第332話 懐かしの森
ペイシャの森は以前訪れた時と何も変わっておらず、見慣れた穏やかで静かな自然の風景が広がっていた。
記憶を頼り森を進み、何度も世話になった泉を抜けると、徐々に木々が深くなり一帯が木陰となったことで夜のように暗くなり始めた。
この暗さに異様なほどの静寂。
久しぶりに来ると、やはりペイシャの森の奥地は不気味さが勝ってしまうな。
拠点として使っていた岩と岩の間を覗いてみると、あれだけ綺麗に取った苔がまた生えていて、その苔の周りにはびっしりと気持ちの悪い虫が引っ付いていた。
生きるためとはいえこの虫を食べていたのだから、当時の俺は本当に凄いと思う。
……さてと、思い出に浸る観光モードはここまでにして、本気でデュークウルスの捜索を行っていくとしようか。
デュークウルス以外は安全すぎる森ということもあり、ここまで一切使っていなかった索敵スキルを一気に発動。
スキルをフルで使い、本気で索敵を行っていく。
ひとまず目指すのは、以前デュークウルスに襲われたあの場所。
情報が一切ないためこの広い森を足を使って探すしかない訳だが、熊というのは執着心が非常に強く、一度狙った獲物を必要以上に追いまわすとして有名。
デュークウルスが普通の熊と同じ習性を持っているかどうかは不明だが、もし同じように執着心が強いのであれば……。
こうしてペイシャの森の奥地を歩いているだけで、向こうから近寄ってくる可能性は非常に高い。
襲われた場所はデュークウルスの縄張りだった可能性もあるし、襲われた付近で索敵スキルを使いながらうろつくのが最適なのは間違いないはず。
最大限の警戒はしつつ、ペイシャの森をドンドンと進んで行き――俺は前回デュークウルスに襲われた場所へと辿り着いた。
ペイシャの森に入ってからここまでの道中で出会った魔物は一匹もおらず、索敵スキルに引っかかった魔物もいない。
本当に存在するのか疑ってしまいたくなるが、俺がここで襲われたのは紛れもない事実だ。
襲われた場所で立ち止まり、デュークウルスが来るのを待ってみてはいるが今のところは何の気配もない。
……確か、襲われる少し前に強烈な嫌な気配と同時に寒気を感じたんだっけか?
デュークウルスのスキルなのか、それとも俺の第六感が危険を告げていたのか分からないが、あの強烈な嫌な気配は捜索する上で重要な情報。
あの嫌な気配を頼りに探し回っても良いのだが、ひとまずは留まって向こうから来るのを待ってみよう。
たまに吹かれる風によって木々が揺れる音しか聞こえない静寂の中、俺はただひたすらにデュークウルスを待ち続けること約二時間。
……ここまで小さな生物すら索敵スキルにも引っかからないし、流石に待っているだけでは出会えそうにないな。
とうとう痺れを切らし、捜索に動こうとしたその瞬間――全身がゾワゾワとするような悪寒が走った。
この感覚はしっかりと覚えている。間違いなく、以前デュークウルスに襲われた時と同じ悪寒だ。
強くなった今でも悪寒を感じるということは、やはりこの嫌な気配はスキルの可能性が高い。
そんな考察をしつつ、俺は猛スピードで俺の下へと駆け寄ってきているデュークウルスに意識を向ける。
速度はやはりかなり速いな。あの巨体でこの速度なら、討伐難度的にはプラチナランクはある気がするな。
当時の俺の強さで追い払うことができたのは、本当に奇跡に近かったというのは今だからはっきりと分かる。
そして――勢いよく駆けてきたデュークウルスの姿が見えてきた。
真っ黒な体に薄っすらと橙色の模様が浮かび上がっており、ゆらゆらと揺れる鬣のようなものまで生えている。
前回対峙した時は本当に一切の余裕がなく、まじまじと観察することができなかったのだが、意外と恰好良い姿をしていたんだな。
何よりも問題なのは前回戦ったデュークウルスと同じ個体なのかどうかだが、体の大きさは若干大きいくらいで他は一緒なように思える。
同一の個体かどうかを見極める唯一の手段は、腕を犠牲に上顎に突き立てた剣の傷跡ぐらいなのだが……。
デュークウルスが大口を開け、更に間近で見てみないと確認することができない。
「まぁどちらにせよ倒さなきゃ話は進まないってことだよな」
俺はそう独り言を呟き、デュークウルスに剣を向けた。
ちなみに今向けている剣はヴァンデッタテインではなく、先ほど情報収集のついでに買った何の変哲もない鉄の剣。
ヴァンデッタテインで斬り殺してしまっても良いとは思うが、腕試しも兼ねているため今回は鉄の剣で挑む。
それとスキルも極力使用せず、素の状態で戦いに臨むつもり。
猛スピードで駆けてきたデュークウルスも前回とは違い、対峙してからは動きをゆったりとさせ、俺を探るような行動を取っている。
…………上顎の傷は確認できていないが、恐らくこのデュークウルスは前に戦った個体と同じ個体。
睨んでいる目がただの人間を見ている目ではないし、何よりも俺を必要以上に警戒しているのがその証拠。
油断しやられた前回とは違い、最初から本気で殺しにいく――そんな強い意思のようなものが、このデュークウルスから感じられた。
あの一戦は俺にとって苦い経験だったが、デュークウルスからしたら俺以上に苦い経験だったってことだな。
まだ剣を構えて様子見の段階だが……互いの考えが分かるほど、俺達は必要以上の警戒心と殺気で会話を交わしたのだった。