第258話 嫌な気配
眠りについてから約二時間ほど。
嫌な気配を感じ取り、俺は飛び起きるように目が覚めた。
周囲を見てみると何もないかのように眠っており、一瞬気のせいかとも思ったのだが――。
やはり何とも言い知れぬ嫌な気配を、心臓をギュッギュッと締めつけるかのように感じ取れる。
みんなを起こさないようにそっと寝袋から出て、張ったテントから静かに出てみると……。
テントの外にはフェシリアがおり、俺が嫌な気配を感じた洞窟の奥をじっと見つめていた。
「フェシリア。お前もこの嫌な気配を感じ取って起きたのか?」
「いえ、私は見張りをしていただけです。急遽立てたテントで無警戒に眠るなんてありえませんので」
確かにその通りではあるのだが、本当に嫌味な言い方だな。
フェシリアにイラッとしつつも考えないようにし、洞窟の奥から感じる嫌な気配の正体についてを思考する。
徐々に近づいてきているのが分かるため、俺はスキルを使って索敵を開始した。
「クリスはこの気配を感じ取って目が覚めたのですか?」
「ああ。お前も勘付いていたんだな」
「当たり前です。これだけ嫌な気配を発しているのですから、気づかない方がおかしいですよ」
……会話しながらもスキルを使って探ってみたが、距離が離れているせいか引っかからない。
もう少し近づいてみるか、それとも放置しておくか。
かなり悩む択だが、もし俺達に気がついて近づいてきているのであれば、放置するという選択は取れない。
「俺はちょっと様子を見てくる。何かあればみんなを連れてすぐに逃げてくれ」
「私もついて行きます」
まさかの返答に俺はついフェシリアの顔を覗き込んでしまった。
そんな俺の行動に対して表情を歪めた後、即座に弁明を開始した。
「貴方が心配だからとかではありません。単純な興味です。これほどの嫌な気配を発する魔物はダンジョンの階層主ぐらいでしたので」
「なるほど。そういうことなら構わないが、くれぐれも足は引っ張らないでくれよ」
「……っ!? 私はヒヒイロカネ冒険者ですよ!? なんで貴方にそんなことを言われなくちゃいけないんですか! その台詞は私の――」
ごちゃごちゃとまくし立て始めたフェシリアを無視し、俺は慎重に洞窟の奥へと進んで行く。
こちらから音は出せないため、【音波探知】は使わずに様子見。
【知覚範囲強化】【生命感知】が届くところまで、気づかれずに近づきたい。
隠密スキルを駆使しつつ洞窟の中を進んで行くと、微かに近づいてきている魔物の足音が聞こえ始めた。
「ちょっと。無視していないで何とか言ったらどうなので……」
「静かにしろ。もう結構近いぞ。お喋りがしたいならテントに戻っていてくれ」
返事代わりに尻を思い切り蹴られたが、ようやくフェシリアも本格的に戦闘モードに入ってくれた様子。
これで嫌な気配を放つ魔物だけに集中できる。
【聴覚強化】のお陰で聞こえる足音から、俺は魔物の全体像のイメージを膨らませていく。
吸盤のようになっているのか、一歩歩くごとにぺたんぺたんと引っ付くような足音になっているのが分かる。
体の大きさに関してはそこまでではなさそうだが、衝撃が吸収されていることも加味すると……バカデカいサイズの可能性も十分にあり得るな。
異形種であることは間違いないため、予想外の攻撃にだけは気を付けなければならない。
変わったスキルを持っている可能性も高いし、何をやってくるのか分からないのが異形種の特徴。
足音だけでそこまでの考察を立てたところで――発動していた【生命感知】に引っかかった。
遠くからでも嫌な予感を感じ取れただけに、凄まじい生命反応を持っている異形の魔物。
カルロと向かい合った時以上の圧を、この距離からでも感じ取れた。
滝のように流れ出る汗を静かに拭いながら、ここからどう動くかを考える。
一番安全なのは一度テントへ戻り、三人とスノーを叩き越して全員で戦うこと。
俺とフェシリアの二人だけでも倒せる可能性はあるが、フェシリアとの連携がままならない以上危険と判断せざるおえない。
「この角を曲がった先にいる。一度戻って全員で倒しにかかるぞ」
「それは多分無理よ。この魔物、私達のこと勘付いている」
「は? 歩行速度も変わらずだし、勘付いたような動きは取っていないだろ。そう思った理由はなんだ」
「勘」
この場でも適当なことをほざくフェシリアを一発ぶん殴りたくなったが……。
目を見てみると冗談を言っている雰囲気は一切なく、本気でそう思っているのが分かった。
ただ、だからと言って、フェシリアの勘だけを頼りにここで戦闘を行うのか?
根拠が薄すぎるし、何よりリスクが高すぎる。
……だが、もし気づかれていたとしたら、背後を襲われる形になり勝ち目は更に薄くなる。
頭を掻きむしりたくなるほど迷うし、じっくり一日ほどかけてどちらを選ぶか決めたいぐらいだが、速度を変えずに近づいてきている異形の魔物を前に悩んでいる時間はない。
「…………ヒヒイロカネ冒険者の勘を信じる。俺達に気づいていなかったら恨むからな」
「仮に気づいていなかったとしても、倒せば別に問題ないでしょう? 別にクリスは後ろで縮こまっていてもいいんですよ」
「フェシリア一人に任せられるか。お前を殺してしまったら、【月影の牙】の連中になにされるか分かったものじゃない。これ以上敵は増やしたくないからな」
「なら、くれぐれも足を引っ張らないでくださいね」
先ほどのお返しなのか、出会ってから一番の笑顔でそう言い放ったフェシリア。
ムカつくはムカつくのだが、この場面でこの余裕を持っているフェシリアに俺は妙に安心感を抱いたのだった。





