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お久しぶりです。前後編で終わる話となっています。

よろしくお願いします。

 なあローランド。


 いやメロディだったか。君はいつだって頼りがいのある男の子で女の子だった。


 ねえメロディ。


 こんな風に君の本当の名を口にすることができたなら。違っていただろうか。

 君と僕の関係は友達以上にはなり得ないと思い込んでいたのは僕だけだったのか。僕が思い込んでいただけなら、愚かな昔の自分を思い切り殴りつけたいよ。

 あんなにずっとそばにいたのに肝心な時に君を守ることすらできないなんて、離れることを勝手に決めた君を少し恨めしく思う。


 ただね、メロディ。同時に仕方ないことだとも理解しているんだ。君が隠した秘密を暴いたのは僕だったし、君が積み上げてきた努力の成果を一瞬でふいにしたのも僕だった。


 すまない。

 そう謝りたいのに謝ることすらできない。わかっていたが僕にとって何よりの罰だ。ああ、でも僕が謝ったからって君は僕を許す必要なんてこれっぽっちもないことは先に伝えておかないと。メロディは僕を許す必要はないし、できれば許さないでいてほしいとも思う。


 いつも輝いていて目の話せなかった君と共にいることがつらくなったのはいつからだっただろう。

 君はいつも僕の一歩も二歩も先を歩いていた。同じことをしているつもりでも同じ成果が得られないことに僕は段々と劣等感を抱くようになったんだ。

 君の秘密を知った時には君と一緒にいられなくなることに安堵していたよ。もう比べられることなどないことに安心したんだ。

 全てにおいて僕より恵まれていると思っていた君が本当は違っていたのを知ったのは君が学校を去ってからだった。

 嫉妬に隠されて僕が君に抱いていた気持ちを見つけたのも同じ頃だ。メロディが教えてくれた気持ちに応えることがやっとできるようになったというのに。


 本当の気持ちを伝えることができなかったのは君のせいじゃない。

 全て僕のせいだ。

 君の勇気に見合うだけの覚悟を持つことができなかったんだ。

 君が思うよりもずっと僕は君のことが大切だった。気づくことなどないようにいつも僕は君への気持ちを抑えていたから知らなかっただろう?当の本人すら気がつかなかったことなのだから。


 だからどうか忘れないでほしい。君の同級生のことを。

 中でも君を好きなあまりに君から居場所を奪ってしまった僕のことを。

 お願いだよ。


 どうか許さないでいて。




※ ※ ※ ※ ※




 数年ぶりに見るトードウ家はなんだか他人の物のようだった。


「ブライアンよ、戻ったか」

「……父さんが呼んだんじゃないか」

「あ、ああ」


 歯切れが悪い父。顔色もなんだか悪いを通り越して土のようだし、目の下の隈もひどい。

 白髪も増え、幾分痩せたようだ。僕の背が伸びたせいもあるのだろうが、父が小さく感じた。僕は気を取り直し、努めて明るい声を出す。


「それにしても急に呼び出すなんて珍しいね」

「今までは忙しいお前にこちらから連絡するのも悪いと思って」

「そう。気を使ってくれてたんだ?長男でも跡継ぎじゃない子供の扱いなんてそんなもんだと思っていたから、父さんの優しさだとわかると涙が出そうだよ」


「お前は変わらないな……いや、よそう。俺が悪かったんだ。すまない」

「どうしたのさ。らしくもない。いつもなら怒鳴って終わりにするところだろう?」


「いや、その……」

「言いずらいなら当ててあげようか?弟、死んだんでしょ」


 父は諦めたように溜息をついた。


「知ってたよ。僕が今いるとこ、父さんだって知ってるでしょ」

「だが、お前は興味なんてないとばかり……」

「ははは。逆だよ、逆。僕が興味ないんじゃなくって父さん達が僕に興味がなかったんでしょ。あ、別に返事はいらないよ。気持ちくらい読めるから」


 父はびくっと肩を揺らした。


「そ、そうか……」

「で?僕はとうの昔に家から切り離されているんだけど?まさか今さら継いでくれないかなんて言わないよね?」


 父は黙り込んだまま、僕の顔をうかがうようにじっと見つめる。


「嫌だよ」

「家を継いでくれるなら、それ以外は全てお前の思う通りにしていい。俺は何も反対しない。だから……」

「小さい頃から弟に肩入れしてた父親の言う言葉かなあ。残念だったね、可愛がってる弟が不治の病に罹っちゃうなんてさ。ご愁傷さま」


「お前は人の気持ちがあるのか……?」

「は?何を馬鹿なこと言ってるの?あるに決まってるでしょう。むしろあるからこそ、自分を捨てたあんたのとこに呼ばれたからって帰ってきてるんだろ。本当はもう二度と足を踏み入れるつもりはなかったんだけどな。ベルンがどうしてもって言うから一回は顔を出してやろうと思ったんだよ」


