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虐げられた仮面令嬢は、天才魔道伯の仮初め妻となる  作者: 朝霧あさき
仮面令嬢、仮初め婚約者となる
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神の寵愛



 屋敷のすぐ傍に止めてあった馬車に、オズワルドとともに乗り込む。


 精巧な装飾が施された肘置きやシックな装いのシート。派手さこそないが、腕の良い職人が仕立てたものだと一目見て分かった。

 さすがだ。内装から座り心地に至るまで、一切の妥協なく持ち主のこだわりが取り入れられている。


 マリアベルはほっと一息ついた。


 なかなかどうして趣味が合うらしく、この空間は非常に居心地が良かった。オズワルドもそれに気づいたのか、満更でもない表情で足を組んだ。



「座らないのか? 荷物はほら、そこへ」


「そこ? 床でしょうか? お邪魔では……」


「違う違う。よく見てて」



 オズワルドが正面の壁を指差すと、まるで口のようにぽっかりと空洞が現れた。

 マリアベルは驚いて肩を震わせる。外装から予想するに、このような場所に空洞を仕込めるほどのスペースはなかった。つまりこれはオズワルドの魔法。



「ああでも君が触れると危ないかもしれないな。出来れば投げ入れてくれ。難しそうなら僕が代わろう」


「い、いえ、問題なく」



 マリアベルは言われた通り空洞に荷物を放り込んでから、オズワルドの隣へ座った。



「空間を繋げる魔法……いえ、空間を作り出す魔法、でしょうか。凄い。かなり高度な魔法だと聞き及んでおります」


「ふふ。この程度で驚かれては困るな。何のために馬車を用意したと思っているんだ?」



 馬車の何倍も早く進む魔導具が存在する今、馬車は貴族たちの遊び――もとい、雰囲気づくりの移動手段としてしか用いられていなかった。

 日光を浴びず、足も疲れない、ゆっくりと流れる時間を二人だけで楽しむ。男女の逢瀬にはぴったりだ。


 しかし現在は日も落ち、星々が眠りから覚める時間帯。景色はすべて闇に塗りつぶされている。雰囲気づくりには適さない。

 そもそもルードリヒ家が治めるモンテベル領とエルズワース家のゲニシュット領はお世辞にも近いとは言い難い距離だ。馬車で移動するとなると何日かかるやら。



「のんびり観光がてら、ではないということでしょうか?」


「勿論だとも。障害物などすべて無視してひとっとびだ。明日の朝にはつく」


「明日! それは一体どのようなまほ――ひゃ!」



 突如ふってわいた浮遊感。宙に放り出されるような感覚がして、思わずオズワルドの腕にしがみつく。しまった、と後悔しても後の祭りだ。

 マリアベルはおずおずと彼の顔を仰ぎ見る。しかし、オズワルドは嬉しそうにもう片方の手でマリアベルを引き寄せ、浮遊感が収まるまで抱きしめてくれた。

 なんて優しい人だろう。



「そろそろ大丈夫だな。ほら、外を見てみるといい。風に乗って空を飛べば一直線で自領まで戻れる。なかなか心地いいだろう?」


「外? 飛ぶ?」



 オズワルドの言葉に慌てて窓の外を覗く。濃紺の空に砂金のような星がいくつも煌めいていた。

 遮るものが何一つない美しい夜空。思わず息をのむ。不思議だ。月がいつもよりずっと近かった。 


 ――なんて、心の洗われる景色かしら。


 まるで絵画の世界に飛び込んでしまったかのようだ。マリアベルは窓を開けて少しだけ身体を乗り出した。柔らかな銀髪が風に乗って空を流れる。

 下を見ると、人々の灯す明かりがぽつりぽつりと揺らいでいた。


 間違いない。言葉の通りだ。この馬車は空を飛んでいる。



「凄い……」


「こらこら。あまり乗り出すと危ないぞ」


