第306話 地味な戦法
大口を開け、長く真っ黒な舌がだらしなく垂らして俺を睨むバハムート。
体の至る部分が痙攣しており、よく見てみると小さな蛆のような魔物が体中を蝕んでいるようにも見えた。
そして大きな図体にも関わらず、長い時間天井にぶら下がっていたことからも分かる通り、残された三本の足は異様に鍛えられているのが分かる。
捥がれている翼の代わりに足を鍛えざる負えなかったのだろう。
下へと勢い良く降りてきたはいいものの、バハムートからは一切攻撃を仕掛けてくる気配がない。
硬そうな龍鱗で覆われているし、バハムートが勢い任せに飛び込んできたところにカウンターを浴びせたかったが、ここは俺から攻撃するしかなさそうだな。
【黒霧】は先ほどの着地によって霧散してしまったため、再び発動させて無駄に明るい最奥の部屋を真っ黒な霧で染め上げる。
その瞬間に――【脚力強化】と【疾風】のスキルを発動。
俺を見失っているバハムートの胴下まで一気に潜り込んだ俺は、一撃で絶命させる覚悟で強烈な上段斬りをバハムートに浴びせた。
体重移動、踏み込み、体の回転——全てが完璧。
全身に込めた力が余すことなく鋼の剣に乗り、これまでに感じたことのない手ごたえでの一撃がバハムートに向かって振り下ろされた。
本当に一撃でバハムートを仕留められる――自分の中ではそう確信したほどの感触だったのだが……。
バハムートの体は金属の塊かと思うほど硬く、これまでにないほどの完璧な一撃だったのに深くまで斬り裂くことができなかった。
何重にも重なっている龍鱗のせいでポイントがズラされ、肉の部分まではなんとか届いたという程度。
不意を突いて完璧な一撃を決めたのにも関わらず、出血の量も僅かだし大したダメージも与えられていない。
それに何より、俺が斬り裂いた瞬間にバハムートが上げた咆哮によって【黒霧】の大半が吹き飛ばされてしまった。
着地の際の風圧だけでなく、手軽に行えそうな咆哮ですら【黒霧】は吹き飛ばされてしまうのか。
バハムートが察しの良い魔物であれば、今後【黒霧】を使った瞬間に咆哮で吹き飛ばしてくるだろうし、こうなってしまったらここぞというタイミングまで温存するしかない。
完璧な一撃を防がれ、策の一つをあっさりと潰されてしまった。
バハムート側は特に何もしていないのにも関わらず、俺の首がじわじわと締まってくるこの感覚。
圧を感じないし大したことのない魔物だと分析した、少し前の俺をぶん殴ってやりたいほどの強敵だというのが最初の攻防だけで嫌というほど思い知った。
粘糸への警戒も見せていたし、ここからは搦め手を使わずに真っ向勝負で戦うしかない。
今の俺にできる最大の攻撃を防がれた以上、戦い方に策を講じつつ――必ずバハムートを仕留める。
三角筋付近に傷を作りドロッとした青黒い血を流しているバハムートと、踏み込むに踏み込めずに剣を構えるだけの俺。
再び膠着状態が訪れたのだが、次にこの均衡を破ったのはバハムートだった。
ここまで天井から下り、咆哮を上げることしかしてこなかったバハムートだが、俺が動く気配がないと分かるや否や地面を這いながら仕掛けてきた。
俺としてもカウンターを決めたいため、攻撃を仕掛けてくれるのは好都合なのだが……。
一切の規則性もなく右往左往しながら、俺の下へと寄ってきているのだ。
タイミングも合わせづらく、こんなに変な動きをされてはカウンターを決めることができない。
この動きを意図的にやっているのであれば逆に規則性がないという規則性が生まれるのだが、バハムートは前足の片方がないせいで体のバランスが崩れてこの変な動きになっているため、本当に一切動きを読むことができない。
なのにも関わらず足の筋肉が発達しているせいで自棄に速度が速いし、まずは動きを緩めさせることから始めなければ防戦一方になるだけだ。
大口を開けながら、ドラゴンとは思えないほど醜い表情で追いかけまわしてくるバハムートの攻撃をなんとか躱しつつ、【粘糸操作】と【硬質化】の合わせ技で遠距離から攻撃を浴びせていく。
俺の渾身の一撃が弾かれたことからも、硬質化させた粘糸程度ではバハムートの龍鱗にはかすり傷をつけるくらいしかできないのだが、爛れ落ちた部分を狙えば針で刺したぐらいの傷は与えることができる。
まずは地形を利用しつつ攻撃を躱すことだけを考え、残された左前足の爛れた部分をピンポイントで狙って粘糸を飛ばしていく。
そんな左前足狙いを始めてから約三十分以上。
攻撃を躱しながら、硬質化させた粘糸を同じ部位に刺しまくっていった。
身体能力強化のスキルをフルで発動させ、更に【能力解放】の影響もあって俺の足も疲労で痙攣し始めたのだが……。
一見無駄かのようにも見えた俺の攻撃もしっかりと効いていたようで、初めてバハムートが突っ込む際に足から崩れるようにバランスを崩し、地面に向かって頭から衝突した。
すぐに何の問題もないかのように咆哮を上げてから、俺に対しての攻撃を再開したが、地道な粘糸による俺の攻撃は確実に効いている。
疲労で震えている俺の太腿を叩いて喝を入れつつ、バハムートがあと数回バランスを崩すまで粘糸による攻撃を行う決意を固めたのだった。