Act.2 お爺さんは山へ、森へ
お爺さんが山の麓に戻ると、一足先に帰っていたお婆さんが洗濯物を干していました。お爺さんが帰ってきたことに気づくと、心配そうな表情で駆け寄ってきました。
「お爺さん、どうなさったんですか。こんなに早く帰って来るなんて」
「あいや、少し変わった出来事があってな」
お爺さんは、心配そうなお婆さんを落ち着かせながら、ゆっくりと、山であったことを話しました。光る竹から女の子が出てきたこと、息子の仇討ちを願ったこと、そして刀を手に入れたこと。お婆さんは最初は訝しげな表情でお爺さんの話を聞いていましたが、最後に桃を切るようにと言われたことを話すと、急に驚いた表情を浮かべました。
「なんということでしょう。私も今日、不思議な出来事が起こったんですよ。川で水を汲んでいたら、川上から大きな桃が、どんぶらこ、どんぶらこと流れて来ましてね。あたしゃ驚いて、その桃を拾い上げて持ち帰って来たんですよ」
お婆さんは身振り手振りで桃の大きさを表現しながら、お爺さんに話しました。それから、家の裏手にお爺さんを引っ張って行って、薪割りに使っている木の切り株の上にドンと置かれた大きな桃を見せました。それはそれは大きな桃で、赤ん坊ぐらいなら中に入ってしまえるぐらいの大きさでした。
「なんということだ。女子の言っていたことはこのことだったのか。……よし、早速この桃を切ってみよう」
お爺さんは籠の中から刀を取り出して、両手でしっかり握り締めて構えました。上段の構えです。それからごくりと息を一つ呑むと、力強く片足を踏み込んで、力一杯に刀を桃に向けて振り下ろしました。すると刀は、まるで桃に吸い込まれるように桃の中に入って行きました。下の切り株まで真っ二つにしてしまったのではないかと思えるほどでした。
「なんて切れ味でしょう!」
お婆さんは驚き、素っ頓狂な声を挙げました。
「ドラゴンの硬い鱗さえ切ってしまえそうだわ!」
お爺さんはその言葉を聞いて、ドラゴン退治が現実味を帯びてくるのを感じました。それに、身体のほうもどんどん元気が湧いてくるのを感じます。それは気持ちの持ち様だけではありませんでした。桃を切ったお爺さんの身体は、あの時の女の子のように眩い光を放ち始めたのです。そして、数秒の間輝きを放った後、落ち着きを取り戻したお爺さんの身体は、見るからにたくましくなっていました。年老いた老人とは思えないほどがっしりとした筋肉がつき、軋むことの多かった骨も鋼鉄のように硬くなり、これまで前かがみになりがちだった姿勢は、すらりと真っ直ぐになりました。少し若返ったようにも見えます。
「なんということでしょう」
お婆さんはまたも驚嘆の声を挙げました。お爺さんも声にならない驚きと感動を覚えました。
「一体どういう事だろう。だが、力が湧いてくる。よおし! 私は街へ行って、あのドラゴンと戦うぞ」
「お爺さん、本当に行ってしまわれるのですね」
お婆さんはとても心配そうですが、お爺さんは自信に満ち溢れた明るい表情で笑いました。
「大丈夫だ。必ずや、太郎を連れて戻って来る」
そう言って、お爺さんはいざ、街へと旅立ちました。
お爺さん達が昔住んでいた街は、今住んでいる山の麓からは、徒歩で三日ほど掛かる距離にあります。途中、小さな山を越え、迷路のような森を抜け、真っ暗な洞窟を通らなければなりません。しかし、それはお爺さんがドラゴンに襲われて命からがら逃げだしてきた時の話です。今のお爺さんは、あの時の何倍も速く歩けます。途中で一休みすることも必要ありません。
歩き始めてからしばらくして、お爺さんは小さな山道へと入りました。まだ街に活気があった頃、この道は商人の通り道でした。今は草木が生い茂り、当時の通り道は失われつつありますが、それでもまだうっすらと、商人の馬車が通った溝が残っています。お爺さんがその溝に沿って山の中を進んでいると、茂みの中から一匹の山犬が飛び出して来ました。
「わん!わんわんわん! うーーーー、わんわん!!」
山犬はお爺さんの目の前に立ち、大きな声で吠えました。もちろん、お爺さんには犬の言葉はわかりません。しかし、その表情からは敵意の様なものは感じません。
「おやおや、可愛い犬じゃないか。どうしたんだい。……あぁ、この辺りは商人がよく通っていたから、遊んでもらっていたのかね」
お爺さんは腰を落として山犬の頭をそっと撫でました。山犬は尻尾を激しく振り回しながら、お爺さんの手に吸い込まれるように頭を押し付け、やがて地面に寝転がってお腹を見せてきました。山犬があまりに人懐っこいので、お爺さんは思わず足を止めて山犬のお腹を撫で回しそうになりましたが、すんでのところで踏みとどまりました。
「ごめんよ。先を急いでいるんだ」
お爺さんは山犬のお腹を軽く撫で、立ち上がって先を急ぎました。山犬はそれでも諦めずにずっとお爺さんの後を追って来ましたが、お爺さんが山を降りる頃には諦めて去っていきました。
それからまたしばらくして、お爺さんは森の中に入りました。昔から迷いの森と呼ばれている場所で、一度入ったらなかなか抜け出せないことで知られていました。森の中は、先ほどの山と違って、もちろん道なんて親切なものはありません。おまけに頭上を所狭しと木々の葉が覆い隠していて、外からの陽の光がほとんど入って来ず、辺りは夕方のように薄暗くなっています。商人たちもこの森には入りたがらず、少し遠回りになってでも別の道を使っていました。しかし、徒歩のお爺さんには遠回りをしている余裕はありません。勇気を出して森の中へ入って行きます。幸い、お爺さんはこの森の抜け方を知っていました。何事にも動じずに真っ直ぐ歩いて行けばいいのです。何故なら、森の中で迷ってしまうのは、風の音や突然飛び出してくる蛇に驚いて、どちらに進んでいたのか分からなくなってしまうからなのです。お爺さんは森の中を真っ直ぐまっすぐ進んでいきます。途中で蛇が飛び出して来ても、冷静に刀を抜いて追い払います。
半分ぐらい歩いた頃、木々の隙間を塗って一羽の鳥がお爺さんのところへ飛んできました。話の流れからすると、これはキジです。キジは地面を這うようにバタバタと不格好に飛んできて、お爺さんの近くに降り立ちました。降り立った後は、どういうわけかお爺さんの少し後ろをトコトコと歩いてきます。それを見たお爺さんのお腹が鳴りました。昔、猟師の友人にご馳走してもらったおいしいキジ料理を思い出してしまったのです。家を出る前に昼食は済ませましたが、それからもう二時間以上経っています。丁度小腹が空く頃で、そんなときに美味しそうな料理の具材が歩いてきたのですからたまりません。お爺さんはよだれを垂らしながら、ドラゴンを倒した後、あのキジをドラゴンの吐いた炎で焼いたらさぞかし美味しいだろうな、などと考えてしまいます。お爺さんは少し歩くスピードを落として、キジが自分の手の届くところまで歩いてくるのを待ってみました。キジは人に慣れているのか、お爺さんを疑うことなくゆっくりと近づいてきます。あと三歩、あと二歩、あと一歩……。しかし、もうすぐ手が届くというところで、キジはバサバサと翼を広げて飛び立ち、お爺さんから離れて行ってしまいました。お爺さんはがっかりしたような、安心したような、複雑な気持ちを抱きつつも、変わらず森を進んでいきました。




