恐怖の身体測定
「あっ、そうそう、今日は身体測定があるらしいから、体操服もっていきなさい」
起きて早々、晴香の手から体操服の入った袋が渡された。
「えっ、聞いてないよ?」
もう……。晴香がちゃんとしていてくれないと、僕が学校で苦労する羽目になるじゃないか……。
「あんた胸囲測るとき怪しまれそうだけど、頑張ってねぇ。あと、体重も量るみたいだから、朝ごはんは食べないでね」
「また勝手なこと言って……」
不満を抱きながら袋を開けると、中にはブリーフのような紺色のものと、白いジッパー付きの服が入っていた。
「……? お姉ちゃん、ズボンが入ってないよ」
「ズボンなんてないわ。ブルマーよブルマー」
「ブルマー?」
「その紺色のやつよ」
――どうやら、下はこのブリーフもどきだけらしい……。これから体育は、こんな格好でしなければいけないのか……。憂鬱だ……。
ここで、大変なことに気がついた。
体操服は学校で着替えなければいけない。下を脱いでいるときに、僕の股間の膨らみに気づかれるか可能性がないとはいえない……。バレたらどうなるのか……。考えただけでも恐ろしい。僕は懇願する。
「ねえお姉ちゃん。今日は学校休みたい……」
「駄目駄目。授業は今日からあるし、初っ端から休んで成績下げられると困るでしょ」
「で、でも、身体測定のときって着替えるんでしょ? ……そのときに、バレるかもしれないじゃん」
「大丈夫でしょ。他人の着替えをいちいちジロジロ見る女の子なんて、居ないだろうし」
「そ、それはそうだけど……」
しかし、居ないはずの変態女子が居る可能性もあるし、何かのはずみで見えてしまうかもしれない……。
「それに、着替えが嫌で休むんだったら、これから体育のある日は全部休まなきゃならないじゃない。そんな馬鹿なことはしてほしくないなぁ」
晴香はニヤリとして僕を見つめる。
「わ、わかったよぅ……。僕、頑張ってみるよ……」
なんか、僕っていつも頑張ってる気がする……。高校入試までの勉強はもちろん、こんな生活に突入してからも……。たまにはまったりしたいなぁ……。
結局、僕は朝食も摂らずに、あのヘンテコな体操服を持ってとぼとぼと登校するのであった……。今日は晴香に言われた通りに、遠回りの国道を通ることにした。
しかし、遠回りなだけあって、やっぱり遅刻しそうになった。校門では、真田が大きく手を振り、僕たちを急かしている。
教室に着くと、トイレに行きたくなった。トイレは、この教室からずっと左、教室を挟んだ先にある……。漏れそうだから、大急ぎでトイレに駆け込んだ。しかし、女の子の服では立ちションしにくい。危なかったけれど、なんとか済ますことが出来た……。
トイレを出ると、あの禿げ頭が居た。
「あっ、おはようございます。今日は、遅刻しそうになって、ごめんなさい」
「……」
丁寧に挨拶してやったのに、何の返事もない。失礼な奴め。
「あの……おはようございます……」
「……お前は、今、自分がどこにいるのか、わかっているのか……?」
真田は静かな声で言った。
「……えっ……?」
「何故男子トイレに入っていた? この変態め!」
「うわぁ、すみません! 間違えましたぁ!」
僕は全力疾走で逃げた。そうだ……今自分は女の子だったんだ。用を足している最中に先生が来なくてよかった……。男だってバレたら、退学だろう。女の子のフリを完璧にこなすのは、とても難しい。これから学校内では、女子トイレの個室で用を足さねばならないのか……。
しかし、考えてみたら、女子高であるこの学園に何故男子トイレがあるのだろう? 男性教師は多いけれど、その為だけにわざわざ普通の教室のすぐ隣にトイレを設置するとは考えにくい……。
息切れさせながら、教室でしばらく待っていると、真田が入ってくる。
「はい起立。着席」
昨日に比べると、声の音量は大分下がっている。
「このクラスの中に、男子トイレに入った大馬鹿者が居ます」
教室内がざわめく。そりゃそうだ。
「こらっ、そこ、足を開くな!」
僕が指された。昨日もこんな注意をされたな……。足を閉じると、股間に違和感があって不快だ……。
「ええ、今年の新入生は、だらけている者が多い! 遅刻をする者、無闇に足を開くもの、そして、極めつけに男子トイレ侵入!」
真田はドンッと教卓を叩く。
「金輪際こんなことが無いように、今年はひときわ厳しくしてやるからな! 覚悟しておけ!」
この禿げ、生徒を脅してばっかりだ。それに、いつも怒っている。そんなに子供が嫌いなら、教師なんてやめればいいのに……。
若干の間を開け、真田は口を開く。
「ええ、あとお知らせだが、身体測定は一時間目からあるので、着替えておくように。以上!」
最悪だ……。一時間目からだなんて……。仕方がない。運命に身を任せよう……。僕は観念して着替え始めた。
