第146話 最後の願い
倒れている人物――アルヤジさんに俺は声を掛けたのだが、倒れたまま動く気配がない。
急いで駆け寄り、うつ伏せで寝ているのをゆっくりと仰向けにする。
お腹の辺りが貫かれたように穴となっており、目を覆いたくなるような酷い傷。
――ただ、まだ死んではいないようで微かにだが、息をしているのが分かった。
手当てするべく、俺は急いで家の中へと連れ込もうとしたのだが、担ごうとした俺を止めるようにアルヤジさんが腕を握った。
「んん……クリス君ですか? ――良かった。死ぬ前に君と話すことができた」
「アルヤジさん。一体、何があったんだ?」
「家の中へは連れていかなくて大丈夫です。なんとかスキルで生き長らえているだけで、体力がなくなりスキルが切れた瞬間に……僕は死にますので」
「いや、腕の良い錬金術師を俺は知っている! そいつにポーションを頼めば――」
「自分のことです。この傷では、どう足掻いても助からないことは僕が一番よく分かっていますので……。クリス君はここで話を聞いてください。僕がここまで来た意味がなくなってしまいます」
瀕死ながらも、俺の目を見て強く訴えかけるアルヤジさんの言葉。
諦めたくない。諦めたくないが――。
アルヤジさんの命の炎が消えかかっているのは、俺にも痛いほど伝わっていた。
意識を集中させて警戒していた俺が、この目で視認するまで誰だか気が付くことができないほど衰弱し切っている。
だとするならば……意思を尊重し、こんな状態でも俺に会いに来てくれた理由を聞かなくては、アルヤジさんの全ての頑張りが無駄となってしまう。
「…………分かりました。話を聞かせてください」
「ありがとうございます。まずは何が起こったのかを話します。……今日の夕方、一人の男に絡まれたのです。――その男には片腕がなく、額には深々とした傷のある男で、自らをカルロと名乗っていました」
「片腕がなく、額に傷のある男。…………俺の追手だ」
「ええ、そうです。その男は、クリス君がオックスターにいることを知っていました。なんでもヘンリーという冒険者から聞き出したとか」
ヘンリー、ヘンリー…………。思い出した。グリースの取巻きの一人だ。
散り散りとなった際に、取巻きの一人はオックスターへと行き――そこから、俺の情報が片腕の男に漏れてしまったのか。
……俺があの時、全員始末しておけば。いや、グリースを殺したということがバレないためにも、あの時は証人作りが必要だった。
それにその時は、俺の追手がノーファストまで迫っていたことも知らなかったし――じゃないな。
今は……過去を振り返る時じゃない。
「ヘンリーは元オックスターの冒険者だ。そいつから俺の情報が漏れたのだと思う」
「やはりそうでしたか。クリス君から言われていた通り、名を出さないようには気をつけていたんですけど……オックスターという地名に反応し、酒場で絡まれました。特徴的な額の傷、それから片腕がなかったことから、絡んできた人物がクリス君の追手だということに、僕達全員すぐに気がついたのですが――僕達の見通しが甘かった」
「そのカルロと名乗った男と戦って、アルヤジさんは…………」
「ええ。全員の心の中で、相手が一人なら全員で戦えば勝てるという気持ちがあったんです。僕たちは売られた喧嘩をそのまま買い、人気の少ないところに出た瞬間に、即座にジョイスさんの頭が飛ばされ――流れで僕のお腹が貫かれました」
「…………何もできずにですか?」
「ジョイスさんは何もできず、僕はスキルを発動させた上で反応ができなかった。瞬時に勝てないと判断したレオンさんがジャネットさんと一緒に壁となり、手負いでしたが逃げ足が一番速い僕を逃がしてくれたんです」
……ということは、頭を飛ばされたジョイスだけでなく、レオンもジャネットも殺された可能性が高いということ、か。
申し訳なさとやるせなさで、頭の中がぐしゃぐしゃになってくる。
「本当にすまない。俺と関わりを持ったせいで……」
「いえ、関係ないですよ。僕たちがオックスターに行くことは確定事項でしたし、相手の実力を見誤り喧嘩を買ったのは僕たちですから。何ならクリス君から気を付けるようにと忠告を受けていたのに、ミスリルランクであることにあぐらをかいていたんです」
苦しそうに息を荒らげながらも、そう俺を慰めてくれるアルヤジさん。
……なんと言われようが、俺が【銀翼の獅子】を巻き込んだのは事実。
アルヤジさんの深い傷を見ながら、頭が締め付けられるように痛くなる。
「もうそろそろ……体力が尽きてしまいますね。なんとかオックスターまで辿り着き、クリス君にこの情報を伝えることができてよかったです」
「アルヤジさん。すいませ……いや、俺のために――ここまで来てくれて、本当にありがとうございました」
「……ふふふ。クリス君は僕の唯一の弟子ですからね」
アルヤジさんは俺の顔を見て胸を張り、自慢気にそう言った。
「短い時間でしたが、クリス君を指導できて本当に良かったと思ってます。……いつか強くなって有名になった時は、僕が師匠だってことを世間に広めてくださいね」
「――はい。必ず」
「……それなら良かったです。僕の体については、クリス君の糧にしてください。……修行中の話が本当なのであれば、僕の力を受け継ぐことが……できるんですよね?」
「で、できるが、俺はアルヤジさんを植物の宿主にすることはできない」
「……お願いします。僕の最後の願いです。……クリス君と一緒に最強を目指してみたいんです。――僕は結局、最強にはなることができませんでしたから」
「……アルヤジさんがそう言うのであれば。…………俺に断ることはできない、な」
「すいません。辛いことを言ってしまって。――それで、は、そろそろ……僕は眠らせて頂きます。…………楽しかった。……うん、楽しかったな。僕の夢の続きは――クリス君に託し……ました」
俺の手を握り、俺の目を見て強くそう訴えかけてから、体力がなくなり掛けていたであろうスキルが切れたのが分かった。
本当にギリギリの状態だったのか、スキル切れと同時に――アルヤジさんは静かに息を引き取った。
胸も頭もおかしくなるくらい痛くなる。
アルヤジさんとは、決して長い付き合いと呼べるものではなかった。
ただ、アルヤジさんは俺を一人の弟子として接してくれ、持っている技術を一切の見返りを求めることなく教えてくれた。
特訓の合間では互いに世間話をし、俺はアルヤジさんの生まれてからの境遇を知っているし、アルヤジさんも俺の境遇を知っている。
いつか、いつかこの恩を返すと心に誓っていたのだが、最後の最後までお世話になったまま、アルヤジさんはこの世から去ってしまったのだ。
…………悔しい。本当に悔しい。何もできない弱い自分が憎くてたまらなくなる。
それ以上に、関係ない人を巻き込み続けるクラウス。それから追手である隻腕の男カルロ。
――俺を殺したいのなら、俺だけを狙えばいい。
クラウスには更なる殺意が、片腕の男には強い憎悪の気持ちが湧く。
叶うことならば今すぐにノーファストへと向かい、即座に斬り殺してやりたい。
その気持ちが先行しかけるが……俺が一対一で敵わなかったレオンやアルヤジさんをまとめて殺した実力者。
今の俺が挑んでも、あっさりと殺され――クラウスの前に無様な死に様を見せるだけになるのは目に見えている。
俺の中で煮えたぎる怒りとドロドロとした憎悪。
全ての気持ちを冷静に封じ込め、アルヤジさんの装備品だけを外してから……。
穏やかに眠るように死んでいるアルヤジさんを背負い、俺は再びカーライルの森へと向かったのだった。