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虐げられた仮面令嬢は、天才魔道伯の仮初め妻となる  作者: 朝霧あさき
仮面令嬢、仮初め婚約者となる
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天才オズワルドの魔法



 エントランスホールへ戻ると、ひらひらと契約書を揺らしながらオズワルドが待ち構えていた。

 あの短時間で婚約の締結までしてしまったらしい。なんとも行動力の塊みたいな人だ。マリアベルとは正反対である。


 オズワルドはマリアベルの持つ荷物を一瞥すると、怪訝そうに眉をひそめた。



「少ないなぁ。いいのか、それで」


「はい、問題なく。それに、一番大切なものはちゃんと持ってまいりました」


「何か必要なものがあったら遠慮なく言うといい。揃えよう」


「ありがとうございます、オズワルド様。ですが、寝床さえあれば特に求めるものはございませんので、お気遣いは不要です。オズワルド様の財産は、あなた様が救ってきた魔力のない方々からの想いのようなもの。わたくしなどに無駄遣いせず、どうかご自身のためにお使いくださいませ」



 オズワルドの発明は国を越え大陸を越えて、人々の生活に浸透していると聞く。きっと新域魔導具に救われた人々は星の数ほどいるだろう。

 彼の手元にあるのは当然の報酬。感謝の想いだ。それをマリアベルの私利私欲で使うなど言語道断である。


 しかしオズワルドはその返答に納得がいっていないのか目を細めた。



「君は不思議な子だな。なぜそんなにも……僕は見た目も年齢も偽っている可能性がある。君に都合のいい幻覚を見せているだけかもしれない。それは理解しているんだろう?」


「ええ。お優しい方です」



 見目を気にしないというのなら、仮面で顔を隠した女を娶ると言ってくれたオズワルドの方ではないか。

 本当の彼がマリアベルよりずっと年上で姿形にコンプレックスがあったとしても、こちらを気遣って美しい幻想で誤魔化してくれている。仮面で隠すしか能のない自身とは大違いだ。

 それを、優しいと言わずして何と言おう。


 ――わたくしにもそのようなお力があれば、ダミアンをあそこまで追い詰めることもなかったのに。


 憔悴し、怯えきった表情で頭を地面に打ち付けるダミアン。昨夜の光景が脳裏をよぎり、マリアベルは仮面の奥で瞳を揺らめかせた。



「ああまったく。理解が出来ない。君を攫えさえすればいいと思っていたが、なんだこれは。妙に良心が刺激される。まさかこの僕が誠実でありたいなどと思うなんて」



 オズワルドは髪をぐいと掻き上げると懐に手を差し入れ、青白く輝く石を取り出した。

 マリアベルは驚いて「それは」と声を出した。魔工学を学んでいた時に写真で見たことがある。魔計発光石だ。


 普段はただの鈍色。河原に転がっていそうなごく普通の石なのだが、魔力を感知すると発光する珍しい性質を持っている。

 精度は様々だが、一般的に青みがかった色で光るものほど高価であり、ほんの少しの魔力でさえ感知するらしい。かなり珍しいもので粗悪品すらなかなか出回らない。

 実物を見たのは初めてだ。


 彼の持つ石が青白く光っているのは、つまりそういうこと。この光が消えた時、幻術は解かれたことになる。



「さすが魔導の名門ルードリヒ家の長女。説明は不要のようだな。では、僕が何を考えているかも理解しているのだろう? 最後まで虚像のままではさすがに無礼だった。謝ろう。ちゃんと真実を開示して君を貰い受ける」



