い切り蹴り飛ばした。
「お嬢さんに何をする!」
おれはたまらず修二を突き飛ばした。
床に転がった修二の上に跨がり胸ぐらを掴む。
「邪魔するなよ、怪我するだろう。」
修二の手には杭と金槌。
おれは修二を揺さぶって叫ぶ。
「手前なにするつもりなんだよ!」
「心臓に杭を打つんだよ。」
修二の黒い目はらんらんと燃えていた。
「お嬢さんにそんなことさせるもんか!」
殴りかかろうとするが、修二の足がおれを蹴飛ばすのがはやかった。
おれの体は床に叩きつけられた。
「諦めろ、彼女はもう死んでるんだ。」
「何をいってるんだ!お嬢さんはここにいるだろう!」
「凛太郎さん、ごめんなさい。あたくしが悪うござんした。」
奥さんははらはらと涙を溢す。
嫌だ、言わないでくれ。
「これは娘の死を受け入れられなかったあたくしの罪ですの。」
そうだ。覚えている。
病院の寝台で冷たくなったお嬢さん。
「どうだっていいじゃないか、そんなこと。」
おれの声は震えていた。
「おれの血なんかいくらでもやれる。
血を吸い尽くされたっていい。
お嬢さんが生きててくれるんなら、お嬢さんが化け物だろうがかまやしない。」
「いけませんわ。」
そう言ったのはお嬢さんだった。
「私は凛太郎さんの恋人ですの。
凛太郎さんに取り憑いた化け物なんかになりたくありませんわ。
こころまで化け物になってしまうのならば、生きていたって仕方ありませんの。」
「お嬢さん、おれは…。」
お嬢さんはそっと触れておれの言葉を遮る。
花がほころぶように微笑む。
「凛太郎さん。私、あなたに会えてよかったわ。」
おれは何も言えなかった。
お嬢さんは生花用の鋏を手にして、自らの頸動脈を切った。
「お嬢さん!」
おれは倒れるお嬢さんの体を受け止めた。
修二がこわい顔で駆け寄ってくる。
お嬢さんは優しいひとだった。
可愛らしくて、美しいひとだった。
おれが、お嬢さんを汚した。
おれはもう修二を止めなかった。
修二はお嬢さんの心臓めがけて杭を打った。
「おい!待てって!」
息を切らして追いかけてきたおれを、修二がやっと振り返った。
「修二は、なんで吸血鬼と戦ってるんだ?」
「俺は吸血鬼の父と人間の母の間に生まれた子だ。
吸血鬼は、死体だ。
俺は生まれてはならぬ存在なのだ。
俺は吸血鬼を残らず消し去る。
それが生まれ落ちてしまったことへの罪滅ぼしであり、復讐なのだ。」
「なぁ、おれにも手伝わせてくれないか。」
修二はがばりとおれに向き直った。
「なぜ?」
「おれも、吸血鬼を退治する。
それがお嬢さんをあんなにしちまったことの罪滅ぼしで、お嬢さんの運命への復讐だ。」
「凛太郎といったか。お前、変わったやつだな。」
修二はそう言っておれに笑みを見せた。
この話は以前同題名で短編として投稿したものを連載一話として加筆し再投稿したものです。