 小さい頃から父に仕えている家令のベルン。父よりも父のように見守ってくれたベルンには僕も弱いのだ。本来ならばさっさと家から離れるはずだったのに戻ってくるのは彼への恩があるからだった。


「父さんさあ、僕が帰ってきてから一度も名前呼んでないの気づいてる?弟の名前は今の間にもう三回呼んだってのに」

「それは今いないから……」

「はは、必死だね。焦んなくても平気だよ。昔からそうだったでしょ。父さんが思ってるほど気にしてないから。何とも感じないんだ。またかって思ってるだけだし」


 父の後ろに控えているベルンが心配そうに僕を見ている。本当の父がベルンだったなら僕はすぐにでもできることを全てしようとするのに。

 仕事ばかりの父は僕が親が恋しい頃はほとんど家には帰ってこなかった。母が亡くなり後妻を迎え、連れ子だった弟を可愛がる父の姿に自分を認めてもらおうと僕は躍起になった。僕がどれだけ優秀であるかを知れば父は僕のことも可愛がってくれると思ったのだ。


 寄宿学校に入ることになったのは、学校が優秀な生徒が多いことで有名だったこともあるが、家から離れることで継母、あの女から逃れることができると思ったからだった。

 父だけではなく外に男がいることにベルンが気づき、父に知らせたがまったく聞く耳を持たなかったらしい。ベルンは悔しそうに自分の教育が悪かったのだと呟いた。

 それからは証拠を集めつつも父に報告することは一切なかった。父はよほど継母に惚れこんでいたのだろう。その時、育ててくれたはずのベルンよりも惚れた女の肩を持つ父を少しだけ嫌いになった。

 継母は僕が弟といると引き離すように弟を抱き上げてしまった。まだ小さい弟は僕と遊びたいと思ったのか、母親の腕から逃げ出そうと手足をバタつかせて僕を見ていた。

 父と同じ緑の目が。まんまるで大きくて母がいる間に父が母を裏切っていた証拠。気づかないくらいに僕は馬鹿だったらよかったのにと思った。


 僕はなるべく継母に近づかないようにしていた。幼いからこそ他人を無意識に利用しようとする気配を敏感に察知していた。僕を取り込んで便利に使ってやろうという魂胆も父が使えなくなった時のスペアになるのではないかという打算も。


 正直に言おう。僕には継母が魔女に思えたのだ。僕から全てを奪っていく魔女に。


父もベルンもいない時は特に警戒していた。絶えず居場所を確認しては決して鉢合わせしないように配慮した。

 子供にできることには限界がある。何かにふと興味を持っていかれた時には周囲への警戒が一気に薄れてしまう。自分で思っていたよりもずっと自分が幼いことに気づけなかったのはやはり僕も子供であったのだ。

 ある日魔女に見つかった。僕の好きなクッキーを片手ににたりと笑って近づいてくるのが震えてしまいそうなほど怖かった。


「あんたのこと、嫌いなわけじゃないのよ?」


 そう詰め寄ってくる継母から思わず後ずさる。隙を見て僕は逃げ出した。

眠る時が一番怖かった。もしも自分の意識がない時に継母が来たら逃げることができない。僕はベルンに必死に頼み込み、僕の部屋の扉を鍵がかかるようにノブを替えてもらった。

 父はまだ早いと言ったが、ベルンが上手く説明してくれたのだろう。必要なことだと納得してくれたようだった。子供の成長には秘密が必要なのだと言っていたが、僕の思う秘密と父の思う秘密は多分にかけ離れていた。


 そのうち僕は朝食も部屋で済ますようになったので、家族から更に離れることになった。父は何度か僕に共にするように説得した。面倒なのでその時だけ一緒にしては次の日から先に部屋で食べてしまうと父はそのうち何も言ってこなくなった。

