第十六話 勇者
主幹都市ヴィルト 領主の館 領主長男グラウィ・ラース・インスラーテ
インスラーテ領の主要な面子の内、現場に出ない者達が会議室に集まっている。父上の側近達や自分のように実戦経験が無い、もしくは武人でもない者が現場に行っても邪魔なだけだ。それでも領主である父上なら陣頭指揮を執る姿勢を見せるだけでも士気は上がるはずだが、そうする気配は一切ない。上座で時折お茶を飲むくらいで特になにもしていない。ここまで来ると逆に尊敬の念を感じそうだ。私は何も出来ない自分が不甲斐ないし、戦況の報告を待つだけのこの時間が堪らなく辛い。
魔物の大群が城壁に到達し、戦闘が始まって一時間程経った。感覚的にはもう半日以上こうして待っているような気がする。なんと情けない、待っているだけの私より戦っている姉上の方が大変なはずなのに。これまで何度か伝令が来ているが、報告は厳しい状況と何とか耐えているので物資と人員を回して欲しいというものだった。私は本当にこんな所で待っているだけで良いのだろうか。
「伝令! 報告いたします。シンリ・ラース・インスラーテ様、城門より打って出ました」
「なにぃ」「どういうことだっ」「勝っているのか」
会議室へ走り込んできた伝令の叫ぶような報告に、場は騒然とする。魔物の大群相手に打って出る? 城壁の有利を捨ててまでそんなことを姉上がするのなら、それは余程必要に迫られての選択なのではないか。それとも防衛が思った以上に上手くいき、逃げ始めた魔物を掃討しようとしているのか。今の報告だけでは判断が出来ない。
「もう少し詳細な情報はないのか!?」
「はっ、魔物のうちトロールは全て討ち取られ、攻勢が弱まったの見ての出撃です」
伝令に対してつい声を荒げてしまった。伝令の答えは待ち望んでいた朗報だった。会議室の空気も緩むのが分かる。
「やはり城壁の防衛はあの位の兵数で十分だったな」
「このヴィルトの城壁をどうこう出来るとは思えん」
「漏れ出てくる魔物と騒ぎに乗じる不心得者へ手当しておくことの方が大事じゃ」
「シンリ様は大袈裟でかなわんな」
側近達は口々に戦前の自分達の意見が正しかったと主張を繰り返している。あまり良い傾向とは思わない。しかし、私もこれに同調しておくのも手かもしれない。側近達の油断を誘うには良い手かと一瞬思ったが思いとどまった。私達姉弟の仲が悪くないのは周知の事実だろう。姉上との関係が悪化した側近に突然こちらから接近するのは不自然だ。側近達は軍事には疎いようだが、文官としては海千山千の遣り手揃いだ。私はあまり大きく動かない方が良いかもしれない。
さらに新たな伝令が駆け込んで来た。
「勝利っ勝利しました。魔物の群は壊滅し散り散りに逃げております。それも大半は騎兵が討ち取っております」
「当然の帰結ですな」
「シンリ様は態々打って出る必要がありましたかな?」
「そうですな。しかしシンリ様もお若い、功を焦ることもありましょう」
「まあ、とはいえシンリ様は大変なご活躍のようなので、後処理は私の方で手配いたしましょうか」
「アゲル様は魔物の魔石を押さえたいだけではありませぬか?」
側近達の増長は目に余る。姉上達も側近達を既に見限っているが、側近達も姉上との関係を改善する気はなさそうだ。私はふと気になり妹のイレミアナをちらりと見てみる。姉上を慕っているイレミアナのことである、簡単に表には出さないだろうが相当怒っているのではないか。そんな私の予想を裏切ってイレミアナは大柄な女騎士と話していた。いつの間に会議室に入ったのか。あの女騎士、見覚えがあるな。姉上の腹心だったはず、名はベル、ベルトルーテだったか。
イレミアナとベルトルーテの会話は短かった。二、三言で終わりベルトルーテはすぐに会議室から出て行ってしまう。そしてイレミアナも立ち上がり父上に歩み寄る。
「戦勝おめでとうございます」
「うむ」
「大変目出たきことなので是非戦勝の祝いに宴など催してはいかがかと」
「良い考えだな。其方に任せて良いか」
「もちろんです。皆様もお聞きになったと思います。お忙しいと思いますが、戦勝の宴を催すこととなりました。戦勝に相応しきものとする為準備に少々時間が掛かります。後日改めて招待いたしますので是非参加いただければ幸いです」