「も、申し訳ございません、オズワルド様……あまりに美しくて、つい」


「喜んでもらえて何よりだ。気に入ったのならいつでも夜の散歩に付き合おう。だが、今夜ばかりは僕と会話をしないか? まだ説明していないことがたくさんある」


「は、はい! もちろんでございます」



 マリアベルは恥ずかしそうに顔を伏せるとオズワルドの隣へ座りなおした。

 外から入り込んできた夜風が、ぱたぱたとカーテンをはためかせる。


 火照った頬を冷ましてほしかったが、生憎と仮面のせいで熱が籠り、顔を真っ赤に染めたまま横目でオズワルドを見る。

 彼は顎に手を当てて視線を宙に飛ばしていた。なぜ婚約を申し込むに至ったのか。その経緯をどう説明しようか悩んでいるようだ。



「よし。それじゃあまず、君の事情について話そうか」


「わたくしの事情? ですか?」


「そうだ。君は自分が何者か知っておいた方がいい」



 何者とはどういう意味だろう。


 両親たちはまごうことなき実父であり実母だ。血の繋がりがある。本当の親が存在したという事実はない。そんな幻想は当の昔に打ち砕かれている。

 魔導の名門に生まれた魔力のない仮面令嬢。マリアベル・ルードリヒとは才能にも運にも――愛情にも見放された、ただのしがない女である。


 しかしオズワルドは力強い視線をマリアベルに注いだ。



「この世は主神アルマニアが唯一神として君臨し、その下に数多の精霊たちが付き従って世界の循環を果たしている。精霊と言っても人格のある大精霊はほんの一握りで、残りは空気と同様、目に見えぬ力となって世界を漂っているんだ。そして人間の体内に存在する魔力を餌として精霊の力を利用するのが魔法なわけだが――、さすがに知っているか」



 マリアベルはこくりと頷いた。



「うん。ではここからが本題だ。主神アルマニアは一定の周期で愛し子と呼ばれる人間を選ぶ。愛し子と言っても何か特別な力が備わるわけじゃない。ただ、幸せに生をまっとうしたか。笑って死を迎えられたか。一人の人間の一生を、ただ幸せであってくれと願いながら見守るだけの可愛いものだ。――いや、ものだったはずなんだ」


「はず?」


「人に干渉しないはずのアルマニアが、力を与えてしまう事例が起こった。過去、記録があるのは二度。どちらもアルマニアの選んだ愛し子が、目を覆いたくなるほど酷い境遇で育ったケースだ。特別事象『神の寵愛』。全ての精霊は愛し子の味方となり、誰もその者を傷つけられない、惑わせない、一切の魔法を跳ね除ける身体になったのだ」


「……それは」



 合点がいった。そして、オズワルドが言わんとしていることも理解した。

 彼の幻術をマリアベルだけが見破った理由。それは主神アルマニアの寵愛によるもの。いくら天才オズワルド・エルズワースであろうとも、世界の根幹に坐する唯一神を欺くことなど不可能。よってマリアベルこそが神の愛し子である、と。


 ――では愛し子ではなかったら、わたくしは必要のない存在。


 もう誰にも傷つけられやしないと思っていた心が、ちくりと痛む。

 マリアベルはそっと仮面に手を振れ、首を横に振った。



「わたくしの顔は魔法による火傷。一切の力を跳ね除けるのならば、このような姿にならぬはず。残念ながら、わたくしはオズワルド様の言う愛し子ではありませんわ。わたくしに幻術が効かなかったのは、きっとなにか他に理由があるはず。ですから……」



 ですから、どうかこの婚約は今すぐ破棄なさってください――そう口にすべきなのに。なぜだろう。どうしても言えなかった。

 膝の上に置いた手が小さく震えている。


 大丈夫。一度は一人で生きていくと決意したではないか。当初の予定通りに戻っただけ。換金できる宝石類はちゃんと持ってきた。大丈夫、大丈夫。一人でも大丈夫。マリアベルは自分に言い聞かせる。