 やっと諦めたのかと思っていたらどうやら違ったようで継母と話しているのを見た。


「いつか認めてくれるさ」

「そうかしら、だってわたしからあんたを奪った女の子供なのよ?まあ男の子でよかったわ。女だったら大きくなった時にあの女そっくりに育つかもしれないのよ?可愛がれる自信ないもの」

「あれのことは可愛がってるじゃないか」

「だってあなたに似て恰好よくなりそうじゃない?お母さまって呼ばれてみたいのよねえ」


 ふふ、と妖艶な笑みを浮かべる継母と父を物陰から見た時には、父はもう僕の父ではないのだと残念な気持ちになった。




 学校に通う歳になる頃、僕に必要な知識を与えてくれたのはやはり父ではなくベルンだった。寄宿学校という存在を知ることができたのはベルンのおかげで、幸いなことに通える位置にある学校よりも寄宿学校のほうが歴史があり、学業の成績も卒業後の進路も良かった。父は家から通える学校にしてほしいようだったが、僕は僕や家の未来のためには寄宿学校に行くべきだと説得した。

 幸いベルンや最近つけられた家庭教師のおかげで寄宿学校の入学試験には通るであろう学力を身に着けていた。

 家から出る口実でしかなくても結果としてより良い未来が開けるならそれが一番いいと思った。少なくとも家から通える学校にして、継母や弟を避けつつ生活するのは限界がある。

今はまだ子供だから継母を見てもどうとも思わないが、成長して父のようにならないとは限らないと不安がよぎる。

 絶対に試験に落ちるものかと必死に勉強した。後にも先にも最も勉強した期間だったようにも思う。

 父にも僕の本気が伝わったのだろう。突撃してこようとする継母や弟を止めてくれた。いる時は父が言い、いない時には使用人達に指示を出しておいてくれた。

 晴れて合格し入学を許された時には、僕は柄にもなく大喜びした。わけもわからないままに弟も僕に祝いの言葉を送ってくれた。普段は避けていてもしばらく離れられると思うと素直に言葉を受け取ることができた。


 寄宿学校では相部屋になるのはごく当たり前のことだった。だから通された部屋にすでにルームメイトが座っていたことに僕は驚かなかった。僕は決して初対面で嫌悪感を抱かれるほどに不潔ではない。むしろ少し潔癖なくらいの綺麗好きだ。なのに、初めて会った少年は僕の顔を見て嫌そうに顔をしかめた。


「あんたがルームメイトか……」

「何か問題でも?もし僕が嫌なんだったら別の相手に替えてもらえないか話をしたほうがいい。入学式は明日だからまだ到着してない生徒もいるはずだよ」


 値踏みをしているのかじろじろと遠慮のない眼差しを向けた後、溜息をついた。


「顔も知らない誰かに期待してハズレを引くよりはあんたのほうが幾分ましだな。俺はローランド。あんたは?」

「ブライアン。ブライアン・トードウだ」

「ふうん、東の血が混ざっているのか。道理で珍しい暗い髪色をしている」


「気にしてるんだ。あまり言わないでほしい」

「なぜ?暗がりのようで俺は落ち着くけどな。あんたの髪」

「あんたじゃない。ブライアンだ。僕はあんたって言われるの苦手なんだよ。できればブライアンと名で呼んでほしい」


「わかった。ブライアン。あんたとだったら一緒に過ごすのも楽しそうだ」

「ああそう。まったく、誰だよ。部屋に入った途端に睨んできたのは」

「俺だな。仕方ないだろ。成績優秀者は一人部屋だっていうから入学試験を頑張ったってのに相部屋でショックだったんだ」

「ショックだったら相手を睨んでいいのか?」


 ローランドは美しい目を瞬かせた。

「よくないな。すまない。失礼な真似をした」

 急に謝るものだから僕のほうが驚いてしまった。

「これからよろしくな」

 差し出された手を握る。子供らしい柔らかい手だった。





 最初の印象はどうであれ、僕はローランドと仲良くなった。同じ目線で語れる少年に僕は得難いものを得た。僕らの成績は非常に僅差で、得意科目によっては僕はローランドを上回る。どちらも得意な剣術は瞬発力はローランドに軍配が上がるも持久力では僕が上だった。苦手な科目もローランドが頑張っている姿を見ると負けられないと思った。

