あなたのファンです
「あ。こら。逃げるな。どうしたんだ?」
「そうですわ。そのような照れ隠し、失礼ですわよ!」
いつの間に背後へ回っていたのか。
クローディアはマリアベルの背に手を置き、ぐいぐいと押し込んでくる。振り向けば、彼女から少し離れた位置に両親二人も揃っていた。今まで見た事もないような穏やかな表情を浮かべている。
この婚姻は願ってもない話なのだろう。マリアベルにとっても喜ばしい提案のはずだった。
相手がオズワルドでなければ、であるが。
――あり得ない。不釣り合いにもほどがあるでしょう!
「ま、待って、待ってくださいクローディア! 照れ隠しなどという次元ではないのです!」
「あら、珍しく慌てていらっしゃいますのね。……ふふ。良いじゃありませんか。魔導具界隈のオズワルド・エルズワースという方ならば私も聞き覚えがあります。こんなご高名な方に選ばれるなんて羨ましいですわぁ。さすがお姉さまです。でも、驚きですわよねぇ。このようなお姿だったなんて。どうりで表舞台に出たがらないはずです」
耳元で囁くように呟かれる。
彼女には一体はどのような世界が見えているのだろう。見えている世界と周囲との温度差が酷過ぎて眩暈がしそうだ。
「オズワルド様といえばエルズワース家御領主の座は早々にお譲りになって、辺境の地で隠遁生活をされているとか。良かったですわねぇ、お姉さま。外に出たがらないお姉さまにピッタリのお方でしょう? まさかとは思いますが、相手を選り好みする権利がお姉さまにあるとでも?」
「ち、違います。わたくしはただ……あ!」
ドン、と思い切り突き飛ばされる。その拍子でオズワルドの胸に飛び込んでしまった。頭がぼうとして上手く働かない。離れなくては、と思うのに指一本動かせない。
こんなことは初めてだ。恥ずかしくてたまらない。発熱しそうなほど顔が熱い。
マリアベルはオズワルドの服を弱弱しく掴んだ。
「手が震えている。僕の名はそんなに恐ろしいか?」
「い、いえ! 恐ろしいなど、そんな! た、ただ、少々お待ちください……本当に、あのオズワルド様なのですか? 新域魔導具の生みの親、天才オズワルド・エルズワース?」
「もちろんだ」
顔を上げる。
嘘偽りのない真っ直ぐな瞳がマリアベルを見つめていた。
「あの、……ふぁ……」
「ふぁ?」
「ファン、……です」
「え?」
消えそうなほどか細い声だった。恐らくオズワルドにしか聞こえていなかっただろう。
オズワルドはしばらくマリアベルを見つめながら固まっていたが、ついに耐え切れないとばかりに大声で笑いだした。
「あははははははは! いや、なるほど! ふふっ、すまんすまん。失礼した。では、仮面の下では金魚のように顔を真っ赤にしていたのか? ははは、可愛いな。早く君の表情を見てみたいが、それは正式に夫婦となってからにしよう」
「お、お待ちください! あなた様がオズワルド様ならばお話が違ってきます! なぜあなた様のようなお方が、クローディアではなくわたくしなどと!」
「なっ! お姉さま、ご自分が頷きたくないからといって私を差し出すなど失礼ではなくて!?」
「だからそういう話ではないのです、クローディア!」
激昂するクローディアに、マリアベルは頭を振って否定する。差し出すだなんてとんでもない。彼の隣にクローディアが並ぶというのなら、それこそ首を掻き切って死んだ方がましだ。
婚約祝いに自らの首を送り付けよう。
しかし事実としてクローディアの方が名誉も実力も、容姿だって優れている。なぜオズワルドともあろう人がマリアベルを選んだのか。皆目見当がつかない。
「ふむ。僕の目が節穴だとでも?」
「まさか! オズワルド様に限ってそのようなことは!」
「はは、全幅の信頼とは時にむず痒いものだな。そこまで信頼してくれているのならば答えは明白だろう。僕は君が良いと言ったのだ。君でないと駄目なのだ。後は君の返答次第だよ、マリアベル。改めて、僕の妻になってくれないか?」
「……道具としてほしい、では駄目なのですか?」
オズワルドの役に立てるのならば、どんな無茶だって押し通してみせる。わざわざ婚約などという窮屈な縛りを持ち出さなくとも、この身すべて使い倒してくれて構わない。だからどうか婚約は考え直してほしい。――そんな気持ちを込めて彼を見る。
オズワルドはほんの少し目を見開いた後、マリアベルの手を取った。
「確かにこれは心配にもなるな。……マリアベル。僕は君を妻にしたいと言ったんだ。再三の求婚が必要か?」
「いえ、決して! 疑っているわけでは無いのですが」
直視に耐え切れず、ぱっと視線を外す。
あのオズワルド・エルズワースが妻としてマリアベルを欲しいと言っている。きっと凡夫には理解できない深い事情がおありなのだろう。
考えるのはやめた。理由なんてどうでもいい。婚約でなければ駄目だというのなら、喜んで受け入れよう。
「オズワルド様がそうおっしゃるのであれば」
ひと時の夢を見せてもらうつもりで、マリアベルは頭を下げた。
「では、マリアベル。支度を。私物をまとめておいで。外に馬車を用意してある。ある程度の大きさまで対応可能だぞ」
「は、はい。すぐに!」
マリアベルは急いで物置部屋へ戻り、両手でかかえられるくらいのカバンに衣服を詰め込んだ。
換金できる宝石類と、魔術の勉強に使っていた書籍。そして――ドレッサーから手紙を取出し、折れないよう一番上に乗せてからチャックを閉じる。
一般市民が数日旅行へ出かける程度の荷物。マリアベルがこの家にいた証は、随分コンパクトに収まってしまった。乾いた笑いが漏れる。
所詮はこの程度の存在価値だったのか。何をみっともなく縋りついていたのだろう。
「……今までわたくしの居場所になってくれて、ありがとう」
マリアベルは部屋に一礼すると、カバンを抱き上げてオズワルドの下へ急いだ。