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大精霊のため息



 客室を一部屋用意し、ダミアンをベッドに寝かせる。そこへオズワルドが開発したランプ型の暖房器具を運び込んだ。これで暖かく過ごせるはずだ。

 本当ならば彼が目を覚ますまで付き添っていた方が良いのだろうが、傍にいるのがマリアベルでは逆効果になりかねない。

 怯えたダミアンの顔が脳裏にちらつく。


 ヴィントと交代しよう。マリアベルそう思い、静かに立ち上がった。しかし、そのタイミングでダミアンが目を覚ましてしまった。うっすらと開かれた瞳に、マリアベルの姿が映る。

 ビクリと肩が震えた。



「君、は……?」


「も、申し訳ございません。すぐ、退室いたします」



 一切振り返らずスカートを翻して、逃げるように扉へと向かう。ダミアンの前でこの顔を晒すわけにはいかない。だというのに、あろうことか彼はマリアベルの腕を掴み「待ってくれ」と引き留めてきた。



「あの、……手、を……」


「待ってほしい、お嬢さん。どうか僕の話を」


「お、じょう、さん?」



 まさか、気付いていないのだろうか。目の前にいるのが、彼の元婚約者であるマリアベルだと。

 はたと立ち止まり、ゆっくりと後ろを振り向く。

 さすがにこれで気付くはずだ。手の拘束が緩まった隙に逃げ出そう。


 怯えたように瞳を伏せ、「お放しくださいませ」と告げる。ダミアンの瞳が見開かれた。そうだろう。もう二度と会わないと思っていた女と、こんな場所で再会してしまったのだから。

 怯えられる前に出ていかなければ。マリアベルは腕を引いた。けれど、ダミアンの拘束は緩むどころか更に強くなっており抜け出せなかった。

 戸惑いのまま顔を上げる。



「あの……」


「不思議だ。貴女の傍にいると視線を感じないんだ」


「視線?」



 ダミアンは頷いて、屋敷の前に倒れていた経緯を話し出した。

 ある日突然、視線を感じるようになった。それは町中を歩いていても、部屋に閉じこもっていても、果ては就寝時まで付きまとい、ノイローゼ気味になっている。この呪いを解くために家を出、放浪の旅をしている――と。



「呪いをかけた人間に心当たりはありましたが、なにぶん謎に包まれた人でして。ようやくこの辺りに居を構えていると聞き出せたのでこの地にやってまいりました。ただ、あいにくの吹雪で視界をやられてしまい、行き倒れてしまったのです。助けていただき感謝いたします」



 朗らかに微笑むダミアン。そんな顔を見たのは初めてだった。


 嘘、でしょう――マリアベルは狼狽える。

 こうして顔すら晒したと言うのに、未だ目の前にいるのが元婚約者だと気付いていないのか。

 彼は本当に、何も見ていなかったのだ。マリアベルの顔どころか、姿も、声も、なにもかも。一切見る気がなかったのだ。

 それに気付けなかったとは。なんと情けない。


 居心地の悪さを感じながら、怪訝そうに眉をひそめる。



「きっと気のせいですわ。わたくしに、他人の呪いを薄めるような力はございません」


「ですが」


「この屋敷の主は魔法の造詣に深いお方。お困りでしたらお口添え致しましょう」



 神の愛し子と言えど、ただ守られているだけの存在。自らにかけられたものならいざ知らず、他人の呪いを解く力などありはしない。きっと疲れているから、視線を感じる余裕さえないのだろう。



「では旅の方。お身体が回復されるまではどうぞごゆっくりなさってくださいませ。お食事等は追ってご準備いたしますわ。わたくしは用事がございますので、これにて失礼いたします」



 今度は毅然とした態度で伝える。

 部屋の掃除は粗方終わっているが、それだけだ。準備しなければいけないことはまだまだ沢山ある。オズワルドの妻として手は抜きたくない。こんなことで心乱され、中途半端なおもてなしになるなど許せなかった。

 マリアべルは再度手を引いた。しかし、ダミアンは彼女の腕を掴んだまま縋るような視線を向けてくる。



「先程も申し上げましたが――」


「手、放してくれへんか? 誰の許可とって触れてるん?」



 ふわりと風が吹き、突如部屋の真ん中に現れたヴィント。彼は鋭さを孕んだ瞳でダミアンを睨みつけた。そこでようやく拘束が弱まり、彼の腕から逃れる事が出来た。



「マリアちゃん」



 おいでと手招きされるままにヴィントの傍に駆け寄る。彼はよしよしとマリアベルを撫でた後、彼女を自身の後ろへ隠した。



「も、申し訳ございません。この屋敷の主の方でしょうか?」


「いや? ただの使用人やけど」


「使用人!?」



 名目上は確かに使用人だが、ヴィントは大精霊。これほどの威圧感を垂れ流しながら使用人だと言われても、にわかには信じ難いのだろう。気持ちは分かる。



「え、ええと、実は僕――」


「マリアちゃんの傍におると視線を感じひんのやろ? そらそうやって。主もマリアちゃん監視するなんて無粋な真似せぇへんもん」


「主? この屋敷の主のことでしょうか? 一体、どういう意味で?」


「この屋敷の主は坊ちゃんですよ。まぁ、俺から言えるんはこれだけやね」



 ダミアンの視線がマリアベルに注がれる。同時に、マリアベルはヴィントを見た。彼の言葉が正しければ、視線の正体は主神アルマニアということになる。なぜ、わざわざダミアンを見張るような真似をするのだろう。



「いややわぁ、そんなもの欲しそうな目で見つめられると、お兄さん照れちゃう!」



 ぱっと笑顔を張り付けるヴィント。



「でもまぁ、体調が戻ったらさっさと出て行く事をオススメするわ。長居してもええことないで?」


「で、ですが、この視線がある限り、まとにも生活をおくることさえ叶わず……」


「せやかて、マリアちゃんは渡せへんし?」


「あ、当たり前です! いくら目を奪われるほど美しい女性だとしても、出会ってすぐにそのような……」


「は? それ、本気で言うてる?」



 目を伏せ、耳まで赤くするダミアンに対し、ヴィントは信じられないものを見るような、蔑みの籠った視線を向けた。マリアベルは彼の服の裾を引き、こくりと頷く。

 ダミアンの口から「美しい」という言葉が出た瞬間、何の冗談かと笑い出しそうになった。仮面で覆っていない半身を、ダミアンの前にも晒した事がある。だから、この顔を知らないわけはないのに――。



「……はぁ、人間ってホント愚かやね。まぁええわ。そろそろ坊ちゃんが帰ってくる頃やし、挨拶しにくると思うから、それまでゆっくりお休み。ほなね」



 マリアベルを先に室外へ退避させ、ひらひらと手を振るヴィント。

 彼は扉を閉めると「そら坊ちゃんも主も過保護になるわなぁ」と、ため息を吐いた。



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