 長期休みに入っても僕は家には帰らなかった。ローランドも同じく寮に残っていたから、ほとんど生徒のいなくなった学校を二人で眺めることも多かった。

 長期休みのいいところは他にもあり、普段は短い時間で慌てて上がる風呂にもゆっくり浸かれるから広い湯舟を独り占めできることだ。


「たまには一緒に入らないか?」

「いや、俺は後で入るからブライアンは先に行ってこいよ」


 何度誘ってみてもローランドは顔を横に振るばかりで一度くらいはいいのではないかと内心むくれていたが、全てを知った後にはかけた言葉を思い出しては頬が熱くなった。

 一番仲がいいのはローランドだと思っていたから、ローランドにとって違うのかもしれないと思うことが妙にさみしく感じられた。

 家族よりもずっと家族のように競い合い共に過ごした少年。

 ローランドは僕にとっては仲間であると同時に兄であり弟でもあり、そして最愛の友であった。学生時代の思い出はローランドと共にある。彼のことをもし忘れることがあったなら寄宿学校でのほとんど全てを失ってしまうだろうと思った。


 だから僕の些細な変化に気づいたのはローランドだった。自分ではいつも通りに振舞っているつもりでも、剣に迷いが出たのか。普段なら打ち合いが続く場面であっさりと打ち負けた。見ていた者にはたまには調子の出ない時もあると慰められたが、理由あってのことだとローランドにだけはわかったようだった。


「どうしたんだ、ブライアンらしくもない」

「別になんでもないんだ。僕に構わないでくれないか」


「そんなに顔色を悪くして心配しないでいるほうがおかしいだろ。何があったか話せよ。一人で抱え込むよりも話したほうが解決策が見つかることだってあるんだ。他には話せないことでも俺には言えるだろ」

「言えない」

「どうしてもか」

「言っても君にはわからないと思う」

「それこそ言ってみないければわからないだろ」


「いいや、言わなくてもわかる。ローランドは一人っ子で跡取りだろ?」

「ん?ああ、他に適任がいないからな」


「俺は今までずっと自分が頑張りさえすればなんとかなると思っていた。だから頑張ってきたんだ。自分には難しいと思うことも苦手なこともあったがなんとかなると」

 そう思っていた。


「父が正式に跡継ぎを弟にすることを決めたと知らせがきた」

「は?……嘘かもしれないだろ」

「いいや。嘘なはずはない。父は僕に手紙を寄越さないからね、知っておくべきことは家令が知らせてくれるんだ」

引き出しに仕舞っておいた手紙を取り出すと唖然とするローランドに手渡した。

「読めよ」

「いいのか?」

「持ち主がいいって言ってるんだ。僕が説明するより君が読んだほうが早い」

「なら」

 素早く目を通すとローランドは僕の肩に手を置いた。


「ちょ、おい。何するんだよ、離せよ」

「イヤだね。お前は頑張ったよ。それは間違いじゃない」


「……ああ」

「ただ父親の見る目がないだけだ。俺はブライアンがどれだけ頑張っているか知ってる」

「万年主席は言うことが違うな」

「茶化すなよ。俺は本気で言ってるんだ」

「……いつだって僕より先に寝るローランドに負ける僕の気持ちも考えてくれよ」

「むしろ寝ないからじゃないかと思うが……俺よりもブライアンのほうがずっと真剣に取り組んでいるから。俺はズルをしているようなものだし」


「ズル?何か不正してるのか?先生にバレる前にやめておいたほうがいい」

「はは。ブライアンは本当にいいやつだな。違うよ。もっと別のことだ。でも確かにバレたら居られなくなるだろうな」

「秘密があることを僕に話すなよ」

「ブライアンに隠し事はしたくないんだ。いつかでいい。聞いてくれるだろ?」

「ああ。ローランドが今度話したくなった時にな」

「ならすぐだな。明日かもしれない」


「おい。そんなにすぐ話せるようなことなら秘密でもなんでもないだろ」

「言えてる。だからそのうちだ」



 ローランドの秘密がなんなのかを聞かないままに休みが開け、学年が上がると僕らは上級生になった。歳を重ねるごとに学校を辞めていくがちらほらといたおかげで念願の一人部屋に変わった。同じ間取りなのに一人で使うとなると広く感じるのだから不思議だった。