このブルマーとかいう奴は、見た目だけでなく履き心地も最悪だった……。太腿はほとんど露出していて、股下一センチメートルもない……。さらに、サイズが僕には小さかったのか、キュッと体を締め付けられるような感覚だ……。
上の方は、お腹の少し上までしかジッパーが無く、着方がわからない……。そうだ! 美希に訊こう。
「ね、ねえ、美希、これ、どうやって着たらいいの……?」
「あら、家で事前に着替えの練習してなかったの? それはね、まずジッパーを下げてから……」
美希のおかげでなんとか着ることが出来た。
「あっ、そうだそうだ、上の服はブルマーの中に入れなきゃいけないらしいわよ」
美希が最後に告げる。
「こ、こう?」
「そうそう」
自分の姿を女子トイレの鏡で見てみる。なんともさまにならない、ダサイ格好だった。
「み、美希、ここの体操服、ダサイよね」
「そうねぇ。かわいくもかっこよくもないし、最悪のデザインだと思うわ。それに、寒いし」
上は半袖だし、下もパンツみたいなもんだから四月だといってもかなり寒い。もう、本当に色々な意味で憂鬱だ。
教室の前から、整列して移動する……。先頭には真田が居る。なんとなく、真田に身体を見られている気がして怖いし不愉快だ……。男のころは、『男どもは私の身体をジロジロ見る』なんてことを言う女の気が知れなかったが、今となっては少し同意できてしまう……。
保健室の横で順番待ちをしていると、気分が悪くなってきた。連日募ってきた疲労と、身体測定の緊張のせいか、頭がクラクラとして意識が遠のいていく……。このままでは、身体測定とは別の用件で保健室送りになってしまいそうだ。僕は頭はブンブンと振り回し、身体を襲う寒さを思い出しなんとか耐える。
いよいよ順番がやってくる。最初はいきなり胸囲からだ……。軟らかい巻尺のようなものが胸に巻きつけられる。
「えっと……。七十八センチメートルね。かなり短いわね……」
僕は何も言えなかった。男だから短くて当たり前じゃないか。体はガチガチに緊張していた。
「あら、ごめんなさい、こんなことを言ったら失礼ね。……じゃあ、次は体重を量りにいって」
「――わかりました」
あれ? おかしいぞ? なんで胸囲は測ってウエスト、ヒップは測らないんだ? もしかして、女子高では胸囲だけを測るのが当たり前なのか……? それって、なんだかセクハラのような感じがするが……。
そんなことを思いながら、体重計に乗る。四十九.五キログラム。この年齢でこれは、かなり軽い方だろう。まあ、元から身長は低いし、今日は朝ごはんを食べてきていないから、というのもあるかもしれないが。
身長は百五十一センチメートル、男子としてはかなり小さい方だが、女子としてはそこまで低くもない。しかし、先生に「ちっちゃくてかわいいねえ」と言われてしまった。中学校時代、性的な悪戯をされるときはいつもこんな風に言われて(罵られて?)いたから、少しビクッとしてしまう。
身体測定が終わり、ほっとしていたのも束の間、ピンチはさらにやってくる。保健室には、女の子の匂いが充満している。女装こそしているものの、僕は同性愛者ではないので、やっぱり興奮する。それに、みんなこんな格好で太腿をさらけ出しているし……。股間が反応してきた。ヤバい。鎮めなければ。こんなところで女装して興奮してたなんて皆にバレたら、変態少年のレッテルを貼られてしまい、下手したら逮捕されるかも……。改めて、自分がいかに危険なことをしているか思い知らされた。
早くこれを抑えて、保健室から出たい……。しかしそんな願いが叶うはずもなく、股間を鎮めるのに必死になるしかなかった。身体の中で一番コントロールがきかないのは、股間かもしれない。
――そういえば、中学校のとき、頭の中で真っ白な世界を想像すると股間は鎮まると噂に聞いたことがある。僕は目を閉じて祈るように白い世界を思い浮かべた。傍から見れば修行者、尼僧、あるいはただの変人に見えるだろうが、変態少年になるよりは遥かにマシだ。
……おお、凄い。段々と効果を現し始めている。あの犯罪者予備軍、いや、犯罪者ども(中学校の同級生達)も、性的なことについては詳しいんだなぁ……。
さっき、勃起のピークに達していたとき、まさか外からでも膨らんで見えていたりしなかっただろうな……。いや、膨らんでいたとしても、他人の股を見る女なんて居ないはずだ。そうだ。大丈夫だ。
――色々な意味で恐怖だった身体測定がやっとのことで終わり、教室で制服に着替え始める。しかし、これがなかなか大変で、家ではいつも晴香や母に手伝ってもらっていたからいいのだが、何の手伝いもなしに自分一人だけで着替えるとなると、非常に難しい……。悪戦苦闘し、見栄えは悪く、他の子より少し遅れてしまったが、なんとか着替えることができた。