イレミアナはにこやかに場の全員に呼び掛ける。もちろんそこには側近達も含まれるがイレミアナからは本当に戦勝を言祝ぐ様子しか窺えない。本心を知っている身からすれば、末恐ろしい娘だとしか思えない。将来夫となる男には同情を禁じ得ない。
それとイレミアナの最後の呼び掛けには裏がある。こちらは相手にも伝えるつもりで言ったもので、所謂貴族的な言い回しだ。「私達は忙しい」「貴方達も忙しいでしょ」「今日はもうお引き取りを」という意味合いが含まれていた。
これには側近達も素直に従うしかない。父上が認めたのはあくまで宴の開催とその差配だけだが、イレミアナは宴の準備をしなくてはならないと関連付けた。これでは側近達も否定し辛い。イレミアナは急に側近達を館から帰らそうとしてる。先程のベルトルーテとの会話が理由だろう。間違いなく何かがあったのだ。
しばらくして身内と使用人以外が全員館からいなくなると、すぐにイレミアナを問い質す。
「姉上から何か連絡があったんだろ。問題か?」
「お姉様からは例の件の延期と客人を招くのでその歓待の準備を頼まれました」
「今、客人を迎えると? 何者、いや今なら防衛で活躍した者だろうな。しかしいくらなんでも性急だな。それこそ戦勝の宴に呼べば良いだろうに」
私の疑問にイレミアナは微笑み返す。
「宴については私の思い付きですよ。邪魔者を帰らせる為の口実です。それとお姉様からは歓待を最優先に、と念を押されています」
「それは……余程の者だな。出迎えは私やエルダも参加した方が良いな」
「はい、例の件より優先ということはインスラーテ領の今後を左右するような人物でしょう」
話していても腑に落ちない。あの姉上がそこまで認める者などなかなか想像し難い。だが姉上はこんな時大袈裟に言ったりするような人ではない。とりあえず面倒がりそうなエルダを捕まえて玄関前で出迎えなくてはならない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
姉上達を出迎える為、イレミアナとエルダと共に館の玄関前で並ぶ。待つことなく見慣れた紋章が付いた馬車がやって来た。危なかったな。もう少しで間に合わないところだった。姉上がベルトルーテに伝言を預けたのが直前だったのだろう。馬車が目の前に止まり扉が開き、まず姉上が下りて来る。そして客人と思われる男女が下りて来た。
姉上に続くように降りて来た男は、一見特筆するような所の無い平凡な男だった。身長は姉上より少し高いくらい、体つきも普通、年齢も姉上とあまり変わらないように見える。服装も粗末な服の上から革製の防具を装備しているだけだ。それら全てが例外なく血で汚れていることで戦いの激しさが分かる。だが良く見ると装備にほとんど傷が無い。全身至る所が血で汚れているのに、服や防具に損傷が見られない、その意味に気付き背筋が凍り付く。この血は全て返り血なのか。
私は動揺を顔に出さないだけで精一杯だ。誤魔化すようにもう一人の客人へ視線を移す。青年より一歩下がった位置で控えている彼女は、青年とは違い一目で分かる異質さだった。目、鼻、口、頭、体、手、足全てが美しく、全てが調和している完全な人だった。これほど美しい存在が、人として目の前に存在するのかと素直に感動する。しかし、彼女の視線はほとんど連れのスワ殿のみに向けられ、それ以外に対して熱を感じない。完璧と言うべき相貌と相まって作り物めいている。
「私の弟と妹達です。ご挨拶を」
「領主の長男であるグラウィ・ラース・インスラーテと申します。今回の防衛にて大変な活躍と聞いています。感謝します」
「次女のエルダです」
「三女のイレミアナ・ラース・インスラーテです。心より歓迎いたします」
「手厚い歓迎嬉しく思います。私はスワ・シドー。こちらがティアと申します」
今まで接したどんな人間とも違う二人に私は考えを纏められずにいる。なんとか挨拶はこなしたが、その後は一言も発することが出来なかった。だが歓待はイレミアナが中心なので問題はない。
「今食事など用意しております。少しの間お待ちいただいて宜しいでしょうか」
イレミアナの提案にシドー殿が頷く。
「その間にお召し物も用意いたしましょう。案内いたします」
「私はシドー様の傍に控えていなければなりません」