 特に眠ろうとするとしんとしていて、まるで世界に僕しかいないのではないかと思えるくらいだった。

 夜中小さく扉を叩く音がしてきた時には、すぐに飛び起きて迎え入れた。相手が誰かは見る前からわかっていた。


「開けるのが早過ぎる……」

「叩き方で誰かわかったからな」

「一人じゃ寝れないから来た」

「構わないけど寝具が一人分しかないよ」

「一緒に寝ればいいだろ」

「狭いだろ。俺は嫌だ」

「そんなこと言って本当はうれしいくせに」

「は?いくら綺麗な顔してても男と添い寝してうれしいわけないだろ」

「ああそう。別にどっちでもいいから早く寝るぞ。明日も早いんだから」

 寝不足になるのは確実としても、一睡もしないのは避けたい。先に寝台に横になったローランドの脇に僕も滑りこんだ。




 僕の片目に異変があったのはその後すぐだった。

 急に右目が見えずらくなった。遠くのものが見えなくなったというよりも全体的にぼんやりとした。物の輪郭がはっきりとしなくなった分だけ、新たに見えるようになったものがある。自分でもなぜかわからず首を傾げたが、確かにそれと僕にはわかる。本来見えるはずのないそれは感情の色や音だった。

 なぜ視覚で音が見えるのかは不明ではあるのだが、感覚的に見えて読めるのだ。

 不思議で仕方なかった。自分は今までとまったく変わらず同じ意識のままなのに、僕はまたく違う生物になってしまったかのようだ。

 見える世界が変わってしまったのは欲しいと思い続けてきた人間にとっては夢のような話でも僕にとっては違った。

 幸い僕のきき目が左だったおかげで、右で見ようとしない限りは今までとほぼ変わらない視界のままでいられたのだけれど。


 出された課題を研究をするという授業で、僕は自分に見えるものが他人には見えない可能性を考慮しきれなかった。

 今月の議題は七不思議、学校で起こる不思議な現象を集めてみることになったのだが、僕は先輩達に聞き取り調査をする時間がもったいなくて最後の一つを確認することなく書き出したのだ。

教科担任はまだ若い男の先生で、顔に考えがよく出る。試験前には

「地脈の分類は出ますか?」

「教科書以外からの出題は?」

などと具体的な質問に曖昧な答えを返すものの顔に出ているため、先生への質問が禁止になったくらいだ。


「先生?」

「いや、それもまた一つの正解だよ……確かに七つ目に上げられている不思議は誰も確認したことがない。他に関しては実際に起こった際の記録が事細かに残されている。その違いはあるが」

「ああ、なるほど。七つ目を発見したのが雲の上の人だったのですか。なら頭ごなしに否定するのは難しいですね」

「ブライアン君、この話はまた今度にしよう」


 次の日の昼休みに先生に呼び出されて教務室で話し合うことになった。


「授業中には言わなかったが、ブライアン君の右目はどうして色が変わっているんだい」

「実は数日前にいきなり光が飛び込んできて」

「光?それはもしかして虫みたいなものかな」

「虫、言われてみれば虫だったのかもしれません。急に目の前に現れた小さな光が目に飛び込んできたんです。驚きました。痛くなかったので余計です。もし虫だったなら痛くなかったとしても違和感くらいはあったでしょうし」

「なるほどなあ……」


 先生には原因が思い当たるようだった。


「次の日になってみて目の色が変わっていることに気がつきました」

「ブライアン君。今はどんな風に見えているんだい」


「両目で普通に見ようとする分には今までとほとんど変わりません。でもい右目中心にみようとするとまったく違った視界になるんです」

「正直に話していいよ。今はどう見えているんだい」

「おおむね先生が思っている通りだと思います」


「ふむ。具体的には?」

「本当かどうか疑うのはよくわかります。僕だって今の状況はおかしいと思うので。この目が先生の考えている通りに精霊のいたずらだったとしても、僕は今まで通りに生活するつもりなのであまり関係ないかなと思います」


「ブライアン君。気づいていないようだけど、私の考えていることが見えている時点で今まで通りの生活を送るのは難しいだろう。君には他人の思考までもが見えているようだからね。人は考えていることを知られている恐怖には耐えられないだろう」

「考えているだろうということを予測し合っているのに?特に先生は顔に出やすいですからみんなすぐにわかりますよ」

「推し量るのと実際に見えるのは同じ内容だったとしてもまったくの別物だよ。君の前に立っている時、言葉にしているものと考えていることが別だった時に君は今日の授業の時のように無邪気に指摘してしまうのだろう?」

「そんなことしませんよ」

「本当に?確信が持てるなら構わないよ」


 先生の言う通りだ。話さないようにしようと思っていてもきっとついうっかり話してしまう。話してはいけないとわかっていても、目の前に明らかになっているのに触れずにいられるかわからなかった。