 魔計発光石を手のひらに乗せ、マリアベルの前に差し出す。

 今まで早く出て行けとばかりに遠巻きに見ていたクローディアや両親、使用人たちも、オズワルドの行動に興味を抱いたのか耳をそばだてている。

 特にクローディアは新しい玩具を手に入れた子供のように、嬉々として二人の傍にやってきた。



「あら、ごめんあそばせ? 私がつい口を滑らせてしまったから」


「構わないさ。どうせいつかは(つまび)らかにするつもりだったんだ。それが遅いか早いかだけのこと。それに――」



 オズワルドは人差し指を唇に当てて、悪戯っぽく微笑んだ。



「僕も悪ふざけは好きでね。君とは違って可愛いらしいものだけど」


「……は?」



 苛立ちの籠った低い声がクローディアから発せられた。他人の前では完璧な外面を被り続けている彼女にしては珍しいことだ。

 よほど腹に据えかねたのか。それとも、社交場に出てこない年寄に愛想を振りまいても無意味だと思ったのか。


 やめよう。クローディアの考えることは、どうせ理解できない。



「さて、これ以上は時間の無駄だ」



 オズワルドは興味なさげにクローディアを一瞥すると、マリアベルに向き直った。

 ふわり、と柔らかな風がオズワルドを包み込む。

 たとえどのような姿であろうとも、マリアベルが感じた敬愛や恩義が薄れることはない。物言いは少々高圧的だが、彼の真っ直ぐさや優しさは十分すぎるほど伝わった。


 この身すべてを捧げるのに、何の躊躇もない。


 マリアベルはちらりと彼の手にある魔計発光石を見た。それはゆっくりと光を失っていき、どこにでもある鈍色の石ころへと変わった。

 幻術は解かれた。

 顔を上げれば本当のオズワルドと対面することになるだろう。緊張した面持ちで小さく深呼吸をする。瞬間、エントランスホールに黄色い悲鳴が充満した。


 一体、何が。


 マリアベルは跳ねるように顔を上げた。

 飛び込んできたのはインディゴ色の真っ直ぐな瞳。穏やかなそれがマリアベルを見つめている。吸い込まれてしまいそうだ。しかし――マリアベルは首をかしげた。目の前にいるのは確かにオズワルドである。

 ただし、幻術を解く前と一切変化がない。見惚れるほどに美しい青年のままだ。



「ど、どういうこと、なの……!?」



 驚きに発せられた声は、隣に立っていたクローディアのものだった。

 彼女は耳まで真っ赤に染め、ふるふると肩を震わせていた。



「お姉さま! これは一体どういうことなの!」


「ど、どうと言われても、わたくしにも何が何だか。ですが、オズワルド様のお姿は最初からお変わりなくお美しいままですわ」


「はぁ!? ではなんですか。お姉さまではなく私たちが惑わされていたと? そんな馬鹿な……だって、このようなお姿であれば隠す必要などないでしょう!」



 クローディアはオズワルドを見て悔しそうに頬を赤らめた。


 嘘はついてない。彼はラムレスク公園で出会った時から今に至るまでずっと、誰よりも眩くて美しいままだ。

 魔力のあるものだけがかかる魔法だったのだろうか。いや、ルードリヒ家には魔力の持たぬ使用人も数名在籍している。オズワルドの魔法が領域的ならば彼らが気付くはず。

 一体なぜ。マリアベルだけがオズワルドの幻術に惑わされなかったのだろう。



「……いえ。なにせよ考えたところで徒労でしょう。オズワルド様にはオズワルド様のお考えがあるのですから。この方を我々と同じ型に当てはめるなど失礼ですわ」


「――ッ、何をぬけぬけと! お姉さまのくせに生意気なのよ!」



 冷静なマリアベルとは反対に、謀られたと感じたクローディアは彼女に掴みかかろうと腕を伸ばす。しかしそれは届かなかった。一足先にマリアベルの腰を掴んだオズワルドが、自らの腕の中に引き寄せたからだ。

 カバンが床に転がる。



「オ、オズワルド様! お戯れは!」


「そうだとも! 何も変わっていないんだよ、マリアベル! 今や君の見えている世界は唯一無二。誰も君を欺けない。誰も君を傷つけられない。可能なのは主神アルマニアくらいのものさ。最初から君が見ているこの姿こそ本当の僕だ」


「それは、どういう」


「それも含めて馬車の中で話そう。長くなると言っただろう?」



 オズワルドは使用人、父、母、クローディアの順に視線を巡らせると、胸に手を置いて小さく頭を下げた。



「虚像で皆さまを欺いたことお詫び申し上げます。人と関わるのは面倒くさい。ゆえに普段は幻術をかけているのです。腰のまがった初老の男、というのは便利でしてね。色々なお顔を見せていただきありがとうございました。とても興味深かった。本当に人間というものは実に滑稽でくだらない。僕の功績は、見た目でマイナスになるようなものだったのだな。悲しくて笑ってしまうよ。ああ、安心したまえ。もう二度とこの家の敷居を跨ぐことはない。君たちとマリアベルの関係は紙切れ一枚ですべて断たせてもらったからね。快諾していただき、どうもありがとう」