ティア殿は振る舞いは徹頭徹尾従者のそれなのだが、シドー殿のティア殿への態度は主が従者に対するものとしては不自然に感じる。
「ティア様は妻ではなく従者なのですか?」
「私如きが妻などと恐れ多いことです。シドー様にはいと尊き御方が──」
「ああ、ティアは私に仕えてくれていますが、身内のようなものです」
ティア殿の発言をシドー殿が遮る。シドー殿には伴侶がいるのか、もしくは将来を約束した相手がいるのだろう。しかし、相手の身分は高いようだがそれを隠したがる理由が良く分からない。今のところシドー殿達がどういった人間なのか私には判断がつかない。
使用人に案内されていくシドー殿とティア殿を見送り、私達は人払いをした一室に移動し顔を突き合わせる。
「あまりに突然のことでこちらは何も分かっておりません。姉上、戦いで何があったんですか?」
私の質問に姉上は防衛戦での出来事を順を追って話し始める。
「開戦直後は攻城兵器も作戦も無い魔物共相手に、城壁上から弓矢や石などで攻撃をする一方的な戦いだったわ。ただ警備隊の人員の少なさと無尽蔵にも感じる魔物の数によって、次第に疲労と物資の不足が問題になり始めたの」
「やはり今少し人を城壁に回すべきでしたか」
「ええ、しかもこちらの状況が徐々に厳しくなっているのに厄介なトロールがほとんど削れていない。トロールは数十匹はいて、もし城門や城壁への接近を許せば最悪の事態も予想されたわ」
姉上の語る戦場の緊迫感に思わず唾を飲み込む。城門や城壁が破られれば魔物の大群が雪崩れ込み、まさに最悪の惨劇が街で繰り広げられただろう。トロールが数十匹だと? やはり側近達が言う程、このヴィルトの城門や城壁は万全ではなかったのだ。
「そんな時、突然現れたのがあの二人よ。見たことがない青い霧の魔法で魔物の群を攻撃して挑発し、意識を自分達へ向けさせ引きつけつつ後退することによって群がばらばらに追う状態に」
「少しお待ちを、挑発して引きつけるというのは城壁の上でのことなのですか?」
姉上の説明は明らかにおかしな点があったので、私は聞き直した。城壁の上で魔物を引きつけることに何の意味があるのだろう。それによって群がばらばらになる? 理解が出来ない。
「彼等がいたのは城壁の外よ」
姉上の言葉は私の想定を完全に超えていた。この街の外は平地である。近くを大きな川が流れているが、見通しの良い平地が広がっている。そこで数万の魔物の群を二人で攻撃して引きつける?
「あり得ない……」
「狂気の沙汰ですね」
私の思わず漏れた言葉にイレミアナも同意した。しかも彼らは今も無事なのだから、その状況を切り抜けたということだ。
「むしろ本番はここからよ」
「え」
「魔物の群が分散したのを見て彼等は反転し、魔物の密度の薄い場所を突破してトロールに襲い掛かったの。そして、あの場にいた全てのトロールの足を棍棒の様な物で破壊し動きを封じたわ」
「密度が薄くなったとしてもそれを突破したあげく、トロールまで処理するなど無理があるでしょう」
群がばらけた状態になったといっても、足を止めればすぐに囲まれるのではないか。
「私も実際見たにも関わらず信じられない結果だったから、後でシドー様にその時のことを聞いたわ」
「そんなことが可能になるスキルか魔道具でもあったとか?」
「いいえ、単純な話よ。彼は数万の魔物の群と正面衝突して勝てるかは分からないが、数匹の魔物と一万回戦うのなら確実に一万回勝てる、と」
言っていることも、やっていることも狂っている。こちらの頭までおかしくなりそうだ。だが無慈悲にも姉上からはさらなる事実が告げられる。
「その他の魔物は百匹以上を一度に葬る魔法によって潰走することになったわ」
「そんな魔法が存在するわけが……」
「この目で見たわ。実際にこの目で見たのに未だ現実味がない、夢を見ているよう」
私の持つ常識からあまりにも逸脱し過ぎて、理解が追い付かない。姉上を疑うわけではないが、全く実感が無い。私が思考停止に陥っていると今まで黙っていたエルダが口を開いた。
「武器と魔法どちらも驚異的な強さだなんて……まるで勇者ね」
かつて滅んだマヤトガにいたという勇者か。しかし勇者は十年前に国と運命を共にしたと聞いた。最期は一人でも多くの民を逃がす為に囮となって玉砕したはずだ。しかし、エルダの言葉がいつまでも耳の奥に残る。勇者か……。