 これがきっかけになって僕の目が変わってしまったのは「真実の目」を手にしたからだと判明した。僕の前に真実の目を手に入れた人物が現れたのは七十年前で、文献に残っていたために僕の目もそうだということがわかったのだ。

 先生は顔に出るせいかあまり気にしなかったが、クラスメイトは僕から距離を置くようになった。見透かされてしまうかもしれないと思うときっと怖いのだろう。僕は少しだけ落ち込んだ。

 まったく変わらない態度はローランドだけだった。でも僕は知ってしまった。ローランドがいつか話すと言ってくれた秘密は僕が真実の目を持つことであっさりとさらけ出された。

 肉体が女性と男性では見える色が少しだけ違う。色の鮮やかさとでもいうべきか刺激というべきか、ともかく男女で区別ができる。

 最初は見間違いかと思った。僕よりずっと男らしいローランドがまさか女性のはずはないだろうからと。でも何度見ても結果は同じで、僕はそのうち受け入れるようになった。


彼が彼女でも僕達の関係は変わらないと思っていた。




 ローランドがローランドのままでいられなくなったのは秋の競技会の時だった。

 いくつかの種目をクラスごとに競うのだ。僕とローランドは剣術で出ることになって、勝ち抜きで勝敗が決まる形の試合形式だった。

 実力が拮抗していたから最後はスタミナから粘れる僕が出ることになっていた。一番手は希望者がいなかったせいでくじで負けた剣術が苦手な子だった。お飾りに最後に据えて僕らで勝ち進む手をとろうと話したが、僕やローランドより後になるのは嫌だと言ったために真ん中がローランドとなった。

 決勝までローランドが一人で勝ち抜いて、僕は順番を間違ったことを知った。勝ち抜きなら最後を彼女にするべきだったのだ。


 後悔していた。だから判断を誤った。

 僕は汗ばみ大きく上下している肩に手を置いた。


「もういい。ローランドは頑張ったよ」

「……下がれ、まだいける」


 そう言いつつも彼女が疲労困憊であることは見て取れた。僕が見間違うはずはない。


「いや、僕が出るよ」

「なんでだ?まだできると言ってるじゃないか!」

「この後、個人選もあるだろ。僕はローランド以外には負けたくないから休んでて」


 僕はローランドが男でも女でも関係なかった。僕のルームメイトは仲間で家族で友達で僕を恐れず羨まない、たった一人の存在で。

 大切に思う気持ちの名をまだ僕が知らなかったからローランドが僕の言葉をどう受け取るか考えることができなかった。


「ブライアンに勝てるのは今のうちだけだからな……手を抜くなよ」

自嘲する彼女につい言ってしまったのだ。

「女だからって手加減しないよ」


 僕は試合の最中だということを忘れていた。気にしていなかっただけで周囲は僕らに注目していた。周囲がざわつき、女?と声がした。

 ローランドが倒れるのではないかというくらいに蒼褪めた。ふらつく体を支えてしまったのも信憑性を増してしまったのだろう。

 さらに悪いのは真実の目を持つ僕は他の誰も気づかないことを知ることができると納得されてしまい、後日改めて調査が入る事態になった。


「ブライアン、気づいたなら二人の時に言ってくれよ……」

苦笑いを浮かべるローランドを見ていられなくてうつむいた。

「しょうがないな。あー……一緒に卒業したかったな」

「え、なんでそんなこと」


「こうなったら退学になるのも時間の問題だから」


「もう話す機会があるかわからないからこの際言っとく。俺はブライアンのことが好きだ。もうずっと前から好きだった」

「僕もローランドのこと好きだよ」


「……ブライアンの言う好きと俺のはきっと違うよ」


 眠れないままに夜を明かしたせいで寝坊してしまった。先に学校に向かったのだろうと思ったが教室に彼女の姿はなく、そのまま顔を合わせることもできずにローランドは姿を消した。

 ローランドのいない部屋に僕がいる意味が見出せなくて、せめてと主席をキープした。僕が負けるのは彼女だけでありたかった。


 彼女に誇れる自分でいたい。その想いで卒業後も仕事にまい進した。貴重な目を持つ僕だからこそできる仕事は精神的にきつくなる場面も多いものだったけれど、ローランドにしてしまったことを考えると僕のつらさなんてないようなものだと思った。