 流れるように繰り出される嘲罵(ちょうば)に、誰一人として口を挿めなかった。

 使用人たちはおろか、父や母ですらぽかんと口をあけて呆けている。ここでオズワルドに意見できる者がいるとすれば、よほど空気の読めない人物か、はたまた自分の悪意に無頓着な人物だけだろう。

 残念ながら、ルードリヒ家には一人だけ当てはまる人物がいるのだが。



「それでは失礼――っと? なんだい?」



 マリアベルの手を引いて帰路につこうとするオズワルドの服を、無遠慮に引っ張る者がいた。

 彼は苛立ちを隠そうともせず彼女を――クローディアを睨んだ。



「オズワルド様は魔導具だけでなく、魔法の才も秀でていると聞き及んでおります。魔力の欠片もない姉などより、私の方がきっとお役に立てますわ! 今からでも遅くありません、ぜひ――」



 パン、と弾けるような音が聞こえた。

 それがオズワルドの張った防壁だと気付いた時にはもう遅く、クローディアは茫然とした顔で地面に腰を打ちつけていた。触れるのですら汚らわしい。オズワルドの瞳が、そう告げていた。



「笑わせる。僕はマリアベルでないと駄目だと言ったのだ。なぜ君が成り変われると思ったんだ? そもそも僕の幻術を見抜けなかった君が何の役に立てるって? 僕はね、頭の悪い人間が大嫌いなんだ」



 ルードリヒ家始まって以来の天才、魔導の申し子、可憐な御令嬢、愛らしいクローディア。生まれて此の方、賛辞以外の言葉を耳にすることがなかった彼女に突き刺さる侮蔑の数々。プライドはズタズタに切り裂かれた。

 令嬢の仮面を脱ぎ捨て、ありえない、と怒りに打ち震えるクローディアの表情は今まで見たこともないほど醜く歪んでいた。


 ずるり、と背後に何本もの火柱が立ち昇る。クローディアが最も得意とする炎の魔法だ。

 もはや怒りで理性は燃え尽きていた。両親が止めるのも聞かず、彼女はオズワルドとマリアベルめがけて力を放つ。しかし――、それは瞬きの間に氷に覆われ、涼やかな音とともに結晶となって空気に溶けて消えた。



「う、そ……」



 天才クローディアと持てはやされてはいたが、目の前にいるのは本物の天才。知力実力を兼ね揃えた、あのオズワルド・エルズワースである。

 クローディアは『魔法の才も秀でている』と言ったが、何を勘違いしているのだろう。力があるからこそ誰よりも造詣が深いのだ。大陸全土を探しても彼以上の者など存在しない。

 実力の差は、歴然だった。



「ふん。この程度、意趣返しにもなりはしないな」



 オズワルドはくるりと裾を翻し、屋敷の者たちに背を向ける。そして誰にも見られていないと安心したのか、悪戯が成功した子供のようにべっと舌を出した。

 一本心の通った円熟した男性だと思っていたが、案外子供っぽい一面もあるのかもしれない。

 マリアベルは興味深げにオズワルドを見つめた。



「あ。ええと……ンンッ」



 マリアベルに見られていると気付いたオズワルドは、恥ずかしそうに口元を押さえる。その仕草が可愛らしく見えて、少し緊張感が解けた。



「失礼。さて行こうか、マリアベル。馬車の前まで僕がカバンを持とう」


「いえ、オズワルド様の手を煩わせるわけには」


「僕が持ちたいんだ。いいだろう? ほら、行こう」


「……はい」



 伸ばされた手に自らの手を重ねる。


 ――お母様、お父様、クローディア。もう二度と会うこともないでしょう。


 痛いこと、苦しいこと、悲しいこと。色々あった。でも不思議と今は、何の感情も湧いてこない。

 マリアベルはオズワルドに寄り添って、屋敷の外へと踏み出した。



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