第350話 初めての酒
全ての処理が終わり、宿屋へと戻って来られたのは明け方。
正直疲弊し切っている状態だが、ラルフとヘスターは寝るつもりがないようで大量の飯と飲み物をテーブルの上に置いている。
「あえて聞かせてもらうけど、まずは寝て疲れを取るって考えはないのか?」
「ねぇな! クリスは疲れているだろうが、話し合いが終わるまでは寝させるつもりはない!」
「申し訳ありませんが私もラルフと同意見です。話し合いが終わってからみんなで寝ましょう」
ラルフだけでなく、やはりヘスターも俺を寝かせてくれる気はないようだ。
結局、夜飯もまともに食うことができなかった訳だし、腹が減っているといえば減っているのだが……それ以上に眠気が半端ではないんだよな。
肉体的にも精神的にも疲弊し切っているし、俺の心情的には話し合いどころではないのだが、ヘスターもラルフ側となると諦めるほかない。
あくびを噛み殺しつつ、俺は話し合いを行う覚悟を決めた。
「分かった。まぁ俺も話し合いは行わないといけないとは思っていたし、寝る前に話し合いをするとしようか。……話し合いと言っても飯は食っていいんだよな?」
「もちろん! そのために色々と食材を引っ張り出して来たからな! それに今日は……酒も用意した!」
この時間は店が開いていないためどこで調達してきたのか分からないが、テーブルの横には樽に入った酒が置かれている。
酒については『天恵の儀』を終えた人間なら飲むことを許されているのだが、俺達には酒に費やす金もなかった訳でここまで一切飲んではこなかった。
ラルフに至っては義父が酒浸りだったこともあって、執拗以上に嫌っていた印象だったのだが……。
どうやらそんな感情すら超越して、今日は酒に手を出すつもりでいるらしい。
「ちなみに俺は飲まないぞ」
「駄目だ! 俺だけ飲んでも意味がないから、今日はクリスとヘスターにも付き合ってもらうぞ!」
「えっ? 私もなの?」
「当たり前だろ! この世で一番嫌いなものといえば酒の俺が飲むんだぞ! 二人が飲まないなんて通用する訳がないだろ!」
「だったら飲まなきゃいいだろ。三人とも飲みたくないって意見なんだし」
「御託はいいんだよ! ほら、注いでやるから飲もう!」
ラルフに無理やり酒を注がれ、コップに入った酒が三人の前に置かれた。
飯よりも前に乾杯を行うらしく、ラルフの音頭と共に酒を一気に呷る。
…………うん。想像通り、普通に不味い。
微妙な苦味に体が拒絶しているのか喉を通っていかない。
俺だけでなく二人も同じ心境だったようで、渋い表情をしたまま顔を見合わせる。
ただ言い出しっぺだからということもあったからか、ラルフはコップに残っていた酒を一気に飲み干し、すかさず俺達にも飲み干すように煽ってきた。
「――不味い。なんでわざわざこんな不味いもんを飲まなきゃいけないんだよ」
「俺だって不味いけど飲んだんだ! 酔えば、本音を曝け出せるようになるらしいからな! 今日だけは特別に酒を飲むって決めたんだよ!」
「……確かに、既に頭がぽわぽわしてきた気がします。一気に飲んだからですかね?」
「俺も体が熱くなってきてる! 我慢して飲んだ甲斐はあったな!」
二人はそう言っているものの、俺は一切体への変化がない。
俺だけ酔わないっていうのもアレだし首を捻りながらも、もう一杯コップに注いで再び一気に酒を飲み干したのだが……不味いという感想以外体への変化は感じられない。
「おおっ、急に随分とやる気だな! クリス、酒の味が美味く感じるようになったのか?」
「そんなんじゃない。二人と違って体への変化が一切なくてもう一杯飲んでみただけだ」
「それでどうでしたか? 頭や体がぽわぽわしてきましたか?」
「……いや、特に変化はないな。もしかしたら【毒無効】のせいで酔わないのかもしれない」
アルコールが体にとって毒と考えれば、無効化されていても何の不思議でもない。
いくら飲んでも変わらないということであれば、無理して不味いだけの飲み物は飲む必要がなくなるな。
「そんなことあるのか? みんなで酔おうと思ってたのにクリスは酔わないのかよ!」
「俺の意思に反するものだし仕方ないだろ。二人で楽しんでくれて構わない」
「クリスさんが酔わないのであれば、私も無理して飲む必要は……」
「駄目だ! 俺とヘスターだけでも飲むぞ! せっかく買ってきたんだしよ!」
勿体ない精神で酒は飲むようで、俺は二人が酒を飲んでいるのを見ながら飯を食べることに決めた。
毒入りの定食を軽く食べたとはいえ、腹が空きまくっているため話し合いを行う前にとりあえず飯を腹の中へと入れたのだった。