父に呼び戻されたのはやっと仕事に慣れ、上がった報酬で家でも買おうかと思い始めた頃だった。数日の休みを無理やり勝ち取り家に戻ると記憶よりも老け込み小さくなった父親の姿があった。


「僕を呼び戻すなんてさ、よくあの人が許したね」

「仕方ないだろう。他にいないのだから」


 父は僕のことを気にかけていたというよりも、家の後継ぎがいなくなることを気にしていたのだろう。商会にだって優秀な部下はいるだろうにわざわざ息子を呼ぶ。大抵そうであるが、いきなり自分のやってきたことを放り出さなくてはならない息子の側の都合は考えないのだろう。迷惑な話だった。

「なるほどね。それで?僕は一体どうすればいいのですか」

「時間がとれないのはわかっているが、商会のことを覚えてはくれないか。その、少しづつでいいから」

「僕の仕事が何か、父さんはわかって言ってるんだよね?」

「大切な仕事としか聞いていないが。難しいか?」

「そうだっけ?あの時は急にいろんなことが変わって慌ただしかったからね、詳細は伝えていなかったのかもしれない」


 本当は違う。父には何があったのか事細かに話した。仕事の合間のわずかな時間を僕に割くのが心底嫌そうだった父を覚えている。


「忘れちゃったんだね……」

小さな呟きは父には届かない。


「それでだな、忙しいお前が婚約者を見つけるのは難しいだろう?お前が受け入れられそうな娘を探してみたんだが」


 僕は自分の耳を疑った。父にとって後継ぎっていうのは次を作るところまでがセットであるらしい。怒鳴りそうになるのを僕はぐっとこらえた。


「百歩譲って後継ぎになるのは我慢できるけど、結婚相手くらいは自分で探すから」

「そう言うだろうとは思ったんだが……まあともかく話だけ最後まで聞きなさい。判断するのはそれからにしても遅くないだろう」

「自分の時はさっさと話を切り上げるのに、話は最後まで聞けって言うんだね……」

 父はわざとらしく一つ咳をすると口を開いた。


「相手のお嬢さんは少し特殊な立ち位置でな、一人娘だから本来はお前があちらの家に入ることになるのだが、血縁の男が継ぐと決まっていて彼女はその対象から除外されている」

「へえ」

 どこかで聞いた話だ。案外どこにでも転がっている話だったのだろうか。

「ちゃんと聞きなさい。女であることを隠して寄宿学校に入学するようなお転婆であるようだが、当時の成績は非常に優秀であったらしい。まあ私よりもお前のほうがよほど知ってるだろうが」

「え、まさか」

 思い当たる相手が一人しかいないことに僕はたじろいだ。


「婚約の話を持ちかけたのはこちら側からだが、あちらは娘の処遇に困っていたようでな、すぐに色よい返事をもらうことができたよ。よかったな、ブライアン」

「ちょ、ちょっと待って。は?僕、父さんに一言も言ってない。なんで?」

「どうして家令に宛てた手紙を当主が読まないと思えるんだ?お前は頭がいいのにもう少し広く考えなさい。こっちはお前が困るだろうからと送らないようにしていたんだぞ」


 溜息をついた父の僕を見る目が温かい……?

 え。


「父さんが僕に手紙を送るはずないでしょ?いや、待って。その言い方だともしかして」

「今までの全部読んでいるぞ」

 今度こそ僕の頭は真っ白になる。

 今までの手紙っていったら誰にも話せない悩みだって赤裸々に何度も語ったような気がする、いや気がするじゃない。特にローランドがいなくなってからは……。


「はああ?う、嘘でしょ。ちょっと、待って待って。嘘だと言ってよ。あああ、もうやだ……!」

「そんなに取り乱すようなら誰が読むかもわからないような手紙に本心を書くようなことをしないように」

「うう……」

「これからは気をつけなさい。よかったな、一つ勉強になったじゃないか」

「じゃあもしかして彼女のこと知ってたんだね」

「息子の友達のことを親が知りたくなるのは当然だろう。子供同士のことには手を出さないが相手の家や親のことくらいはな。お前が落ち込んでも何もしてやれないのはわかっていたからな。で?どうするんだ?婚約するか?婚約すればすぐにでもこちらの家に移ってもらうこともできる。さっさと決めなさい」