 しかし、それでも手の震えは止まらなかった。



「あの妹か」


「……え?」



 地を這うような低い声。思わず顔を上げた瞬間、シートの端まで追い詰められる。目を白黒させて狼狽するマリアベルに、オズワルドは壁に手をついて逃げ道を塞いだ。



「あの、オズワルド様……?」


「あの妹かと聞いている」



 有無を言わせぬ鋭い眼光にビクリと肩が震える。オズワルドの推察を否定してしまったから怒らせたのだろうか。

 絞り出すような声で申し訳ございませんと口にする。



「……違う、そうじゃない。君に怒っているわけじゃない。ただ――駄目だな僕は。すまない、僕は人の感情に対する配慮が足りないといつも言われてしまう」



 オズワルドはマリアベルの仮面を指の背で撫でると、困ったように眉を寄せた。



「これが引き金だったのだ」


「引き、金?」


「幸せであれ。それはなにも人並み以上の幸福を願っているわけではない。人の生とは様々だ。アルマニアとてそれは分かっている。だから貧しくとも人の善性に触れられる位置に立っているのなら見守りの対象にしかならない。だがもし、逃れられぬ悪意が常に潜み、愛し子の命を脅かしていたら――」



 彼は少しだけ言い淀んでから口を開いた。



「最初から寵愛が発動している者は存在しない。マリアベル、君の顔が炎で焼かれた時『神の寵愛』が発動したのだ。このままだと君の命が危ぶまれると、神が判断した」



 真っ直ぐな視線で射抜かれる。


 確かに、火傷を負った後もクローディアの練習に付き合わされることは多々あった。何度も何度も炎が飛んできて腕や足を掠めた。

 命の危機を覚えたことは一度や二度ではない。それでも両親はクローディアの役に立てるのだ、光栄に思えと、無理やり彼女を差し出した。

 神の寵愛がなければ顔だけにとどまらず、全身焼け焦げていたかもしれない。



「アルマニア様の寵愛が発動し、わたくしはこうして生き長らえた」


「ああ。僕はそう考えている。現に、僕の幻術が効かないのは初めてだ。もう誰も、君を傷つけられやしないんだ」


「誰も、わたくしを……?」



 果たして本当にそうだろうか。精霊が無条件で味方に付いてくれるのならば、魔法でマリアベルを傷つけられる者は存在し得ないだろう。

 魔法以外であっても、精霊による防衛機構が働くかもしれない。


 しかしそれは身体の面だけだ。

 一番柔らかな心は誰も守ってくれやしない。


 ずっとずっと、死にたいくらい苦しかった。いっそ死んでしまえたら楽になれるのではと何度も考えた。ギリギリの綱渡り。心はとうに悲鳴をあげていた。



「神とは残酷なものですね。生き長らえるよりいっそ燃え尽きた方が、心穏やかに終われることだってあるでしょうに」


「……マリアベル」


「それでも――それでも、こうして生かされた先にあったものが、高名なオズワルド様の視線の先ならば、案外捨てたものではなかったのかもしれません」



 マリアベルが愛し子であり、神によって守られていたとしても、すべてがその庇護下にあるわけではない。人間の悪意は常に彼女を脅かしていた。

 惨めに踏みつけられ、恐れられ、嘲笑され――何度消えてしまいたいと願ったことか。けれど、そのすべてが今に繋がっているというのなら、確かに救いはあった。



「君は……なかなかどうして、僕を喜ばせる天才だな」


「わたくしなどの言葉で喜んでいただけるのならば、いくらでも」



 仮面の奥でひっそりと微笑む。

 オズワルドは知らない。彼の存在がどれだけマリアベルの支えになったか。マリアベルが今まで絶望せずに生きてこられたのは、彼のおかげと言っても過言ではない。

 こうやって対面し言葉を交わした今、その思いは深い楔となって心の一番深い所に突き刺さった。


 最大の恩義と敬愛を。いくらでも捧げよう。

 壊れそうな心を救ってくれたのは、いつも彼だけだったのだから。

 たとえ仮初でも、お飾りでも、彼の妻という大役を担えるのならば、きっとこの生にも意味があったのだと確信できる。


 オズワルドはぱちぱちと目を瞬かせた後、恥ずかしそうに頬を掻いた。


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