「ロー…メロディに何か?」

「寄宿学校に入るなどという無茶をしなければならなかったのにはそれなりの理由があるということだ。向こうの家には連絡を入れておくから明日にでも会いに行くといい」




 次の日、僕は教えられた家に向かった。辿り着くと思っていたよりも大きな屋敷に僕は立ち入るのを躊躇した。


「何?入らないの?」


 後ろからかけられた懐かしい声に僕は振り返った。あの頃と変わらない、いや顔も体も記憶より柔らかい曲線を描くようになっていた。

会いたかった。もう会えないと思っていた僕は胸にこみ上げた熱いものに動かされるようにぎゅっと抱きしめた。


「ちょっとちょっと!痛いって!」

「あ、ああ。ごめん……」

「もう。背、伸びたんじゃない?前は同じくらいだったのに」

「だいぶね。初めて会った時はローランドのほうが大きかったよ」

「そうだったそうだった」


 笑われながら僕は引き剥がされた。もう少しだけ抱きしめていたかったけど、言葉にしたらいけないような気がした。

 ワンピースを纏ったメロディは可愛らしかったのだ。


「久しぶりね」

「わざとらしい話し方はやめてよ」

「あらひどい。誰のせいでこんな窮屈な恰好をしなくちゃならなくなったと思ってるの?」

「すみません。僕です」


 メロディは頷くと声の出し方を変えた。

「わかってるならいい」

「会いに来るのに結構な勇気が必要だったってのに……」

「情けないなあ、ブライアンは私が欲しかったものを持っているってのに」


 なんでもできる彼女が欲しかった一番のものは決して彼女が手にすることはない。今なら僕はなんだって差し出せるのに、渡すことはできない。


「僕だって君のためになるのなら反対がよかったよ。君が男で僕が女。それだったら話は早かっただろうに」

「今のままでも婚約には何の問題もない」


 答える声は固かった。きっと他に選ぶ道がないのを一番わかっているのは彼女だ。


「ローランド……」

「その名で呼ぶな。特にここでは」

「だって君の名前じゃないか」

「いや。借り物だよ。双子の兄の名前なんだ。生まれてすぐに息をひきとったんだ。……とにかくこれ以上立ち話をするのは客人に失礼だな。部屋で話そう」


 僕は彼女に連れられて客間へと通された。


「ティールームでもよかったがこちらのほうがいいだろう。母が使っているらしいし、向こうはどこに耳があるかわからないからな」

ソファに座り込むと歩いている間ずっとききたかったことを伝える。


「君は双子だったの?」

「そう。ああ、知っているだろうが、私のことはメロディと呼んでくれ。周りが混乱するといけないからな。特に母は私のほうが生きていることにお怒りでね」

 メロディは苦そうに笑った。


「出産時、母は息子が亡くなったことを理解できなかったらしい。後継ぎを産めと周囲から相当プレッシャーをかけられていたようでね」

「でも……」

「だから亡くなったのは娘であるメロディだとした。私は母から息子として育てられたんだ。いたずらでワンピースを着た時は本気でぶん殴られたよ。やめなさいって怒鳴られてさ」


 彼女の顔は笑っているようでいて泣いているように見えた。

 向かい合う距離の遠さがもどかしくて僕はぎゅっと自分の手を握った。


「だからブライアンと仲良くなった時も本当にいいのかと心配になった。私は私であって私ではなかったから。家のための道具として育てられてきたのに、人の心なんて持ってしまって」

「ローランド、いやメロディ。あの時はすまなかった。謝って許してもらえるものでもないのはわかっている。言っても僕の気持ちしか救われないってことも」

「いや。いいんだ。いつかブライアンには話そうと思っていた。誰かにローランドじゃない私のことを知ってほしかった。ローランドは母にとって自慢の息子だったから、母が誇れる自分でありたかった。でもそれだけが私ではないとも思っていたから」


 誇れる自分でありたいと思う気持ちは僕にもあった。違いは僕の場合は僕のためにだったことだろう。

 何を話せばいいのかわからないまま口を開こうとした僕より先に、彼女が僕を射貫いた。強いまなざしで。

「ブライアン、お願いがあるんだ。私が家を出るのに協力してほしい」





こうして僕らの婚約はあっけなく整った。例え利用されているのだろうとしても僕は構わないと思った。未来を奪ってしまった彼女に償えるなら。







知らないということは罪になるのだろうか。

伝えるべき相手に伝えなかったことを責めても元通りに戻ることなどないというのに。

同じように見えてもそう見えるだけで実際はまったく違ってしまっているのだ。


僕は疑問に思ったのに追求しなかったことを後悔した。


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